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歴史が答えを出す周期

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 と言ってもいいかも知れない。
 その頃世界では、
「宇宙人の目撃情報が、最近増えてきた」
 ということが言われていた。
 ただ、
「宇宙人が目撃されるからと言って、だから、何をする」
 というわけではない。
「宇宙人は、地球に来て、地球人にその姿を見せるということが、目的であり、それ以上でも、それ以下でもない」
 ということではないだろうか。
 今、
「日本で何が起こっているか?」
 ということは、他の国でも分かっていることであるが、
「人間消失事件」
 というものを、一足飛びに、
「宇宙人の仕業だ」
 と一刀両断にするということはできないということであった。
 確かに、発想としては十分にあることであろうが、だからと言って、その裏付けともなると、その問題は解決しないといってもいいだろう。
 それだけ、今の、
「日本と、それ以外の国というものは、考え方が、かけ離れている」
 と言ってもいいのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「日本人だけが、地球人の中で考えが突出しているのであれば、ひょっとすると、日本人というのは、その先祖は宇宙人なのかも知れない」
 という突飛な発想が生まれたとしても、無理もないことではないだろうか?
 と考えられるのであった。
 この考えは、
「当たらずとも遠からじ」
 という有識者の中でも信憑性の高い、博士号を持った研究家の人たちは、その意見を、
「当たり前のこと」
 として考えているのであった。
 そんな考えを持っている日本人がいないというわけでもなかった。
 しかも、それが、
「政府内における有識者」
 ということもあって、政府にその意見を、
「握りつぶされた」
 と言ってもいいだろう。
 政府というのは、
「煩わしいことは握りつぶす」
 ということに躍起になっていることだろう。
 他にも問題は山積しているのに、根拠もないことで騒がされては、どうしようもないということになるであろう。
 しかも、そんな自分たちが考える、
「他愛もない」
 ということが、
「政府の命取り」
 ということになるかも知れないと思うと恐ろしいのだ。
 特に、
「他愛もない」
 と思うことが、意外と、他の人は、いわゆる
「一般国民」
 としては、
「他愛もないということでは決してない」
 と思ったとすれば、有権者の目から見れば、
「政府の眼は節穴だ」
 と見るか、そうでなければ、
「政府は分かっていて、いつものように隠蔽しようとしている」
 ということで、国民から、愛層をつかされるということになるであろう。
 それを考えると、
「国家というものが、政府であり、その政府があてにならない」
 ということを分かっているので、国民も、自分たちの間で、政府に対して、
「暗黙の了解」
 というものを持っていたといってもいいだろう。
 そんな中で、有識者がいくら隠そうとも、
「異本人の祖先は、宇宙人なのかも知れない」
 という発想がどこから漏れたのか、本となって出版され、ベストセラーになったりしたものだ。
 それこそ、世紀末にあった、
「ノストラダムスの大予言」
 に匹敵するくらいのものがあったのだ。
 その話というものが、
「あれだけ、説得力があり、論理的で、ほとんどの人が信じた」
 と言われる、大予言であったが、肝心の、
「1999、7の月」
 に、
「恐怖の大王は降ってこなかった」
 ということになる。
 その後続本で、
「実は、その四行詩の裏には、もう一つの暗号が含まれていて、実は。20XX年に何かが起こる」
 ということだという本が出たようだが、
「一度外した予言を、誰が信じるというのか」
 ということで、中には、
「あの本は詐欺だった」
 ということで、本当にその時に地球が滅亡すると思い、全財産をつぎ込んで、何かをしようと思った人も多いだろう。
 そんな連中が、
「詐欺だ」
 というのは、
「どっちもどっち」
 で、
「因果応報なんでは?」
 という人もいないとも限らないだろう。

                 武士道

 日本文化の精神論として、根強く日本人に親しまれているものとして、
「武士道」
 というものがある。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」
 という言葉が有名な、
「葉隠れ精神」 
 というのも、その一つであろう。
 それが、時代においては、
「禁書」
 とされたり、あるいは、
「ベストセラー」
 となったりもした。
 ベストセラーとしては、
「虜囚の辱めを受けず」
 と言われた、
「戦陣訓」
 としての、
「捕虜となることを思えば、潔く命を捨てるのが、日本人であり、大和魂だ」
 ということで、
「死ぬことと見つけたり」
 という、武士道と同じものだという発想になるのである。
 しかも、日本人としては、
「同じ死ぬなら、相手の兵を一人でも巻き込んで死に至る」
 ということで、
「おびき寄せて、手りゅう弾を爆発させて死に至る」
 という、一種の自爆テロに近いものがあったのではないだろうか?
「そんなものはテロではなく、自殺だ」
 という人もいるかも知れないが、実際に、はその通りだった。
 それを、戦時中は、
「玉砕」
 という言葉で正当化していたが、結局は、自殺であることに変わりはなく、
「何と言われてもそれは、きれいごとでしかない」
 ということだ。
 それが、今度は、本当の自爆テロということで、大東亜戦争末期には、
「神風特攻多雨」
 という形になって現れるのだ。
 誰が、
「神風作戦で戦争に勝てる」
 などと思っているというのか、考えられることとすれば、
「いずれやってくる、本土決戦に対して、軍や国民の士気を落とさないといけない」
 ということでの、一種の、
「時間稼ぎでしかない」
 ということなのかも知れない。
 実際に、木製の戦闘機に乗って、燃料は片道のみ、
「敵に落とされるか」
 あるいは、
「敵に突っ込むこともできず、そのあま海に落下するか」
 あるいは、
「敵艦めがけて急降下で、本懐を遂げるか」
 ということのどれかであろう。
 要するに、選択肢の中に、
「生き残り」
 ということは許されない。
 出撃すれば最後、
「帰還はありえない」
 ということである。
 これは、イスラム教などにおける、
「自爆テロ」
 というものに、発想は似ているのかも知れない。
 つまりは、発想は、
「宗教」
 ということになる。
 となると、日本における
「武士道」
 というのは、宗教がらみということになるのだろうか?
 そもそも、宗教という考えも怪しいもので、
「自爆テロ」
 では、
「この世でいいことをしておけば、あの世で極楽にいける」
 ということである。
 その宗教では、
「人殺しを正当化している」
 ということであろう。
 キリスト教などでは、いくつか、おかしなところがある。これはその前進である、
「ユダヤ教」
 にも言えることだが、
「モーゼの十戒」
 というものがあるのだが、それが、旧約聖書にしるされていることから、キリスト教だといってもいいだろう。
 その中の一つに、
「人を殺めてはいけない」
 というものがある。
 要するに、
作品名:歴史が答えを出す周期 作家名:森本晃次