輪廻対称
というものが、人に伝染するという話を聞いたことはない。
「遺伝というものは、しょうがない」
ということなのかも知れないが、少なくとも、
「空気感染」
であったり、
「飛沫感染」
というような、ひどいものはないといってもいいだろう。
これはあくまでも、
「菌やウイルス」
と言った、
「パンデミックに繋がる」
というものであった。
だが、
「勉強もしないくせに、頭から、精神疾患を精神病という言葉で、人に移りかねないという病気だ」
と思っている以上、
「特殊学級」
というものを、まるで、伝染病における、
「隔離施設のようなものだ」
ということで、
「サナトリウム」
を思わせることになるだろう。
サナトリウムというと、昔でいうところの、
「結核病棟」
のことである。
戦前までの、
「ストレプトマイシン」
のような特効薬ができるまでは、
「不治の病だった」
と言われる時代があり、
「サナトリウムが必要だった」
ということなのだろうが、今の時代は、もちろん、その進行度にもよるのだが、
「手術をしなくても、投薬だけで治る」
と言われた時代があったりしたのだ。
それを考えると、
サナトリウムというのは、
「今の人がどういう意識で見ているのか分からない」
ということであるが、
「伝染病なのだから、それも当たり前のことだ」
といってもいいだろう。
だから、当時のサナトリウムというのは、
「不治の病」
として苦しんでいる人を、さらに隔離するということで、
「これほど理不尽なこともないだろう」
といえるに違いない。
そうなると、
「サナトリウムというものの存在」
というのは、どうしても、疾患のある人間でも、伝染性のあるものであれば、
「罹った人は罪悪だ」
というレッテルを貼られかねないといえるであろう。
結核病棟としてのサナトリウムというのは、どうも暗いイメージしかない。
そんな結核病棟も、
「結核が不治の病ではない」
ということになると、
「サナトリウムの存在意義」
というものなくなってくるだろう。
中には、相当数のサナトリウムが取り壊されることになるだろうが、何といっても、
「助からない人」
というものを、
「他の人に伝染しないため」
ということで作った施設なのだから、金をかけているはずもない。
実に、
「人間というのは、むごいものだ」
といえるだろう。
「同じ人種なのに、なんてことを?」
と思うだろうが、
「だったら、人種が違えばいいということか?」
ということで、それこそ、ナチスドイツが行った、
「ホロコースト」
なるものであれば、
「世界から、囂々たる非難を受ける」
ということになるだろう。
だが、それよりも昔は、いや、今も燻っているのだろうが、
「色が黒い」
というだけで差別対象になったり、奴隷として扱われていた時代があったことと、どう違うというのか。
「ナチスだけを批判」
というのが、本当に正しいことなのか?
それを考えると、結局は、
「勝てば官軍」」
ということである。
だから、人間というのは、
「人種」
であったり、
「肌の色」
というもので差別するというのは、
「それぞれに理由とすべき大義名分のようなものがあるから、主張できるのであって、
「結核患者に対しての差別」
というのは、人種が同じだからこそ、
「却って近づけることができない」
という発想に結び付けていいものなのだろうか?
そんなことを考えてみると、
「結核病棟」
というものが、どんどんなくなってくることで、そもそも、そのサナトリウムというものは、一種の、
「負の遺産」
ということで、資料館などとして、文科省によって、保存されているところもあるかも知れない。
政府がかかわらなくても、ひょっとすると、民間に買い下げられ、そこを資料館のようにして、
「サナトリウムというものの実態」
を、保存しているのかも知れない。
そもそも、
「世界文化遺産」
というものに、世界的な、
「負の遺産」
というものが残っているところもある。
「空襲が襲って、廃墟になった村」
であったり。その極めつけが、広島の、
「原爆ドーム」
ではないだろうか?
未来に対して、過去の恐ろしい教訓として、それらを遺産として残す。それによって、世界平和に貢献できるのであれば、
「負の遺産」
としての、保護を最大目的とする形での、
「世界遺産登録」
ということになったのだろう。
「世界遺産」
というものは、そういう負の遺産というものもあって、こちらは特に、
「未来への教訓」
として、保存を目的とすることが、大切だということになるだろう。
「人類で、一番忘れてはいけない」
ということが、一番、保存を必要とする。
それこそが、
「世界遺産」
というものの、
「意義の一つ」
といえるだろう。
では、
「サナトリウム」
というのは、どうなのだろう?
伝染病であり、不治の病であった結核を、他の市民から守るということでは、必要なものだったといえるだろう。
そうなると、今も残っている、
「不治の病」
と呼ばれるもので、たぶん、伝染病というものは、今は、そこまでひどくはない。
今から、数十年くらい前に、言われるようになった
「不治の病」
として。
「HIV感染」
いわゆる、
「エイズと呼ばれるものがあった。
出てきた時は、その致死率の高さには、驚愕たるものがあったが、それ以上に、エイズに関しては、
「潜伏期間の長さ」
というものに、驚愕を通り越して、恐怖が感じられたのだ。
というのは、このウイルスの潜伏期間は、
「5〜10年」
と言われているのだ。
しかも、感染経路としては、
「血液感染」
「体液感染」
ということで、
「ゴムをつけない性行為」
であったり、
「注射針の遣いまわし」
などによる感染が大きかったのだ。
最近は、エイズは、
「不治の病ではない」
と言われる。
これは。感染しても、
「健常者とほとんど同じ生活ができる」
ということで、完全治癒というわけではないので、ウイル氏が消えるわけではないが、少なくとも、
「不治の病ではない」
ということだ。
ということになると、エイズというのは、
「限りなくゼロに近い」
という状態に持っていけるということになるのである。
要するに時代というものは、いろいろな問題点であったり、注目点というものが、循環することで、まるで、
「わらしべ状態」
という。
昔の桜井市の長谷寺が、発祥だという、
「わらしべ長者」
というお話になぞらえるような、最後には、幸せになるということであるが、戻ってくるという発想もあっていいのではないだろうか?
大団円
このサナトリウムというところは、ほとんどが、
「資料館」
として、退役し、
「現役のところは、まずないだろう」
と言われている。
しかし、実際にそうであろうか。
以前、聞いた話であるが、