小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

三角形の関係

INDEX|3ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

 だから、特攻隊の人の遺書などには、育ててくれた親への感謝と、
「天皇陛下のために、立派に死ぬことを喜んでほしい」
 ということが、書かれていたりするのである。
 それが、大日本帝国というものであり、天皇主権の国家だったのだ。
 それが、今の平和ボケといってもいい、日本国にはないものとして、
「戒厳令」
 というものがあった。
 これは、いわゆる
「有事」
 と言われる、特に災害であったり、クーデターなどによって、治安が確保できない場合に発令されるものであった。
 というのは、災害などでは、ライフラインも遮断され、情報が錯そうしてしまうことが往々にしてあり、暴動が起こったり、デマのせいで、謂れのない虐殺が起こったりと、
「普段であれば、あり得ない」
 と思うようなことが平気で起こったりする。
 そのために、
「機能しなくなった自治体に変わって、軍部から派遣された人を、司令官として、一時的な臨時政府を作る」
 ということだ。
 その司令官が、全権として、最優先として、治安維持に努めることになるのだが、それが、日本における
「戒厳令」
 であった。
 戒厳司令官の命令は絶対で、もし、自由を一部制限することであっても、
「命令に従う必要がある」
 ということである。
 特に、大日本帝国の時代に存在した、
「戒厳令」
 というものは、今までに3度発令されたのだ。
「明治、大正、昭和」
 と、それぞれ、大日本帝国が存在した時代に、一度ずつあったということだった。
 まず、最初は、日露戦争終結時のことであった。
 日露戦争といえば、
「明治弱小日本と呼ばれていた国が、世界の大国の一角を担うロシアに対して、宣戦布告した」
 ということで話題になった。
 確かに、その少し前に、アジアの大国で、
「眠れる獅子」
 と言われた、清国を、日清戦争によって打ち破っている。
 これは、そもそも、朝鮮半島に対しての権益と、冊封関係を結んでいて、宗主国としてのメンツを持っていた清国との闘いだったのだ。
 日本は、ロシアの南下政策の防波堤という、
「安全保障」
 の問題と、日本の増え続ける人口を支えるだけの食糧問題などもあって、当時鎖国をしていた朝鮮を、砲艦外交で開国させ、さらに、清国からの独立と、近代化を進めていたが、どうしても、そうなると、日本の幕末のように、世情は混乱してしまうのだ。
 日本だって、最初は、
「尊王攘夷」
 というのが、主流の考えだったものが、
「尊王倒幕」
 に変わったではないか。
 当時の朝鮮も、
「攘夷」
 というものを基本的に考えた旧軍隊と、攘夷思想にあったが、すでに政治から退いていた、国王の父親である、大院君を担ぎ出し、クーデターを起こした、
「壬午軍乱」
 であったり、
「日本の明治維新に倣って、日本のやり方で国を改革させよう:
 という一派が、クーデターを起こしたが、結局、清国の駐留軍に鎮圧されたという、
「甲申政変」
 というものの、二つを経て、
「朝鮮半島をめぐって、日清両国は、一触即発の状態になった」
 ということであった。
 結局、朝鮮半島で、戦禍は生まれ、戦争となったのだが、意外なことに、日本の圧勝だったのだ。
「この時のため」
 ということで、
「富国強兵政策」
 というものを、真剣に推し進めてきた大日本帝国と、
「欧米列強に、それまで何度も戦争を挑んでことごとく負けてきたことで、国力が落ちているうえに、実質上の国家元首であった、西太合という人物が、政府を私物化していたことで、軍部では予算が全然足りず、東洋一の軍事大国という面影は、すでにどこにもなくなっていた」
 ということであった。
 そんな状態で、戦争への士気も全く違ったのだから、そもそもが、
「戦争になるわけもない」
 ということで、日清戦争は、スムーズに勝利を得た。
 ただ、下関講和条約で得た、遼東半島だったが、それをよしとしない、
「フランス、ドイツ、ロシア」
 の三国から、
「遼東半島を返却」
 という話が出たのだが、さすがに、その三国と一戦交えるわけにはいかず、不満が残ったが、遼東半島を返したことで得られた賠償金で、さらなる、
「富国強兵」
 を進めることになったのだ。
 日清戦争に勝てた理由のもう一つに、
「西太合による、贅沢三昧」
 というものがあった。
 国家が衰退し、亡国となっていくための、典型的なステップといってもいいだろう。
 しかも、この独裁制が、その後に起こった、
「義和団事件」
 によって、決定的なことになるのだが、それは、
「扶清滅洋」
 という言葉をスローガンに、列強に対して反乱を起こした、義和団という団体に乗っかる形で、西太合は、何と、
「9か国に及ぶ、列強に対して、宣戦布告をした」
 ということであった。
 当然、列強は、
「居留民や、領事館保護のために、派兵してくるのは当たり前だ」
 ということで、
「多国籍軍」
 というものが形成され、北京は、戦禍にまみれた。
 それによって、清国軍など、ひとたまりもなく。結局義和団に乗っかってしまった西太合も、彼らを裏切るしかなくなってしまったのだ。
「列強に宣戦布告など、当時の清国の軍事力、経済力を考えて、限界にきていることも分からずに行ってしまった戦争」
 そんなもの、勝てるわけはないということであった。
 結局清国は、それから数年で滅亡することになるのだが、日本は、ロシアの脅威と直面していた。

                 戒厳

 日本では、戦争に対して、賛否両論があった。
 伊藤博文などの、反戦論者は、
「ロシアに宣戦布告など無謀だ」
 ということであったが、他の人たちは、逆に、
「やるなら今しかない」
 ということで、その下準備として、
「日英同盟」
 を結ぶことができたのは、成功だったといってもいいだろう。
 この同盟は、
「両国の、ロシアに対しての、共通の利害というものがあったからだ」
 といってもいいだろう。
 それが、
「ロシアの南下政策」
 だったのだ。
 ロシアは、
「不凍港」
 というものが欲しかった。
 極東であれば、ウラジオストックから、満州を経て、朝鮮半島。このルートを納めった居と思っていた。
 ここに、清国から譲渡された、
「満州鉄道」
 を、自国のシベリア鉄道の延長戦として、満州の港を、極東基地にしたかったのであろう。
 そのいい例が、遼東半島の先端にある、
「旅順港」
 である。
 ここの旅順艦隊は、ウラジオストックの、
「ウラジオ艦隊」
 と合わせて、
「極東艦隊」
 というものを形成していた。
 だから、旅順港には、東洋一と言われる、大要塞を築くことになったのだ。
 イギリスとすれば、
「クリミア半島であったり、アフガンなどが、ロシアの目指す不凍港」
 ということで、どちらにしても、イギリスの植民地を脅かすことになるのだ。
 日本においての、朝鮮半島が、
「インド」
 であったり、
「ギリシャやトルコ」
 などの地域だったりするのだ。
 それを考えると、
「日本と、イギリスは、立場的によく似ている」
 ということで、その当時まで、
「栄光ある孤立」
作品名:三角形の関係 作家名:森本晃次