捏造が、偽造となり、真実になった事件
それまで、汗を掻くことはないので、身体に熱がこもる形になるので、結構きついのだが、それも、ある意味仕方がないということである。
そして、ある程度までくると、今度は、熱の上りがピークを迎え、少しずつ楽になってくるにしたがって。汗を掻いてくることになる。
この時の汗の量は、尋常ではない。
「脱いだ下着を絞れるくらいの汗の量で、下着が何枚あってもキリがない」
というくらいの汗を掻くことだろう。
この時に、濡れた下着を着替え、身体を拭いておくと、かなり楽になるということであるが、この時に、一気に身体を冷やすのである。
実際には、身体を冷やそうとまでしなくても、解熱剤が効いてきているということもあって、一気に熱が下がり、それまでにあった。寒気や悪寒、そして、頭痛などの症状が、次第に収まっていくということを感じるのだ。
一気に熱が下がってくるのを感じるので、熱を測ると、それでも、まだ結構な熱がある。それだけ、完全に治るまでには時間が掛かるということで、インフルエンザというのであれば、そこに、ウイルスが介在しているということで、人に伝染させないようにしなければいけないということで、医者が言った、
「一週間は、学校に行ってはいけなせん」
ということになるのだ。
学校に、
「インフルエンザが陽性だったので、しばらく学校をお休みします」
というと、学校側からも、
「お大事にしてください。しかし、熱がもし引いたとしても、一週間は、学校を休ませてください」
ということになるのであった。
当然のことながら、
「学校のいう通りにしなければならず、意外と、4日目くらいから楽になったと思ったとしても、学校はおろか、どこにも出られないというのは、却ってつらいかな?」
と感じるほどであった。
何しろ、身体はいくらでも動くという、小学生時代。
状況に、頭が忖度できるほどの大人になったわけではないので、
「どこにも出かけることができない」
という状態が、切羽詰まったかのようになっているのが、嫌だったのだ。
「伝染病というものは、インフルエンザに限らず、本当なら、隔離されなければいけないのだろうが、今の日本には、隔離しないといけないような病はないだろう」
ということだったのだ。
ざわつきを感じながら飲んでいると、今までに感じたことのなかった場所が、
「ここまで騒がしいとは?」
と感じると、その日は、普段に比べて、酔いに周りが早い気がした。
それも、心地よいいつもの気分になれるのではなく、どこか、頭痛のようなものがしてくるのを感じた。
変な酔い方をする時は。事前に分かるというもので、頭痛がしてきそうになると、すぐに飲むのをやめたものだ。
しかし、この時は、頭痛の兆候があるまでに、少し時間が掛かった。そのため、頭痛を感知することができず。気が付けば、頭が痛くなっていた。
その時の痛みというのは、普段のような、
「ズキンズキン」
という痛みとは少し違い、何か、頭全体が重たく感じられたのだ。
首の奥が、まるで筋肉痛であるかのようで、最初は、これが、頭痛だとは、ずぐには思えないくらいだった。
それが頭痛だと分かってくると、今度は、目の前が、よく見えなくなってきた。
「飛蚊症」
と呼ばれるようなもので、目の焦点が合わず、まるで、目の前にクモの巣が張っているかのように見えてくる。
「頭痛からきているんだろうな」
と思ったが、どうも、いつもとは逆だということを感じていた。
たまに、頭痛に吐き気を伴うような時があり、若い時は、よく病院に駆け込んだこともあったのだが、その場合は、
「先に、飛蚊症が襲ってきて、少し収まってきて、目の焦点が合ってくると、今度は激しい頭痛に襲われる」
というのだ。
「その時、まるでセットのように、吐き気が襲ってきて。頭痛が収まると、吐き気も収まるということで、病院では、頭痛薬と吐き気止めの2種類をもらったものだ」
というのを思い出していると、
「今回は逆なんだよな」
と感じた。
ただ、まったくの逆というわけではない。この時の頭痛は、
「飛蚊症が襲ってきても、治るものではなかった」
と考えると、田丸は、さらに厳しいことを感じたのだ。
というのは、
「この頭痛は、普段と違うものなので、少しずつ収まってくるだろう。しかも、飛蚊症の間におさまってしまうと、今度はそこからが、いつものことのように、飛蚊症が引いてくると、今度はいつものような、吐き気を伴った頭痛が襲ってくることになるのではないだろうか?」
という思いであった。
なるほど、今回の最初の頭痛は、
「最初に襲ってきたから、きついと感じるのだが、これが、いつもの飛蚊症の後では、そこまでひどいということはない」
ということだったが、
「それがなぜなのか?」
ということを考えると、分かった気がした。
「そっか、最初の頭痛には、吐き気を伴っていないんだ」
という感覚である。
吐き気が伴うからこそ、頭痛の酷さが自分にとっての、果てしなさを感じさせ、
「本当に、この頭痛は治るのだろうか?」
ということまで感じさせるほど、
「痛みは永遠に残りそうな気持になり、その思いからか、病院で治療を受けても、もらった薬を飲んでも、最初の頃は効いているという気が、まったくしていなかったのだ」
という思いが強かったのだ。
今回の頭痛は、案の定、思った通り襲ってきた。
しかし、いつもほどの痛みも吐き気もなかった。
「最初に襲ってきた分、痛みに慣れたのだろうか?」
と思ったが、痛みに慣れるほどの時間が経っているわけではなかった。
「まさか、この間、自分で感じているよりも、時間というのは、経っているということなのか?」
と、時間の歪みを感じさせる昔の物語を想像させるのだった。
時間の進み方が、
「劇的に違う」
ということを思わせるお話としては、やはり、
「浦島太郎」
のお話であろうか、
「竜宮城というところに、2,3日の間、遊びに行っている間に、どんなに楽しくても、故郷が急に恋しくなってきた。そこで、竜宮城から帰りたいと願い出ると、乙姫様は、名残惜しそうに、玉手箱を与えてくれた」
というこである。
そして、
「地上に帰り着くと、そこには、知っている人のまったくいない世界で、しかも、村の様子もまったく違っていた」
ということであった。
実際に戻ったその場所というのは、
「700年くらいの未来だった」
ということなので、それこそ、想像するに、
「相対性理論」
というものを思わせるのだ。
これは、
「光速のスピードで移動すれば、従来のスピードよりも、かなり遅く時間が進行するので、自分たちが、数日くらいにしか感じていないことも、地球上では、数百年が経過している」
ということになるという。
「時間の歪み」
という考え方であった。
だから、人間が、
「不治の病」
というものに犯されていて、
「少しでも長く生きられるように冷凍保存しておいて、医学が発達し、その病が不治の病ではなくなった時、目を覚まさせ、そこで治療を受ける」
作品名:捏造が、偽造となり、真実になった事件 作家名:森本晃次