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三角形の関係

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 と言われることで、
「日本には、戒厳令はありえない」
 ということになった。
 だから、もし、
「何かの制限を認めなければいけないものができた」
 として、他国であれば、
「罰則」
 というもので、国民の自由を制限するということになるのだが、日本では、
「戒厳令というものはない」
 ということで、国民の求めるものとして、
「要請」
 という形にしかならないのだ。
 だから、罰則というものは存在せず、あくまでも、
「要請」
 ということなので、
「従うか従わないか?」
 ということは個人の自由である。
 しかし、そのために、
「世間的にどう思われるか?」
 ということが別であり、
 あくまでも、
「国家的に」
 ということと、
「個人的に」
 ということは別であり、
「個人的に制裁があるとすれば、それは、モラルや倫理というところでの考え方」
 ということになり、
「その方が法律的な観点よりも、核心をついている」
 と言っても過言ではないだろう。
 社会主義では、
「国家が、個人の自由を蹂躙する」
 ということから、
「政府のいうことに従わなければ、自由の制限どころか、刑事的な罰則もありえる」
 ということで、
「国家体制に逆らう」
 というのは、それこそ、
「国家反逆罪」
 であったり、
 さらには、国家の機密を他国にばらしたりなどすれば、
「国家売奴」
 ということで、国家反逆と甲乙つけがたい内容での、
「極悪罪」
 ということになるであろう。
 結局、
「社会主義」
 というのは、
「独裁国家でなければ、成立しない」
 と言ってもいいだろう。
 ファシズムというものを、
「独裁国家の代表」
 と言って、毛嫌いしている人も多いだろう。
「ファシズム」
 というものの発生がどういうことなのかというと、ナチスの場合は、
「第一次世界大戦の敗北」
 によって、払いきれるわけのない賠償金を課せられ、sらには、領土も減らされ、軍部も縮小され、明らかに、
「息の根を止められた」
 という形になったドイツにおいて、
「ドイツ民族の優位性」
 というものを説き、当時の世界恐慌によって、まったく身動きが取れないところにもってきて、
「強いドイツ」
 というものの復興を、
「独裁政権」
 という、責任をすべて負うという政府の台頭が、ナチスだったのだ。
 ナチス党は、完全に政権を掌握することで、国民を一つにまとめ、
「侵略」
 というものを、
「民族の統一」
 ということでの大義名分とすることで、
「ファシズム」
 というものを、
「正当化する」
 ということになるのであろう。
 イタリアの、
「ファシスト党」
 というもののスローガンも、
「ローマ帝国の栄光を取り戻す」
 ということで、
「強力な政府を独裁国家に求める」
 ということで、ナチスと同じなのであろう。
 どちらにしても、
「持たざる国」
 としての、苦肉の策なのかも知れない。
 ここで出てきた政治家は、
「民主主義ではダメ」
 ということを、
「バブル崩壊」
 を予知した時点で分かっていたのだった。
 しかし、その時に、
「ファシズムなのか?」
 あるいは、
「社会主義なのか?」
 ということになるのであろう。
 確かに、
「ファシズムというのは、第二次大戦前夜から、戦時中まで」
 ということであり、それ以降は、
「ファシズムは、極悪」
 ということで、現れるものではなかった。
 じゃあ、
「日本における体制は、ファシズムではないのか?」
 ということであるが、体制としては、
「民主主義から見れば、ファシズムに近い」
 と言ってもいいのではないだろうか?
 そもそも、
「大日本帝国は、反共産主義」
 ということで一致していて、
「シベリア出兵」
 というのも、
「大日本帝国軍が最大の兵力を出している」
 ということになるのである。
「信号機」
 というものの、3つの色の関係というのは、
「三すくみ」
 ではないかと思えた。
 その発想は、
「じゃんけん」
 というものと似ているようで、
「一つの色に混ぜ合わせると、真っ白になることで、その真っ白という色は、そのまわりの色に太刀打ちできるものではない」
 という考え方であった。
 そして、三すくみの考え方は、それぞれに抑止力を持っていて、その均衡というものは、
「円を描くように回っている」
 ということであろう。
 つまりは、
「三すくみというのは、先に動いたものが、やられてしまう」
 ということである。
 これは、
「将棋で一番、隙のない布陣というのは何なのか?」
 ということであるが、それが、
「一番最初に並べた形である」
 ということなのだが、それは、
「一手指すごとに、そこに隙が生まれる」
 ということで、
「三すくみという考え方と似ている」
 ということになるのであろう。
 三すくみというのは、あくまでも、
「抑止力」
 という考え方での、
「将棋の最初の布陣」
 と同じことではないだろうか?
「三すくみ」
 というものとよく似たもので、
「三つ巴」
 というものがある。
 これは、
「三すくみ」
 のように、
「それぞれに、力関係がしっかりすることで、全体的な力の均衡によって、バランスが保たれることで、抑止力というものが働いている」
 としてのものではなく、
「三つ巴」
 というのは、それぞれの力が拮抗することで、
「それぞれに、バランスを保っている」
 ということである。
 だから、
「三すくみと三つ巴との違い」
 というのは、
「三すくみは、必ず、三つの関係でなければいけない」
 ということであるが、
「三つ巴というのは、2つであっても、4つであっても同じであるが、その際に、最後の一つである最強を決めるというやり方に、方法が決まっている」
 ということで、
「それぞれの数に問題がある」
 というだけのことであろう。
 そんな、
「三すくみ」
 と、
「三つ巴」
 というもので考える時、
「どちらが、臆病なものなのだろうか?」
 と考える。
 参謀の死体を発見した男は、
「自分は臆病だ」
 と思っていたのだが、その時、
「三つのものの関係」
 ということを感じたのだ。
 そこで、
「三つ巴」
 と、
「三すくみ」
 というものを感じたのだが、それが、どちらなのか、すぐには分からなかったのだが、それが、
「三すくみだ」
 と感じたのは、
「俺が臆病だ」
 ということからではないだろうか。
 そんな中で、臆病と感じたその根拠として、
「この人は、何かの組織にやられたのではないだろうか?」
 と感じたことだった。
 組織を考えた時、
「社会主義」
「民主主義」
「ファシズム」
 という、それぞれの、
「三角形の頂点」
 というものを考えた時、
「三つ巴ではないか?」
 と考えたことで、
「今回の殺人は、本当に三つ巴だろうか?」
 と感じたことで、頭の中に浮かんできた、
「三すくみ」
 という関係が、頭をもたげてきたのだった。

                 大団円

 死体発見をしたことで、
「あれは、政治家の参謀ではないか?」
 というのが分かった時、
作品名:三角形の関係 作家名:森本晃次