捏造が、偽造となり、真実になった事件
しかし、それは、田丸が勝手に感じているだけのことで、相手はまったく何も感じていないのかも知れない。
そもそも、その老人は、自分にだけではなく、他の人と話をするわけではなかった。いつも一人で飲んでいて、まわりの誰ともからもうとしない。
もっとも、その老人が誰かと絡んでいるというような雰囲気を感じたことがなく、もし、そんな雰囲気が醸し出されるのであれば、違和感が出てくるというものであった。
ある日、いつもよりも少し早めに店に入ることができた田丸は、いつものように、店全体を見渡した後、いつもの老人の席に目をやると、その日はまだ老人が来ていないというのを感じると、自分が、いつもよりも早かったことを再認識したのだ。
そこで、女将に、
「今日は、あそこのいつもの老人は来ていないんだね?」
というと、
「そうですね、今日はお休みかも知れませんね」
というではないか。
それを聞いた田丸は、最初の日本酒を一口飲んで、いまいち納得がいかないかのように、
「あれ? あの人は毎日来ているんじゃないですか?」
と聞いたのだ。
確かに毎日なのかも知れないが、たまに休むことだってあるだろう? 女将の言葉をそのまま聞けばそれだけのことだったのに、なぜか、聞かずにはいられなかった。
「毎日来ている」
という、
「自分の中での常識を、自分なりに納得させたい」
ということだったに相違ないのだろう。
女将は、田丸の質問の意味を知ってか知らずか。
「そんなことはありませんよ。週に2,3回くらいじゃないかしら?」
というではないか。
それを聞くと、
「えっ、それじゃあ、このお店に現れるタイミングというのは、この僕とほぼ同じということなのかな?」
と聞いてみると、女将は、その時初めて。田丸の言いたいことの意味を察したというのか、
「ええ、そういうことになるんでしょうね。私も今言われて気が付いたわ」
と女将は、自分の記憶を思い出しているようだったが、さして、そのことに驚きのようなものはないようだった。
女将は、ここまで常連で持っているような店であるだけに、その数もそれなりにたくさんいることだろう。
いくら女将とはいえ、その全員の行動パターンを把握しているわけでもなく、しかも、それが、他人と重なった時という、
「無限の可能性」
としての、
「すべてのパターンを、把握できるわけもない」
といってもいいだろう。
女将というものが、どのようなパターンなのか、それでも、ある程度までは把握していると思ったが、田丸と老人に関しては、
「言われてみれば分かる」
という程度のことだったのであろう。
その日は、それでも、なかなか老人は現れなかった。
「やはり、いつも誰かがいることで意識してしまうその場所に、今度はいないことで、さらなる意識が集中してしまう」
などということを感じるなど、想像もしていなかったといってもいいだろう。
ゆっくりとまわりを見ると、普段は意識しないはずの人を意識している自分を感じた。それだけ、
「いつものあの老人を、意識してしまっている」
ということになるのであろう。
そんなことを考えていると、
「普段から、ざわつきが、こんなにすごいとは思わなかった」
と感じたのだ。
そのざわつきを、必要以上に感じたのが、子供の頃の記憶であったが、小学生だったか、中学生だったか、忘れてしまっていたのだが、ちょうど、熱が出た時だったと思う。普段から、扁桃腺の熱で悩まされていた頃だったから、やっぱり、小学生の頃だったのではないかと思うのだった。
年に2,3度は、高熱が出て、学校を数日休むということになったのだが、それは、いつも、朝方は、
「身体はきついが熱はない」
ということで、学校に行かないための、
「大義名分」
というものが見つからないために、学校に行かなければいけないということで、結局、授業を受けていても、昼前くらいまでに、体調がよくなるわけではなく、
「顔色が悪いので、保健室に行ってこい」
と言われ、保健室にいって熱を測ると、いつも、39度を超えるくらいの発熱で、いよいよきつくなり、
「動けるようになるまで、ベッドで寝ている」
という、
「いつものパターン」
を繰り返すことになるのだった。
「体温を確認してしまうと、あとはもうダメだ」
ということになる。
普段であれば、少々の熱は気にもならないのだが、さすがに、ここまで高熱だと、一度横になると、身体を起こすことができなくなるほどに、自己暗示に罹ってしまい、そのまま動けるように待っていると、家族が心配して学校まで来てくれるか? 先生が病院まで連れていってくれるかということになるのだった。
実際に、病院で検査をしてもらい、以前には、
「インフルエンザですな」
と言われ、そのまま解熱剤を注射され、強引に熱を下げたタイミングで、家に帰るということもあったりした。
「熱が引いても、一週間は、学校に行ってはいけません」
と言われたが、子供だったということで、その意味をハッキリと、分かりかねていたのである。
それでも、親も、
「インフルエンザ」
ということになると、看病も難しい。
「少し良くなって、家の中を歩き回る時は、マスクをして頂戴ね」
と言われたものだ。
それほどの感染症が、インフルエンザにあるとは思っていなかったのだ。
「学校で、予防注射を打つでしょう?」
と親に言われて。
「ああ、そうか」
と感じるのだった。
考えてみれば、確かに年間何本も、予防接種ということで、注射を打つが、
「それが何の予防接種なのか?」
ということを、いつも意識しているわけではない。
むしろ、知らないことの方が多いが、それだけ、子供としては、
「注射はいやだ」
と思いこそすれ、興味があるなどありえないことであろう。
「体調が悪い時」
特に、
「熱が高い時」
というのは、意外とその対処法を勘違いしている人が多いということを、聞いたことがあった。
高熱が出る時というのは、インフルエンザにしても、扁桃腺炎にしても、パターンは一緒である。
普通、熱が出ると、親はまず、
「熱を覚まさなければいけない」
ということで、解熱剤を使おうとしたり、氷枕などで、熱を下げようとする。
しかし、これは逆のことであり、なぜなら、
「高熱が出るということは、身体に入った菌を、身体の中にある抗体が、菌をやっつけようとして、戦っているのだ。その時に出る熱であって、決して、高熱が出ているからといって。熱を冷まそうとしてはいけない」
ということなのだ。
その証拠に、患者は、
「熱があるのに、震えている」
という現象があるではないか。
つまりは、
「身体の中の菌は死んだわけではなく、まだまだ戦っている最中なので、熱を下げようというのは、せっかく戦ってくれている抗体に、不利な条件を突きつけるようなもので、これではいけない」
ということになるのであった。
だから、
「熱がある時というのは、逆に積極的に身体を暖めることをしないといけない」
ということになるのだ。
作品名:捏造が、偽造となり、真実になった事件 作家名:森本晃次