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捏造が、偽造となり、真実になった事件

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 確かに、戦後から、かなりの時間が経ち、高度成長期などを経て、やっと最大の成長期というべきかの、
「バブル経済の時代」
 というものをピークとするならば、黒船来航からこっち、いわゆる、
「明治政府の目標」
 ということであり、諸外国と結ぶことになった、
「不平等条約の解消」
 ということが、叫ばれた時代だった。
 その時代において、
「富国強兵」
「殖産興業」
 などというスローガンが、明治政府を支えていて、日本国民も、それに沿った動きをすることで、かなり強引ではあったが、まがりなりにも、大日本帝国の成立に寄与したという意味で、
「時代を変えるべき時期だった」
 といっても過言ではないだろう。
 しかし、実際に、
「バブル経済」
 というものが実態のないもので、それまで言われていた、
「銀行不敗神話」
 などのようなものが、まず最初に崩壊したことから始まった、
「バブルの崩壊」
 というものが、その時点で、バ
「ブル経済が永遠ではなかった」
 ということの証明であったということになるのだろう。
 今の時代において、
「失われた30年」
 などと言われ。
「日本だけが、経済成長していない」
 と言われているが、それも、
「内部留保」
 という日本独特の形によって、問題になっているのだが、それが、
「決して悪いことだ」
 とはいえないのではないだろうか?
 日本企業というのは、昔から。
「年功序列」
 あるいは、
「終身雇用」
 ということが、基本となっているのだ。
 新入社員を、学卒の状態から、一から育て、そして、企業側は、
「自分の会社で一人前にするように、教育をする」
 ということ、そして、社員側では、
「会社に貢献するための勉強をして、その会社で、どんどん出世していく」
 ということが当たり前だった時代で、たまに、他の企業から、
「優秀な社員がいる」
 ということで、ヘッドハンティングされるというのが、普通といってもいい時代だったりした。
 だが、バブルが崩壊したことで、
「リストラ」
 などという、経費節減により、結果、
「優秀な社員をも首を切る」
 ということになるのだ。
「早期退職者を募る」
 などということで、
「退職金をはずむから、辞めてほしい」
 という社員を、水面下で、リストアップさせ。そういう社員に対して、
「辞めたくなるような待遇」
 をその人にプレッシャーとして与えたりした時代があったりしたのだ。
 何しろ、バブル崩壊というのは、バブル期のような、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 という時代ではなく、
「拡大した事業を縮小しないと、その分だけ、負債が増える」
 ということで、とてもではないが、収入としての、利益は望めない。
 そうなると、あとは、
「支出を減らすしかない」
 という、算数の計算として、
「じゃあ、支出で一番大きいものは?」
 ということになれば、一番は人件費であり、次に家賃問題などになるだろう。
 家賃関係は、
「都心部の事務所を郊外にもっていったり、物流関係の会社であれば、物流センターに、本部機能を移転して、家賃を節約する」
 などということも行われた。
 ただ、一番の特効薬としては、
「巨大企業との合併」
 というのが、大きかったりする。
 ただ、そうなると、吸収される側の取締役連中の処遇が問題となるのだろうが、
「破綻するか、吸収合併ということで、会社名だけは残すか?」
 という選択となると、事情は、ほとんど、変わらないということとなり、
「吸収合併」
 というのが、当たり前だという時代になるのであった。
 だから、バブル崩壊の時の、何とか生き残りとして、今でも、
「まるで当たり前のこと」
 と言われるような方法として、
「吸収合併」
 というものであり、
「非正規雇用者の採用」
 ということであった。
 非正規雇用者というのは、契約社員や派遣社員。さらには、アルバイトやパートと言った人たちで、正社員をなるべく減らすことで、人件費を節減しようというものである。
 非正規雇用のメリットは、正社員と違い、
「契約を更新しない」
 ということで、
「簡単に首が切れる」
 ということになるのだろう。
 実際に、リストラなどが行われていた時代は、今も続いている。
 というのが、
「吸収合併」
 ということがいまだに続いているということで、どうしても、
「利益の出ない部署は粛清する」
 ということになると、人員整理は当たり前ということになり、
「リストラ」
 という言葉が、本来の意味を持つということになるのである。
 本来のリストラは、
「経営合理化」
 ということを目的としたものであり、バブルの時期に言われた。
「人員整理」
 ということではなかったはずなのだが、実際には、その事実は逆に、事後承諾という形になったというべきか、今では、
「リストラ」
 という言葉の解釈として、
「経営合理化を建前とした、人員整理」
 ということになるのである。
 だから、昔ほどの、
「人員整理」
 というものをあからさまに行わなくなったのは、社員が、合理主義に傾いたことで、社員の定着があまりなくなったからともいえるだろう。
 それも、会社の経営方針にもよるのであって、その考え方が、
「アメリカナイズドされた」
 といってもいいのかも知れない。
 リストラというものが、本当に効果があるのかということは、難しい問題だ。
 以前の映画で、クーデターをテーマにしたもので、結局。そのクーデターは成功しなかったのだが、その時の青年将校が兵に対して、
「我々の行動が正しかったかどうかは、歴史が必ず答えを出してくれる」
 といっていたが、それは、あくまでも、
「理想論」
 ではないだろうか。
 そもそも、歴史というのは、無限に続いていくもので、ある日突然終わりがきたとしても、それは、偶発的なものに違いない。
 そう考えると、
「地球が消滅する」
 というところまでいかない限り、その答えが出たかどうかは分からないだろう。
 しかも、その答えが、
「どこからどこに繋がっているのか?」
 ということになるのかということも、分かりっこないのだ。
 もっといえば、
「それを判断するのは、一体誰なのか?」
 ということで、
「もし、本当に歴史が答えを出してくれていたとしても、どこの誰が、
「それを答えだ」
 といって、他の人に信じ込ませることができるというのだろうか?
 そんなことを考えると、
「歴史が出してくれる答えは、誰の手によって、どのように示されるのか?」
 ということが、前もって分かっていないと、理解できるものではないといえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「何を曖昧にすればいいのか?」
 という考え方で、
「曖昧な部分があることで、その焦点の中に、出してくれるという答えというものが潜んでいる」
 といえるのではないだろうか?
 そんな、
「惑うことがない」
 と言われる40代の田丸は、
「今の自分は、毎日を平凡に、同じように暮らすことが幸せだ」
 と思うようになっているのであった。

                 尊厳