輪廻対称
今までは、15年間が、殺人における時効であったが、今では、時効は存在しない。犯人になってしまえば、
「死ぬまで逃げ続けなければいけない」
ということである。
今までは、時効があったので、15年以上の事件は、捜査資料くらいは残しているだろうが、
「未解決事件」
としては、カウントされない。
しかし、今はそれまでカウントするわけなので、どれだけの未解決事件があるかということは、よく分からないといってもいいだろう。
時効がないということは、それだけ捜査する方も時間があるわけだが、犯人が捕まる可能性が増えたわけではない、むしろ、
「犯人が捕まらないということで、検挙率が、ガクッと下がるということになるだろう」
分母だけが増えて、分子は増えないのだから、下手をすれば、最後の、
「限りなくゼロに近い」
ということになるのではないだろうか。
「交換殺人」
が、完全犯罪の
「もろ刃の剣」
ということであれば、
「一人二役と、死体損壊トリック」
というものも、
「もろ刃の剣ではないだろうか?」
もし、逃げているのは、本当の犯人だと看破していれば、犯人は追い詰められることになるだろう。
しかし、死体損壊なのだから、
「被害者と加害者がどっちだ?」
ということは言えないであろう。
となると、犯人を確定できないということになり、
「一人二役をした」
という意味がなくなってしまう。
これでは、ただの、
「警察をかく乱する」
ということになるだけではないだろうか。
警察をいかにうまく誘導するか?」
ということが大切なのであって。
「下手に、かく乱させてしまうと、考えてもいないという、あてずっぽうで、犯人を指し示すことになるのではないだろうか?」
警察というものをいかにかく乱させるかということが、犯人の意図ではない。そうなると、一人二役が、もろ刃の剣だ」
ということになるのも、当たり前ということである。
「三すくみ」
というのが、
「抑止力」
ということであるように、
「交換殺人」
というのが、
「完全犯罪へのパスポートの中に、もろ刃の剣というものを抱え込んでいる」
といってもいいだろう。
ドッペルゲンガー
「一人二役」
というと、
「もう一人の自分」
という発想が生まれてくる。
「実際には、もう一人の自分」
というのを作り上げたのは、自分であり、その存在は、まったくの架空なのだ。
存在するはずのない存在をでっちあげて、もう一人の自分を作り上げたのが、
「一人二役」
であるが、ここでいう、
「もう一人の自分」
というのは、
「本当に存在している」
と信じられているものである、
一種の、
「都市伝説」
であるが、ほとんどの人が信じているという意味で、
「世間としては、かなり信憑性がある」
というもので、それだけ、
「都市伝説というものの信憑性を凌駕している」
と言ってもいいだろう。
それを、
「ドッペルゲンガー」
というのだ、
「同一次元の同一時間に、もう一人の自分と言われるドッペルゲンガーが存在している」
ということである。
確かに、ドッペルゲンガーというのは、
「世の中には3人はいる」
と言われる、
「よく似た人だ」
というわけではないのだ。
そして、そのドッペルゲンガーというのは、
「見ると、必ず近い将来に死んでしまう」
と言われ、それが、都市伝説の様相を呈するのではないだろうか。
ドッペルゲンガーというものが、いかに、信憑性の高いことなのかといえば、それが、「有名人の身に起こっている」
ということだからであろう。
それも、一つの国だけの伝説ではなく、日本はもちろん、アメリカ、ヨーロッパと結構、話が伝わっているのだ。
日本でいえば、
「芥川龍之介」
アメリカでいえば、
「リンカーン」
ヨーロッパであれば、
「エリザ別女王」
と、結構いるのである。
芥川龍之介などは、
「ある日、編集者がやってきて、龍之介が書いている原稿を見ようとした時、龍之介が、いきなり怒り狂ったように、原稿を破りちぎった」
ということがあり、その翌日に自殺をしたということであった。
「その時に、龍之介が破りちぎった原稿が、そのまま机の上に置かれていた」
ということであった、
そこで編集者の人間が考えたのが、
「昨日の原稿を破りちぎった龍之介が、実は、ドッペルゲンガーなのではないだろうか?」
ということであった、
そもそも自殺をするような雰囲気があったのかどうか、それも、怪しいところだったといえるのではないだろうか。
芥川龍之介の死に、
「どうしてドッペルゲンガーを連想したのか?」
ということであるが、龍之介は、まわりに、
「銀座や新宿で、もう一人の自分を見た」
といっていたのだ。
だから、まわりも、
「ドッペルゲンガーの伝説を思い出し。すぐに、龍之介の死に、都市伝説を結び付けたのであった。
また、リンカーンにしても、ドッペルゲンガーの関与が大きいといわれている。
リンカーンは、狙撃されたのだったが、
「殺されるその日に、自分の秘書に対して、何か、自分が狙われるというようなウワサがないか?」
ということを、ヒステリックになって聞いたという。
秘書が、怪訝な表情で、
「ありません」
というと、本当に、疑いを持った雰囲気で話をしていたというのだ。
何か夢見が悪かったのか、信憑性のある答えを自分で導き出せないのも、気持ち悪かったのだという。
もし、
「ドッペルゲンガー」
という発想がなければ、
「超能力者だ」
と言われるかも知れない。
それだけ、
「自分の死を予言するということは、それこそ、与えられた力のある人から伝染していることであろう」
「ドッペルゲンガーというものを見ると、どうして死んでしまうのか?」
ということは、
「時間の都市伝説」
という解釈ができるのではないだろうか。
それは、心理学、医学、さらに、パラドックスなどと考えられるのであった。
「そもそも、ドッペルゲンガーというものが、脳の病気だ」
ということで、
「元々死が近かった」
ということであろう、
また、パラドックスとしては、
「そもそも、同一次元に同一人物がいる」
ということが、タイムパラドックスに違反しているのではないか?」
ということであった。
「これなら、殺されても、無理もないことであろう」
というのは、実に理不尽だが、理由としては、信憑性があうものであった。
そんなドッペルゲンガーというのは、
「誰の身にも起こること」
なのかも知れない。
有名人や著名人の逸話が、これだけ残っているということは、それ以外の一般人にないというわけはないのだ。
しかも、一定の地域にだけ言われているものではなく、世界中にその逸話が残っているし、
「ドッペルゲンガー」
というものに対して、人それぞれに温度差はあるかも知れないが、少なくとも、
「名前だけは知っている」
という人が、相当数いる」
と言っても過言ではないだろう。
そんなドッペルゲンガーであるが、あくまでも、それは、