歴史が答えを出す周期
しかも、今の時代は、
「キャッシュレス」
ということもあり、現金自体がないのだ。
「時代は変わった」
ということになるのであろう。
時代の変化とは、
「科学の発展」
ともいえる。
犯罪というものも、時代とともに、やりにくくなっているのだろう。
何といっても、防犯カメラや、ドライブレコーダーなど、いたるところにカメラがある、これでは、アリバイトリックも、何もできなくなるだろう。
さらに、
「死体の身元を隠す」
という目的での、
「死体損壊」
いわゆる、
「顔のない死体のトリック」
というものも、
「DNA鑑定」
による、
「本人確認が可能なことで、なかなか難しくなってきた」
それを思うと、
「探偵小説」
と言われていた時代の、トリックは、なかなか使えなくなったといってもいいだろう。
しかも、
「探偵小説というのは、いくつかのタブー」
というものが存在する。
たとえば、
「ノックスの十戒」
などというのがそのいい例で、実際の事件ではなく、読者を必要とする探偵小説では、
「読者に配慮した」
という内容の話でなければいけないというものであった。
それだけに、探偵小説というものを考えた時、その特徴として、
「事件が発生し、事件を解決する役である探偵がいて、犯行を行った犯人が、綿密な計画を立てて、探偵と対決をする」
という、
「分かりやすいストーリー」
というのが、探偵小説である。
もちろん、変質的な探偵小説も存在するが、
「本格派」
と呼ばれるものは、ほとんど、
「この流れに沿っている」
と言ってもいいだろう。
その中のバリエーションとして、
「トリック」
というものがあるのだが、それも、ある程度のものは、すでに、
「黎明期に出尽くしている」
と言ってもいいだろう。
トリックというものとして、
「アリバイトリック」
「死体損壊トリック」
「密室トリック」
「一人二役」
「叙述トリック」
などと言われるが、そのほとんどは、バリエーションによって、組み合わせるかなどしないと、トリックというものは、ただの枝葉でしかないということになるであろう。
実際にトリックを組み合わせるもので、
「アリバイトリックと密室トリック」
「一人二役と死体損壊トリック」
などというものを読んだことがあった。
まだ戦後くらいの頃で、実際にトリックとして本格ミステリーとするのであれば、これくらいの組み合わせは必要だと言えるだろう。
偏頭痛
そんな小説を書くことを趣味にしている青年がいた。
名前を、
「高橋新吉」
という。
彼は、子供の頃から小説を書きたいと思っていたのだが、悪い癖なにか、
「俺にできっこない」
と絶えず考えるところがあり、いつも書きかけて、途中でやめていたのだった。
実際に、
「小説の書き方」
なるハウツー本を見ると、実際に小説を書きたいと思っていても、
「必ず途中で、皆挫折する」
というようなことが書いてあるので、
「俺が挫折するというのも、無理もないことではないか?」
と感じるのであった。
つまり、
「俺に小説など書けるわけはない」
という、まるで、三段論法のような結論を生み出すことで、却って、
「できなくても、当たり前だ」
という気楽な気持ちになれるというものだった。
ただし、挫折は何度もする。
「できなくて当たり前だ」
と思うのだから、負の連鎖から始まっているのだから、逃げ道だけを作ってしまうのだから、
「何が正しいのか?」
ということが立証されるわけもない。
小説を書くことが、
「自己満足」
に繋がっているということで、最初は、
「それでもいい」
と思っていたが、できないというところから、つまりは、ゼロからの出発だと、できた時に、それが自信につながるということであった。
「負の連鎖から、さらに負の連鎖を重ねると、プラスのもなる」
ということを、高橋は思い知った。
要するに、
「マイナスをマイナスだと思わずに、プラスの逆だ」
と思うことで、
「見えてこなかったものが見えてくる」
と感じているのかも知れない。
だから、
「マイナスの相乗効果として、まるで合わせ鏡のように思っていたのは、本当は、相乗効果を見せる方のマイナス」
というのは、鏡の効果で、
「プラスに見えていたのではないか?」
ということであった。
そこには、
「鏡というものと、マジックミラーというものの違い」
ということなのかも知れない。
マジックミラーというのは、こちらからは見えるが、向こうからは見えないというもので、大きな錯覚を見せるものだ。この発想を応用すれば、
「鏡に映った時、左右は反転するが、上下は反転することはない」
という不可思議なことになる。
普通であれば、
「疑問に感じることではない」
のだが、改めて言われると、
「確かにそうだ」
ということになる。
これは、
「マジックミラーのように、自分の姿が、透けて、反対から見えるからなのかも知れない」
ということであった。
最近、奇妙な病気、
「いや、病気というか、症状」
というものが、世間で流行っていると言われている。
それはどういうものかというと、
「急に目の前が見えにくくなり、まるでクモの巣が張ったかのように見えてきて、そのうちに暗くなったかと思うと、目の焦点が合わなくなるんですよ」
と患者は、医者にいう。
支社は、黙って聞いているので、患者が続けるのだが、医者が黙ているのは、
「このような話を散々聞かされていることで、大体の話の落としどころが分かっているので、逆に、その話のあらを探すというか、他の人との違いを少しでも探そうと、躍起になっている」
と言ってもいいだろう。
しかし、実際には、その粗が見つかるわけでもなく、話を聞いてみると、
「寸分狂わないような話だな。だったら、ここでいう言葉は他の人にも言った言葉と同じように」
「飛蚊症ですね」
というだけのことだった。
実際に、それをいうと、相手はうなずきはするが、納得しきれ倍のは、今までの人と同じことで、
「まるで、デジャブだな」
と、医者は感じるのだった。
「飛蚊症」
というのは、目の前にクモの巣が張ったようになると、焦点が合わなくなるというのは、まさに、患者のいう通りであった。
患者が、納得がいかないというのは、
「その先があるのに、医者が聞いてくれない」
と思ったからで、医者としては、そんなことはない。
「相手が、落ち着くのを待って聞くだけだ」
と思うのだった。
医者は分かっていた。
「この段階で医者にくるということは、少なからずの何か、精神疾患のようなものがあるからではないだろうか?」
ということが分かっているからだったのだ。
精神疾患と言っても、いろいろな病気が最近ではたくさんある。
躁鬱症と言っても、ただのうつ病もあれば、完全に薬の投薬を必要とする、
「双極性障害」
のようなものもある。
作品名:歴史が答えを出す周期 作家名:森本晃次