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輪廻対称

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「世の中にはいるといわれる3人のよく似た人ではない」
 と言われるドッペルゲンガーなので、その人物は、本当に、もう一人の、
「自分」
 ということなのである。
 だから、ドッペルゲンガーの行動範囲は決まっているという。
 というのは、
「本人である自分」
 と、同じ行動パターンなのだという。
 要するに、
「本人が行ったことのない場所には現れない」
 ということで、
「海外旅行に行ったことがない人の、よく似た人が、海外にいれば、それは、世の中に三人はいるという、そっくりさんなのだ」
 ということであった。
 そもそも、もし、
「ドッペルゲンガーがいるとすれば、どっちが、本物だ」
 といえるのだろうか?
 ドッペルゲンガーはドッペルゲンガーとしての生活があるのだとすれば、そっちの世界では、
「本物:
 ということになるのかも知れない。
 しかし、ドッペルゲンガーに対して言われていることとしては、
「ドッペルゲンガーというのは、一言も喋らない」
 というではないか。
 それを考えると、
「ドッペルゲンガーに、果たしてコミュニケーション能力がないのに、彼の世界というものが、存在するといってもいいのだろうか?」
 と考えてしまう。
 しかし、それは、あくまでも、我々の次元の発想というもので、ひょっとすると、同一時間の間に、
「目には見えない、異次元というものが存在しているのかも知れない」
 といえるのではないだろうか?
 ドッペルゲンガーというものは、その世界から、フラッとこちらの世界に、はみ出してしまっただけなのかも知れない。
 そして、彼らは、しゃべらなくても、
「テレパシーのようなもので、交信することができる」
 ということであれば、それは、
「ドッペルゲンガーというものが、異次元人だ」
 ということになるのだ。
 その異次元というのは、いわゆる、
「裏社会」
 と言われるもので、こちらの世界と、
「表裏一体」
 といってもいいような構造をしているのかも知れない。
 その世界がどのような立体的な構造。つまり、文明が、こちらよりも劣っているのか、それとも、こっちの世界よりも、はるかに進んだ世界なのか、それとも、まったく同じ世界が、広がっているのか?
 それぞれに、いろいろなことが考えられるのだ。
 もし、少しでも、世界が違えば、いくら同じ人がいるといっても、
「別の次元」
 ということで、前述の、
「同一時間同一次元」
 という発想は成り立たない。
 ということになれば、ドッペルゲンガーというものを見るというのは、本当は、偶然などではなく、作為的に、向こうの世界の自分が、わざと現れているとすれば、その人は死んだわけではなく。
「魂だけ、向こうの世界に連れていかれたのではないか」
 という考えも成り立つというものだ。
 そういえば、昔のドラマで、
「特撮ブームの走り」
 と言われた時代に、そういう話もあった。
「未来の世界の人間は、開発したロボットにすべてを任せてしまい、まったく動かなくなったので、肉体が退化してしまい、肉体の衰えから、頭脳までもが、劣化していき、
「ロボットにとってかわられる」
 という世界になっていたという。
 そこで彼らは、過去の人類に目をつけて。過去の人間の肉体ほしさに。未来に伝送形式で、送信するということをしたのだ。
 当然、こちらの世界では、
「人間消失事件」
 ということで、
「神隠し」
 などと言われるようになってきたという。
 ただ、これは、タイムパラドックス的には、少し強引な話である。
 なぜなら、過去にいって、過去の人間をさらってくるのだから、
「過去を変えてしまった」
 ということで、普通であれば、
「その瞬間から未来が変わってしまい、今の自分も存在しているのかどうか分からない」
 と言われるのではないだろうか。
 だが、未来の世界と、過去の世界というのは、
「異次元なのではないだろうか?」
 という考えであったとすれば、
「未来が変わる」
 ということはないだろう。
 という考えであった。
 これも、強引な考えであるが、
「親の結婚や出産を邪魔すれば、お前が生まれてこなくなるじゃないか?」
 と言われるかも知れないが、それはあくまでも、
「科学的に、子供の身体や精神から考えると、親は、その人たちでなければならない」
 ということを前提としてのことである。
 要するに、もっと柔軟に考えると、
「もしその二人から生まれてこなくても、他の親から生まれてくるかも知れない」
 ということだっていえるのだ。
 だから、もし、自分の運命を考えた時、
「あの親から生まれたから、こんなに貧乏なんだ」
 ということになるのであれば、タイムマシンが存在していれば、
「親が結婚するのを阻止すればいいだけだ」
 ということになるだろう。
「人は生まれながらに平等だ」
 などという人がいるが、果たしてそうなのだろうか?
「生まれ落ちた瞬間から、差がついている」
 といえるのではないだろうか?
 そもそも、
「平等」
 という言葉は、そのレベルのものだといえばいいのか、なぜなら、
「生まれてくる子供は、親を選べない」
 ということだからである。
 それを考えると、
「この親から生まれてくるのを阻止したら、別の親から生まれてくることになるのではないか?」
 ということになるだろう。
 ただ、そうなると、
「もっとひどい親から生まれてくる可能性だってあるんだ」
 というリスクもあるわけである。
「タイムトラベル」
 という発想に、三つほどあるといわれる、
「タイムスリップ」
「タイムリープ」
「タイムループ」
 と言われるものである。
「タイムトラベル」
 というと、最初のタイムスリップという発想が、一番一般的な考え方である。
 これは、
「タイムマシン」
 であったり、
「ワームホール」
 というものを使って。作為無作為それぞれに、過去や未来に行けるというものである。
「過去を変えてしまうとどうなるか?」
 ということは、この、
「タイムスリップ」
 というものの発想に似ているということになるのであろう。
「タイムリープ」
 という発想は、少し違っている。
 人はたいてい、
「過去に戻れるとすれば、どこに戻りたい」
 という発想を持つことが、一度や二度あるのではないだろうか?
 この、
「タイムリープ」
 という発想は、それを叶えるというところから生まれてきたことだったのだ。
 これは、
「タイムマシン」
 などという、アイテムを使うわけではなく、
「今の自分の魂が、過去の自分に乗り移る」
 という発想で、だから、
「やり直せる」
 という考え方なのだ。
 つまりは、
「未来の記憶を持ったまま、過去に戻れる」
 ということで、少なくとも、過去に起こったことが分かっているので、そのターニングポイントも分かっているということで、
「やり直しがきくだろう」
 ということであった。
 しかし、そんなに簡単にいくものだろうか?
 そもそも、
「記憶を持っているというだけで、記憶も相当奥の方にある」
 からである。
 つまりは、
作品名:輪廻対称 作家名:森本晃次