捏造が、偽造となり、真実になった事件
「陣地を争うもの」
としてでしか、勝敗が付かないものになってしまうのではないだろか?
それを考えると、
「将棋というものは、どれだけ先を読めるか?」
ということであるので、当然、相手があることなので、相手が、こっちの想像したのと同じであれば問題ないのだが、違ってしまうと、先を読むどころか、自分の考えを改めるための時間も必要になるというものである。
田丸は、
「隠蔽」
と、
「捏造」
では、どっちが嫌なのか?
と聞かれたことがあった。その時は高校の時だったので、
「隠蔽じゃないか?」
と答えた。
正直、隠蔽というのは、よくニュースなので、聞かれる言葉で、
「政治家などが行っているイメージがあるので、下手をすれば、俺たちの生活に密着しているということで、その馴染みがあるのではないだろうか?」
と感じるのであった。
しかし、
「捏造」
というのは、どちらかというと、
「文化遺産などの事実でないものを、改ざんしたり、して、あたかも、真実であるというような形にする」
ということで、
「事実を捻じ曲げる」
ということで、ある意味、
「騙す」
ということでは、
「たちが悪いのではないか?」
と言えるだろう。
しかし、実際には、
「文化遺産」
であったり、
「考古学などの、学術資料」
ということで、いかんせん、馴染みが浅いといってもいいだろう。
そうなると、捏造というのは、
「聞こえとしては悪いが、しょせんは、他人事だ」
ということになるのであろう。
捏造を、改ざんと考えるのであれば、もっと、身近なところでもあってしかるべきなのだろうが、その場合は、
「捏造と言わずに、改ざんという」
ということで、余計に、
「捏造」
というものは、余計に、馴染みがなくなってしまうということになるのであろう。
とは言っても、何も確認もせずに、このままいたずらに時間を費やすというのはいいことではない。
何といっても、
「これが事件なのか、事故なのか?」
ということもあるだろう。
「息をしていないように見えるが、果たして、本当にそうなのだろうか? 本当は、生きていて、ただ、動いていないだけなのではないか?」
そんなことを考えていると、
「とにかく、早く確認しなければ」
と思い、気持ち悪いのは、無理もないとして、マスクもしていることなので、なるべく、口や鼻を覆うようにいして、覗き込むのだった。
ちょうどその時、空気が流れたような気がした。風が吹いてきたのだった。少しありがたいと思ったが、
「まさか、誰かが来たのでは?」
という別の意味での恐怖が頭をよぎったのである、
もし、こんなところを見られたら、別に悪いことをしているわけではないのに、まるで、自分が、殺人犯であるかのように、自分が錯覚しそうで、もし、警察に尋問でもされれば、別にやってもいないのに、警察から、
「怪しい」
と思われて、どうしていいのか分からなくなってくるのだった。
というのも、
「 とにかく、
「怪しまれることにかけては、人に引けを取らない」
というようなおかしな自信を持っているといってもいいのだろう。
田丸は、それを思うと、
「少々気持ち悪くても、あとのことを考えれば、今確認するしかない」
と思って覗き込むと、そこで倒れている人に見覚えがあった。
見覚えがあったというだけの問題ではなく、
「今日、俺はずっとこの人を待っていたんじゃないか?」
という思いであった。
女将さんからも、
「変ねぇ」
と、今日は来ないということが決定している比ではなかった。
女将がいうには、
「あの人は、来ないということが決定している日でなければ、たいていの時、来ないことはないんだけどね。私の中では、皆勤賞ものなのよ」
ということであった。
田丸は、黙って頷いたが、今までの爺さんの行動パターンを考えれば、まさにその通りだったのだ。
田丸があの店に通い詰めるようになってから、数週間であったが、他の人が、
「神出鬼没」
といっていいほど、
「いつ来るか分からない人が多い」
ということであったが、ただ、あの老人の場合は、
「ほぼ毎日来ているように思えるので、神出鬼没などという言葉が当てはまることはなかったのだ」
ということである、
だから、今日、こなかったのは不思議だった。
女将がいうには、
「あの人は、遅れるということもあまりなかったので、最初の30分で来なかった時は、「ほぼ間違いなく来ないな」
ということがわかったのだった。
女将の話を聞いているうちに、
「自分も、もっと前から、あの老人と仲が良かったかのような錯覚に陥るのだった」
と感じた・
女将というのは、
「本当に客のことを皆覚えているんだな」
と感じたのは、田丸が、人の顔を覚えるのが苦手だったからだった。
だから、いつも、待ち合わせをする時も、相手に声をかけてもらうようにすることが大切だと思っていたのだった。
確かに、そこに倒れている老人は、すでに死んでいた。さすがに指紋がついてしまうといけないので、触ってみるまではしなかったが、顔色も土色になっていて、何よりも、まるで恨みに満ちた目が、虚空をにらんでいるようで、目をカッと見開いたまま、閉じることもなかったのだ。
推理サスペンスドラマなどでよく見る、いわゆる、
「断末魔の表情」
というべきであろうか?
それを思うと、
「よく最初に見た時。あの老人だと思ったものだ」
ということであった。
だが、とにかく警察を呼ばなければいけない。頭の中がパニックになりながら、それだけは絶対にしなければいけないことであり、しかもなるべく早くしないといけないことも分かっていた。
とりあえず、警察に110番に電話をし、警察が来るのを待つしかなかった。
当然、かけなければいけない電話であったのだが、掛けた後に、激しい後悔に襲われた。
それはまるで、
「急に現実に引き戻されたかのような気分にさせられたから」
ということであった。
それは、なぜかというと、
「警察が来てから、どのように説明すればいいのか?」
ということである。
目の前に死んでいる老人の死因が、胸にナイフが突き刺さっているとで、刺殺であることは、明白であろう。
もちろん、その前に首を絞めていたりしたのかも知れないが、
「胸を突き刺したことに変わりはない」
といえる。
そして、もう一つ言えることは、
「自分は返り血を浴びていない」
ということで、少なくとも犯人ではない」
ということは信じてくれるだろう。
しかし、警察はそれで、嫌疑を辞めることはないと思う。
その一つの理由として、
「自分と、この老人が知り合いである」
ということを、すぐにでも突き止めるだろう。
そうなると、警察は、自分が死体を発見したことに対して、かなり追及してくるに違いない。
それは、
「君はこの老人をつけていたのか?」
と言った、
「ストーカー容疑」
であったり、
「まさか、君も何か、被害者に恨みでもあって、あわやくばなどということを考えていたんじゃないか?」
と言われるのではないかと想像した。
作品名:捏造が、偽造となり、真実になった事件 作家名:森本晃次