小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

捏造が、偽造となり、真実になった事件

INDEX|10ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 これは、追い詰められた人間が、その最後の力を振り絞って、相手をやっつけるというような話とよく似ている。油断をしていると、首を掻かれてしまうということである。
 だが、
「優等生の中に埋もれた優等生」
 というのは、最初は、まわりに誰もいないところを、皆を突き放して独走態勢だったが、そのうちに、目の前に見えている一つの団体を意識すると、
「あの連中も追い越してやれ」
 とばかりに、一気に先に進もうとすると、入り込んでしまうと最後、自分の意志だけでは抜けられなくなってしまった。
 それどころか、自分のペースよりも、はるかに速いペースであることに気が付くと、
「ついていくのがやっと」
 ということになった。
 結局、群衆に紛れてしまって、その中で、どんなに殴られたり蹴られたりしても、中で何があったか分からない。
 しかも、その群衆が通り過ぎた後に、ボロボロになった一人の人間が現れれば、同情を受けるというよりも、その情けなさに、
「ざまあみろ」
 と思う人もいるだろう。
 そもそも、その集団というのが、優等生の塊で、劣等生、いや、普通のレベルの生徒から見れば、ある意味、
「高嶺の花」
 であり、
「自分たちにはあこがれではあるが、軽蔑でもある」
 ということであった。
「やつらは、俺たちのことを蔑んでいるんだ」
 ということで、軽蔑するのであったが、実際には少し違っている。
 田丸のように、一度、優等生の集団の中に入れば分かるのだが、その集団にいると、
「吐き気や頭痛」
 などという、ただでさえ耐えられないところに持ってきて、さらに、それが、自分でも、離れたいと思っても、まるで、
「おしくらまんじゅう」
 のように、出ることもできないまま、倒れるまで、まわりに引っ張られるのであった。
 だから、その間に、蹴られたり殴られたりしても、意識がないのかも知れない。
「痛い」
 などという意識は、すべて、
「苦しい」
 という思いに置き換わるのだ。
 そして、
「もうついていくことができない」
 と思うと、まわりの連中が、ひっぱっていこうとは、もうしなかった。
 あとは、ボロ雑巾のように、捨てていくだけのことなのだ。
 そして、ボロボロになって、道に捨てられるのが、一種の、
「優等生グループについていけずに、脱落した、いわゆる、落ちこぼれというものである」
 ということになるのであった。
 そんな落ちこぼれを、誰も助けようなどと思うはずもない。
 これは嫉妬なのか、憧れなのか分からないが、しいていえば、
「憧れという名の嫉妬」
 といっていいだろう。
 ただ、憧れという言葉を、嫉妬というのは、普通に考えれば、あいまみれるということはないと思われる。
 ということは、
「憧れ」
 なのか、
「嫉妬」
 なのか、どちらかが、偽物なのではないかと思うのだった。
 この場合であれば、基本は嫉妬だと思うと、憧れというのはウソではないだろうか?
 しかし、実際には、この憧れというのもウソではない、まわりの人だって、本当であれば、
「俺も、あの優等生グループに入れたらな」
 と思っている人もいるだろう。
 それはあこがれからというもので、特に、
「自分にできないことをしている」
 という人に対しては、人間というのは、
「2種類の意識を持つのではないだろうか?」
 一つは、普通に憧れを感じ、
「うらやましいな」
 と思いながらも、優等生が、表彰されるようなことがあれば、まるで、自分のことのように、祝福している姿を見る。
 その本音は分からないが、きっと、本当に祝福しているのだろう。
 しかし、田丸はそんなことはできない。相手を祝福どころか、
「俺の目の前で表彰される人がいて、それを何で祝福される様を、この俺が見ていなければいけないんだ」
 という思いに駆られてしまうと、
「これはたまったものではない」
 と考えるのだ。
 だから、そんな思いをしたくないということから、
「自分も勉強して、やつらに追い付くんだ」
 ということで必死に勉強をするようになったのだ。
 そして、それまでの、
「その他大勢」
 といってもいい成績だった自分が、ちょっと勉強すると、すぐに、トップクラスになることができた。
 ここで、
「俺って、やればできるじゃないか?」
 と思い、この、
「やればできる」
 というのが、一番の自信ということで、どんどん、前を見るようになったのだった。
 そうなると、さらに成績はうなぎのぼりで、受験でも、かなりのところまで行けるのではないかというのが、担任の先生の評価だった。
 ただ、間違えたのは、前述の、
「受験校選び」
 だったのだ。
「無理をしてでも入ってしまえば、何とかなる」
 ということまでは思っていなかった。
「入る前から、入った後のことを考えてどうするというのか?」
 という思いがあった。
 受験に合格しなければ、その先はないということで、
「自分は、受験に際して、集中していかなければいけない」
 ということになるのだ。
 そして、受験も突破し、入学してみると、まわりは、もうまったく違う連中の塊だった。
「和気あいあい」
 などという雰囲気は、かけらもない。
 皆、
「隙あらば」
 と、自分だけが這い上がることしか考えていない。
 だから集団で規則正しく進んでいるように見えることで、集団としての認識だが、実際には、
「烏合の衆」
 といっても過言ではないだろう。

                 真逆

 そんな中において、田丸は、自分が、いかにうまく立ち回るかということを考えて、
「卑怯なコウモリ」
 の話であったり、
「優等生の中に埋もれてしまった、歪んだ精神状態」
 というものを考えると、
「自分がどれだけ、卑屈な人間だったのか?」
 ということを思い出した。
 あれは、小学生の頃だっただろうか。今でもトラウマになっていることがあった。
 というのは、小学生の頃に、ドラマなどであれば、
「よく聞く話」
 であったが、
「ある日学校で、教育費を盗まれる」
 というのがあった。
 ちょうど体育の授業で、教室が空になる時間があったのだが、その時、誰かに物色されたらしい。
 ただ、教室の防犯カメラがあるわけもなく、盗まれたとしても、その現場がとらえられているわけではない。
 昔から、ドラマなどであるのは、
「狂言窃盗」
 ということがあったようだ。
 しょせん、
「子供の浅知恵」
 というべきか、子供だけに、深く考えるということがないのである。
 要するに、
「給食費がなくなった」
 ということで、
「誰かに責任を擦り付ける」
 という考えからであるが、
「それだけ、恨みに思っている人もいる」
 ということであろう。
 ただ、それだけのために、いくら、
「子供の浅知恵」
 といっても、
「やっていいことと悪いこと」
 の判断くらいはつくのではないかということである。
 少なくとも、
「一人の犯罪者を作り上げる」
 ということである。
 それも、本当に何かをやったのであれば、それも、百歩譲って、
「しょうがない」
 といえる部分もあるのかも知れないが、
「犯罪者をでっちあげる」