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三角形の関係

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 しかし。今までに辞めていった人は、その本質を知る前に皆辞めていっている。
「これくらいのことであれば、しゃべられても、問題ない」
 という程度のことで、もっといえば、
「今の彼らが知りえた知識であれば、下手にしゃべられても、本質と違ったところをしゃべるので、却って、しゃべられた方がいいくらいだ」
 ということになるのではないだろうか?
 そんなことを考えていると。
「やつらの政治的な表向きな市政とは違う裏の顔があるということになるのである」
 と言われるが、そんなものは、
「政治の世界であれば、どこにだってあることではないだろうか?」
 ということであった。
 今の時代において、いや、
「昔から変わっていないこと」
 として、
「政治家が、本当のことを話すわけがない」
 ということである。
 一つを攻められると、行くと織物、
「言い逃れ」
 というものができていて。そのパターンごとに、マニュアル化されている。
 参謀連中は、
「絶対に、政治家を守らなければいけない」
 ということであり、本当のことではないことを、
「いかに、本当のように話すか?」
 ということが、その政治家の手腕だったりするのだ。
 表向きの、
「国民のため」
 などというものは、正直。
「できようができまいが、選挙で落選さえしなければいいんだ」
 ということであった。
 本当であれば、
「票が多ければ多いほどいい」
 ということになるのだろうが、彼らの、
「主な仕事」
 というのは、あくまでも、裏稼業ということである。
「表稼業というのは、政治家に慣れるだけの手腕があれば、誰にでもできる」
 と思っていた。
 そして、
「本当の政治家というのは、裏稼業をできるかできないか?」
 ということで決まってくるということなのだ。
 つまりは、
「裏稼業」
 というのは、
「汚い仕事」
 の代名詞だといってもいい。
 しかも、政治家は、表では、
「絶対に、自分が汚れてはいけない」
 ということであった。
 あくまでも、表が汚れていないから、世間を欺いて、裏稼業ができるのだ。
 だからこそ、
「参謀」
 というものが必要で、いざとなれば、
「影武者」
 となって身代わりに死ぬような人物の確保も必要だった。
 参謀をいうものが、どういうものなのかというと、前章における。
「参謀の種類」
 の件を見ると分かることだろう。
 バブル経済の頃は、
「企業戦士」
 なる言葉が流行り、
「24時間戦えますか?」
 などという、スタミナドリンクの宣伝もあったくらいだ。
 そんな時代から、参謀というものが、裏で暗躍していたことは、皆の
「暗黙の了解」
 だったのではないだろうか。
 それこそが、
「世間を欺く」
 あるいは、
「裏の暗躍」
 ということを主なこととするのは、バブルが崩壊しようがしまいが、同じことだったのだ。
 彼が考えていたのは、どこまでだったのかは分からないが、少なくとも、
「バブルの崩壊というのは、十分にありえる」
 ということであり、
「どうして、誰もそのことに気づかないのだ?」
 ということでもあった。
「実際には気づいてはいるが、もし、その危機を口にすれば、世間は混乱してしまうに違いない」
 ということと、
「それを口にしたところで、世間からは、せっかくうまくいっているものに水を差す」
 ということで、
「何も生み出さない」
 という発想から、こっちが、村八分にされてしまう
 と考えるからではないだろうか?
 何といっても、
「世の中は、世間を無意味に惑わすことを嫌う風潮がある。たとえば、かつてガリレオが、地動説を唱えた時、世間を惑わす思想だということで逮捕され、拷問されたりしたことが、いい例ではないか、それを考えると、共通していえることは、世の中を惑わすは?そうが、世の中をいかに惑わすか?」
 ということになるのである。
 今の時代において、そんな発想がいかに、危険思想だといわれるか、特に日本のようなところは、平和ボケという意味で大きいのかも知れない。
 特に政治家などにおいては、
「自分が現役の時代に、そんな厄介なことが持ち上がっては困る」
 と考えている人も多いだろう。
 もし、バブル経済において、陰りが見えてきたとしても、実際に、政府のテコ入れが始まる時期は、まだまだ数十年も先のことだろう。
 と思っているかも知れない。
 確かに、いつ頃から、ここまでのバブル経済という未曽有の好景気がやってきたのか分からないが、簡単にできたものではないだろう。
 だから、もし陰りが出てきたとしても、そう簡単に瓦解するはずがないと思われていたことだろう。
 そうなると、政治家というものが、保身に走るということが当たり前の世の中だと、
「自分の時代ではなくなれば、俺たちにとって、どうすればいいのかということは、次の世代が考えればいい」
 ということになるだろう。
 もちろん、歴然とした将来に対しての問題が持ち上がれば、
「分かっていることを先延ばしにして、それでも政治家か?」
 と言われることであろう。
 だから、かなり前から、
「少子高齢化」
 などという問題にも、担当省庁を作り、大臣を置くということで、対応をしてきたのだった。
 しかし、実際に、部署を作ったり、大臣をおいても、結局、どうすることもできない。
 あくまでも、
「やってますアピールをいかに示すか?」
 ということだけしか考えていない政府なのだから、それも当たり前だろう。
「どうせ自分たちの時代に、政権を揺るがすような問題になるわけはない。問題が発覚したから、やってますアピールをしているだけで、本当の対応などできるわけもないということになるのだった」
 これが、政府の考え方で、バブル経済の先行きなど、曖昧でしかないものの、事を荒立てるようなことを政府がするわけもないということであった。
 だから、
「俺たちが、そんなことを分かっているのかいないのか、しょせんは、国民に分かるわけもない」
 ということで、
「危惧」
 というものはあっても、それを解決するすべどころか、ハッキリしない部分が多いだけで、ただ不安に駆られているだけでは、どうなるものでもないのであった。
 そんな
「バブル崩壊」
 という問題を、この村出身の先生は、メモ程度では、かなりのところまで分かっていると書き残していた。
 少なくとも、具体的な内容として
「銀行の破綻」
「生き残りのための、吸収合併政策」
「非正規雇用の拡大」
「終身雇用の崩壊」
 というところくらいまでは分かっていたようだ。
 もっとも、
「銀行の破綻」
 ということが、分かってくれば、他のことは、ちょっと考えれば分かることではないだろうか?
 そして、もう一つ言えることは、
「分かったところで、政府がどうにかできるというものではない」
 ということであった。
 だから、バブル崩壊というものは、
「世の中の本来の動き」
 というものに戻すという、本来の方向に抗うということになるのかも知れない。
 それだけ、
「本来の方向に抗う」
 というおかしな発想になるというほど、
作品名:三角形の関係 作家名:森本晃次