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三角形の関係

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「仕事が終わってからも来れるように、診察時間は、午後9時まで英ふょうしているのであった、
 何度かその歯医者も利用したことがあったが、
「いつであっても、歯医者というのは嫌なものだ」
 と感じさせられる。
 一つは、その独特の匂いの強さであり、さらには、歯を削る時の、あの
「キーン」
 という、まるで頭を削られるようなあの音を感じた時であった。
 バス停を降りたところにあるのは歯医者ではなく、外科だった、
 本来なら、
「歯医者よりも、外科の方が、その独特な匂いは強いはずで、病院の中に入ってからであれば、歯医者の方が、先にその匂いに慣れるのであった」
 と思っていた。
「痛みが匂いに比例する」
 ということであれば、
「歯医者の匂いが過剰に反応させるのではないか?」
 と感じるのは、無理もないことで、その日は、歯医者を通りかかった時は、そこまで感じなかったにも関わらず、その痛みが
「まるで時間差でやってきたかのように、頭痛を感じさせるのだった」
 それを思うと、
「この頭痛の痛みは、歯医者の匂いによるものではない」
 と感じた。
「この痛みは、一定の時間が経てば、その痛みは遠ざかっていくものだということで、頭痛というよりも、その気持ち悪ささえ取り除けば、自然と、頭痛も引いてくるのではないだろうか?」
 と感じさせるのであった。
 痛みを感じる時、どこまでそのきつさが残っているかということは、
「頭痛を伴った吐き気がもたらすものは、腰痛を伴うものだ」
 と感じたことで、
「最近は、外科においても、その痛みの酷さを感じる」
 ということで、
「そのうちに、外科に通うことになるのではないか?」
 と前兆のようなものを感じるのだった。 外科を通り越して少し歩くと、そこには、普段から意識することのない神社だった。
 しかし、その日は、やたらと、その鳥居の赤い色が目立っているような気がしたのだ。それは、その鳥居の色が、
「精神状態によって、見え方が違っている」
 ということを無意識のうちに感じていたからだった。
 その鳥居の色が、普段であったり、明るい時間帯、特に、午前の10時前後から、夕方の日が暮れるくらいまでは、オレンジ色に感じるのだ。
 それは、
「光を反射させる効果がある」
 という意識があるからで、しかも、光が当たった時の、その部分は、眩しいくらいの反射を感じるのだ、その箇所だけが、オレンジがさらに眩しさを覚え、一瞬、黄色に見えるくらいだった。
 そして、
「ろうそくの炎」
 といってもいいくらいのその明かるさが、あっという間に光が奪われたかのような、夕闇が迫ってくると、そこは、
「風が一瞬止まる」
 といわれる、
「夕凪の時間」
 であったり。または、
「魔物に逢う時間」
 と言われる、
「逢魔が時」
 と言われる時間であったりする。
 特にこの時間は、
「交通事故のようなものが起こりやすい時間帯だ」
 という。
 そこから、昔の人は、
「魔物に逢いやすい」
 ということで、この辺りの時間帯を、逢魔が時というようになったのであった。
「なぜ、事故が起こりやすいのか?」
 ということは、実は科学的には分かっている。
 というのは、
「目に見える」
 といいう現象は、太陽光線の影響によるものだということは、分かり切ったことである。
 その作用は、夕方になると、その光の強さと角度によって、
「モノクロに見える」
 という瞬間が、少しの間続くのだという。
 人間には、錯覚があるのか、暗くなり罹っていることで、見えにくいという理屈までは分かっているのだが、モノクロになるというところは、錯覚として、感じることのできないものなのではないだろうか。
 それを考えると、
「人間というものが、どこまで見えているのか自分でも分からないところが錯覚を呼び、メカニズムの分からない人は、魔物のせいにすることで、この時間帯が危ないということを分かっていながら、気を付けるといっても、そのすべが分かっていないのである」
 といってもいいだろう。
 そんな時間帯は、特に、オレンジ色が、鮮明に見えるというのだった。
 そして、あとに襲ってくるのは、
「夜の静寂」
 というものだったのだ。
 夜になると、まったく色を感じなくなるが、
「逢魔が時と呼ばれる時から、日が落ちるまでの、数十分くらいという短い間、この鳥居は、完全に、真っ赤になる」
 ということであった。
 その時に感じるのは、
「やはり、ろうそくの炎が消えかかった寸前を思わせ宇」
 というのであった。
「明るさと色」
 この関係は、
「交わることのない平行線」
 というものを描いていて、難しい感覚であった。

                 三角形

「鳥居が赤いのが、どういう感覚なのか?」
 ということを考えたことがあったが、
「これは鳥居に限ったことではなく、
「色の違い」
 というものを意識させられる時というのは、精神的なことが影響しているという時が結構多かったりするのだった。
 例えば、光が違って見えるという場合、
「同じ色を見ていても、感覚的に違って感じられる」
 ということが、往々にしてあったりする。
 そのいい例として、
「信号機ではないか?」
 と思うのだが、
「信号機というと、普通に、青、黄色、赤という形で表現されるだろう」
 といえる。
 青が、
「進め」

 黄色が、
「気を付けて進め(ここが曖昧なのだが)」
 赤が、
「とまれ」
 ということであるというのが、ほぼ皆さん共通の認識であろう。
 慣れてくると、赤の部分を、
「一瞬であれば、気を付けて進め」
 と思っている人もいて、危ない存在のやつもいたりするが、それを
「地域性」
 ということで片付けようと考えている人もいたりするだろう。
 ただ、ここでは、そういう理屈も問題ではなく、あくまでも、
「色の問題」
 であった。
 黄色に関しては、そこまでの意識がないが、青と赤に関しては、
「時間帯によって、見えている色の感覚が違っている」
 ということであった。
 というのも、前述の、
「時間帯によって、光の強さが違う」
 ということからか、例えば、青信号の場合は、
「昼間などの時間帯のように、明るい時間帯の時は、緑色に見えるのに、夕方であったりの、ろうそくの炎が消える前であったり、魔物に出会うという、相馬が時と呼ばれるような時間帯であったりすれば、青が今度は、原色のように、くっきりと見えるのだ」
 ということである。
 特に夕方の、明かりというのは、いわゆる
「逢魔が時」
 というのは、光の加減で、
「モノクロに見える」
 ということで、余計に、原色を強く見せようとするものなのかも知れない。
 それは、
「人間が、錯覚に負けないようにしようという意識が、潜在的に働いているからなのかも知れないが、それだけ、逆にいえば、見える範囲を狭めていて、ろうそくの炎のように、最後の抵抗という意識があるのかも知れない」
 だから、昼間の、十分ば光の強さを受けることのできる時間は、無理に、原色でハッキリさせる必要などなく、明かりをコントロールするという意味で、
「緑に見える」
作品名:三角形の関係 作家名:森本晃次