三角形の関係
もっとも、吸収する側も、余計なものを吸収することで、自分たちの稼いだ利益をあちらに充当するということになり、決して、得なことではない。あくまでも、
「会社だけが、得をする」
ということにしかならないだろう。
だから、残ったとしても、まるで、針の筵状態である。
もちろん、会社を辞めれば、職を求めてさまよっている亡霊がたくさんいて、その連中からも、自分のことが、亡霊にしか見えていないことだろう。
それが、バブル崩壊の時の、
「悪夢のようなもの」
といってもいい。
そんな時代に、仕事を辞めて、どうなるというのか?
だから、どっちに行っても、
「地獄でしかない」
ということになるのであった。
そんな時代があったのを知っている人は、だいぶ少なくなっただろう。
しかも、それ以前のバブル景気に沸いていた時などを知っている人は、
「天国からいきなり、奈落の底に叩き落された」
ということを感じた人も、そろそろ、定年退職を迎える時期に差し掛かっていることだろう。
当時のバブル経済が崩壊する前に、少し前兆のようなものがあった。
就職に関して、一時期就職難だった時期があったのだが、、それが、
「それまで、一定数の採用を行っていた大企業が、軒並み、その年の採用を見送った」
という時期があったのだ。
実際に、その分が、中小企業に集まり、競争率が激化したばかりか、最初から優秀な連中を相手にしなければいけないのだから、当然、相手になるわけはない。
そうしているうちにでも、何とか就職できたのであればいいわけだったのだが、また翌年から、大企業は、採用し始めるようになったのだった。
それを感じると、
「俺たちの時代は、何だったんだ?」
ということであった。
しかも、そこから数年後には、
「空前の売り手市場」
と言われるようになり、
「大企業が優秀な人材を他にとられないように、社員の抱え込みということで、入社前からの。大盤振る舞い」
というものがあったのだという。
たとえば、
「研修と称して。海外旅行に連れていってもらう」
というようなことであったり。
「宴会などでの、おもてなし」
というものがあったりと、
「企業は、ありとあらゆる方法で、優秀な人材を確保しようとした」
ということである。
考えてみれば当たり前のことであり。
バブル経済というのは、
「事業を拡大すればするほど、儲かる」
というものなのだ。
だから、事業家くっだいすれば、その分、人手がいるということで、
「将来は、新規事業として、子会社を設立すれば、そこの取締役候補がいる」
ということになるのだ。
当時は、まだまだ、
「年功序列」
であり、
「終身雇用」
というものだった。
会社に入社すれば、定年まで勤め上げるというのが当たり前の時代であり、新入社員は皆、そのつもりで入ってくるのであった。
中には、業界の性というもので、
「入社一年目で、3割くらいしか残らない」
ということを見越して、
「毎年、数多くの社員を入れる」
という企業がある。
だから、
「募集が多い」
といっても、それは、見えている部分だけのことで、まさか、相手が、
「辞める人数を見越して雇っている」
などとは思いもしないことで、入ってびっくり、ついていけなくなって、挫折する人が多いのだ。
それだけ、研修期間に覚えなければ多かったり、規律が厳しかったり、実際に配属されてからのことを考えると、
「こんなはずでは」
ということで、
「だったら、早めに辞めて、他の会社に」
と思う人もいただろうが、実際には、そんなことを考える余裕もなく、
「一刻も早く辞めたい」
という思いで、辞めていく人が多いということであろう。
それを考えると。
「会社というものを、簡単に信じてはいけない」
ということになるのだ。
それが、この
「売り手市場」
というところから始まっている。
いや、もっといえば、
「大企業が採用を見送った」
というその年を前兆として、続いていたことなのかも知れない。
売り手市場で、いかにも、
「会社からの神輿に乗る形で入社したはいいが、そのまた数年後には、悲惨なことが待っている」
というわけである。
この時の、
「売り手市場」
というのは、まるで、
「ろうそくの炎が、消える前にパッと明るく光る」
というのと似ている。
というのは、
「売り手市場」
というのも、2年間くらいのもので、その後に、
「バブルが崩壊」
したのだった。
それまで、
「ありえない」
と言われた、
「銀行の破綻」
に端を発して、どんどん、企業が金回りが悪くなり、どんどん、破綻していく。
それも当たり前のことで、銀行側は、それまでどんどん貸してくれて、
「過剰融資」
までして、銀行自体が儲けようと思っていたものが、破綻したところを見て、
「明日は我が身」
ということで、今度は、思い切り、貸し渋りを始めたのだ。
企業とすれば、
「銀行が何とかしてくれる」
とでも思っていたのかどうか分からないが、銀行は完全に、保身に走り、
「金を貸すなどもっての他」
ということで、それまでの債権が凍り付かないようにしないといけなかったのだ。
それを思うと、
「銀行が金を貸してくれなければ、中小企業など、ひとたまりもない」
なぜなら、
「お金が回っていくことで、商売ができたという、自転車操業をしている企業ばかりだった」
ということである。
うまく回っている間はいいのだが、一か所でもそこかが滞ってしまうと、そこで停滞して、金が回らなくなる。
それが、自転車操業の命取りとなるのだ。
「不当たりを2回出すと、倒産」
と言われていたが、そんなものは、あっという間のことだった。
一度、不当たりを出すと、次は、もうあっという間のことであり、
「待ったなし」
だったといっても過言ではないだろう。
それを思うと、
「バブルというもの自体が、大きな、自転車操業だったのではないか?」
と思うのだった。
それは、もちろん、その通りだと思うのだが、問題は、
「そのことに、どうして誰も気づかなかったのだろうか?」
ということであった。
しかし、それを分かっていたのが、この街出身の政治家だったということを知っているのは、
「誰も今では残っていないだろう」
ということであった。
そんな、
「会社だけが得をする」
という時代に出てきた今の世の中において、この政治家を裏で支える、参謀と呼ばれる人がいたことは、あまり知られていない。
まるで、昔でいえば、
「忍者のような存在」
といってもいいだろう。
参謀というと、
「軍師」
と呼ばれる人がいて、戦国大名の多くは、そんな軍師に支えられているといっても、過言ではなかった。
もちろん、軍師という立場ではなく、
「家老」
という立場で、しっかりとした、会社の中では、
「相談役」
と言った形の人もいるということであろう。
軍師というと、
「黒田官兵衛」
「竹中半兵衛」
「山本勘助」
「太原雪斎」
「角隈石宗」
などが有名である。