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歴史が答えを出す周期

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「もし、球が自害をしようとして、その場にいたのが、本当に玉だったのか?」
 という発想もあった。
「敵の狙いは、玉であり、忠興の家族」
 なのである。
 時代的に、
「影武者」
 と言われるような、
「替え玉」
 というのが、女性の中にいても無理もないと思うのは、どうなのだろう。
 本当に、弾がそこで死んだのか?
 ということも不思議に思える、
 特に、
「奥さんを愛してやまない」
 と言われた、忠興が、何の対策もしていないとは思えないというものだ。 
「ひょっとすると、替え玉を使って、逃れたのかも知れない」
 という考えは、あまりにも奇抜な発想であろうか。
 それを考えると、玉の身代わりが、捕まったのか、あるいは、自害させられたおか分からないが、それで少なくとも、敵は、
「人質作戦を諦めた」
 ということなので、この行動は、
「大変意義があった」
 と言ってもいいだろう。
 これが、
「細川ガラシャの話」
 ということであるが、やはり、言い伝えられている話を、そのまま鵜呑みにしてしまうと、どうにも辻褄の合わないということは、相当にあるということなのであろう。
 これが、宗教として、
「すべての辻褄を合わせる」
 ということは、土台無理なこととして、結局、
「その中で、一番最善の方法をとるしかない」
 ということになるのであろう。
「玉が替え玉だった」
 と考えると、
「玉はどこに行ったのだろう?」
 それこそ、
「戦国時代の眼に見えていない、人間消失事件」
 なのかも知れない。
 日本で、戦国時代に、
「同性愛」
 というのが流行った。
 しかし、他の時代には、細々としてではあったが、存在はしていた。しかし、細々としないといけないほどに、
「市民権が得られていた」
 というわけではない、
 もっといえば、
「群雄割拠の戦国時代だから、許されたのだ」
 というのが、一番の正解なのかも知れない。
 それを考えると、
 宇宙人が地球に現れて、同性愛の風習を作り、そこに、武士道が絡んでいる」
 という発想を感じた高橋は、
「これを小説にすればういいのではないか?」
 と考えたのだ。
「まるで自分が宇宙人に洗脳されたかのような発想が頭をよぎった時、
「それが、小説のネタになる」
 と思うと、結構な勢いで作品が出来上がっていった。
 そもそも、書くスピードは結構速かった。スピードに関しては、
「誰にも負けない」
 というくらいの気持ちがあったのだ。
 ただ、分からないことが多いのと、宇宙人という発想が奇抜であり、さらに、それ以上に、
「調査して、それをいちいち書いても、しつこくならないだろうか?」
 とも感じたのだった。
 しかし、それはあくまでも、自分の勝手な発想であり、
「発想というものが、果てしないのが小説であり、最後に辻褄が合えばいいんだ」
 と感じたことで、気が楽にもなった。
 小説というものは、
「一度最後まで書き切れるかどうか?」
 というものが、ミソだと思っている。
 書けるかどうか、それは、普通に書こうとすると、まるで魔法にでもかかったかのように、最後には、
「それができれば、今頃プロだよな」
 とばかりに、当たり前のように感じるのであった。
 だから、
「小説を書くということが、どうすればできるようになるか?」
 と考えるのが、まず最初であり、少なくとも、
「創意工夫が必要だ」
 ということは当たり前のことだった。
 そして、最終的に考えたのは、
「人と話ができるんだから、書けるはずだ」
 と思ったことだった。
 小説を書けるようになることと、
「話しているように、書くくせができる」
 ということは、
「同意語ではないか?」
 ということであった。
 小説を書いてみると、もちろん、難しいこともあるし、書けないということの、
「言い訳」
 というものをしたくなる気持ちだってあるというものだ。
 小説を書いていると、、
「なぜ書けないのか?」
 ということを考えながら書いている気がしてくる。
 これは、書いている時に考えるわけではなく、別の機会に考えることではないだろうか?
 それを思うと、
「話せるように書く」
 というゴールがどこにあるのか? ということになるのであろう。
 小説を掛けるようになると、今度は、そこから、
「書いているうちに、勝手に発想が生まれてくる」
 ということに気づくようになる。
 そうすると、
「ここから先は、俺の真骨頂なのだ」
 と高橋は思ったのだが、それは人それぞれのことであり、ハウツー本には、あたかも、
「皆同じだ」
 というように書かれているのかも知れないが、
「それはそれで違っている」
 ということになる。
 皆同じだったら、
「個性」
 というものがなくなるわけで、クリエイティブなことに対して、個性がなければ、それこそ、
「AIにでもやらせればいい」
 ということになるのだ。
 今の世の中でよく言われる、
「20XX年問題」
 などというのも、
「誰にでもできる」
 という仕事の人手不足ではない。
 特に、公共交通機関の運転手ともなれば、
「今日面接に来た人が、来週から従事できる」
 などというわけではないのだ。
 下手をすると、募集要項に、
「過去数年、この仕事に従事したことのある人限定募集」
 ということになると、まず、応募してくるわけはない。
 だからこそ、
「人手不足」
 という問題が起こるのだ。
 問題が起こり始めているから、躍起になって募集を掛けているのに、来ないから、
「20XX年問題」
 などということになる。
 そこで決まっていることとして、人手不足だから、それまで行ってきたサービスが、
「限界を迎える」
 ということである。
 例えば、配達業者などが、再配達をしようとすると、余計な労力になってしまうことは分かり切っている。
 しかし、基本的に、今では共稼ぎであったり、一人暮らしが当たり前の時代に、昼間の時間が、配達先では留守宅だということは当たり前のことである。
 自分たちだってそうやって昼間仕事をしているわけだから、それも分かり切っていることである。
 要するに、
「分かり切っていることに対して、気づいているのかいないのか、どっちにしても、それをスルーしてきたことが問題なのだ」
 ということだ。
「気づかなかった」
 ということであれば、そもそも、会社経営するだけの力量がなかったということを示しているわけであり、
「気づいていた」
 というのであれば、もっとひどい。
 確信犯であり、しかも、それを放っておくわけだから、それは、
「逃げている」
 ということになるのか、
「面倒なこと」
 として考えたり、確かに、焦って結論を早めに決めてしまい、
「できなければ、取り返しがつかない」
 ということにもなるのだろうが、それだけの問題ではない。
「スピードを要することだってあるわけで、
「機を逸する」
 ということになると、こちらも、取り返しがつかなくなってしまう。
 それが、今の人手不足の問題を形成しているのであって、
「少子高齢化」
 であったり、会社側を見れば、
「年功序列」
「終身雇用の」
作品名:歴史が答えを出す周期 作家名:森本晃次