歴史が答えを出す周期
という人は、意外と少なくはないような気がする。
というのは、
「人の顔を覚えられる人の中には、他に大きな欠点を持っていることになるのではないか?」
ということが考えられる気がするからであった。
それを思うと、
「人の顔を覚えられない」
ということが、いかに厄介なことであるのかということが分かるというものだ。
「恥をかきたくない」
という司式が強くのしかかっている状態で、
「自分の素質や能力を、完全否定されているような気がする」
ということになるのであろう。
それを思うと、
「人間、地球人類というものが、他の動物に比べて、柔いものだということになるのであろうか?」
と言えるのだった。
トランスジェンダー?
「トランスジェンダー」
というと、
「性同一性症候群」
というものと同意語と言ってもいいだろう。
「身体は男なのに、心は女性」
その逆である、
「身体は女なのに、心は男性」
というものである。
中には、手術によって、
「性転換」
を行う人もいるという。
ただ、これに関しては、ずっと、
「気持ち悪いもの」
という認識からか、倫理的に、
「許されないもの」
ということにもなっていた。
宗教的なものが絡んでくると、さらにややこしくなるものであって、やっと最近になって、認められるようになっていたのだった。
そもそも、人種差別などが平気で行われていた国が、今は、
「世界の中心」
と言ってもいい国になっているのだ。
そもそも、大航海時代に大陸が発見され、そこから移民が移り住むことで、そこにいた原住民を奴隷にしたりして、勝手に侵略したものを、
「開拓」
という言葉で、正当化したのだから、
「自分たちの理屈」
でしかないと言えるのではないだろうか?
そんな歴史を持っているところなのに、なぜ、
「日本が、満州を占領したことで、自営とは認められない」
などという理屈が言えるのか?
確かに、行動自体は、
「自作自演」
だったのかも知れないが、実際にそこに至るまでの歴史を考えると、
「中国からの反日に対しての嫌がらせ」
だったり、
「のっぴきならない、日本国内の事情」
というものを考えると、
「自営以外の何物でもない」
と言えるのではないだろうか?
歴史というものは、
「どこに正解があるか分からない」
ということでもあるし、
「それが正解なのかどうか、誰が決めるというのか?」
ということを考えると、
「歴史が答えを出してくれる」
という言葉は、
「間違いではないが、それを証明できるものではない」
ということになるであろう。
歴史というものは、そんなに簡単なものではないが、
「歴史というものが答えを出してくれるとでも思わないと、時代を生きることはできない」
という考え方は、間違っているわけではないだろう。
時代というものは、その時々で区切ってみればいいのかも知れないが、
「流れになっている」
という意味では、歴史が答えを出してくれて理宇ということに変わりはないだろう。
そんな中で、最近、日本でだけ、
「人間消失事件」
というものは起こっているが、世界ではどこも起こっていない。
それが、
「日本政府の隠蔽」
ということに繋がっているのであって、ある意味、
「仕方のないこと」
ということで、それまでの、
「グダグダ」
だったと言われる日本政府のやり方からすれば、
「考えられないほどの、素晴らしい考えだった」
ということになる。
もちろん、自分たちが矢面に立たなければいけなくなるのを嫌ってのことであるのは明白であるが、それでも、
「結果良ければすべてよし」
ということで、
「いいことをした」
ということでいいのではないだろうか?
しかし、日本国において、大変な状態などで、世界においてどのようなことになっているのかということは、、日本政府には分かっていなかった。
なぜなら、
「日本では、その傾向は今のところ見られない」
ということで、日本以外の国で、極秘裏に調査が進んでいたのだ。
もちろん、
「国連を動かして」
ということであったが、その内容というのが、
「トランスジェンダーというものを主張する人が増えてきた」
ということであった。
日本では、その傾向は見られないが、日本人の感覚としてなのか、
「トランスジェンダーと同性愛というものを、混同して考える傾向がある」
ということは、諸外国も分かっていた。
確かに、以前は、
「同じくくり」
として見られていたが、
「トランスジェンダー」
というものを主張する人が増えてきて、最初に社会問題が起こった時に、日本でも、その渦中にいた。
しかし、世界的に認められてくると、日本人の中には、その許容というものを、
「少し違っている」
と考える人も若干いたのだ。
それが、
「トランスジェンダーというものと、同性愛」
というものを一緒くたになって考えるという、その考え方だった。
もちろん、皆が皆そうというわけではなく、それこそ、
「偏見の類」
ということなのかも知れないが、このあたりが原因で、
「日本が、世界から、乗り遅れている」
ということになるのだった。
実際に、日本という国は、島国であり、
「閉鎖的なところがある」
ということで、歴史的にも、
「よかった」
と思える時もあれば、
「悪かった」
と感じる時もあるだろう。
それこそが、日本の特徴であり、そして、今の日本というものは、
「歴史が出した答え」
なのかも知れない。
それを考えると、
「日本という国は、世界から遅れているのか?」
それとも、
「世界を凌駕しているのか?」
ということで、その特異性は、世界でも、無視することのできないものであろう。
何といっても、
「開国の際の不平等条約を、幕末の混乱から、明治維新を曲がりなりにも成し遂げて、結果、30年くらいで、不平等条約を撤廃させた」
のだからすごいことだ。
もっとも、今の政府は、
「失われた30年」
と言って、
「バブル崩壊のツケ」
を、一切払拭しておらず、さらにドロ沼へと、日本国民をいざなうのだから、とんでもないことだと言えるだろう。
日本の歴史の中で、同性愛というものを考えた時、一番ピンとくるのは、
「群雄割拠の戦国時代」
ではないだろうか?
「男色」
と言われたり、
「衆道」
などという言われ方もしたりした。
「長い間の戦国の世であれば、女を戦場に連れて行くわけにもいかず、戦場という一種異様な世界において、いつ命がなくなるか分からないという状況で、精神状態も、モラルや倫理の則るというわけにもいかない」
ということであろう。
戦国時代において、戦場で、
「男同士の寵愛」
というのがあっても、無理もないことだ。
だから、戦国大名や戦国武将では、
「あの人は男色だった」
と言われることも多い。
「それだったら、どうして、大名などは、側室をたくさん持って、一夫多妻制のようなことをするんだ?」
と言われるかも知れないが、
作品名:歴史が答えを出す周期 作家名:森本晃次