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輪廻対称

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 そんなカーブは、やはり、規則正しく静かな営みがないと、呼吸の音のように、
「ドクンドクン」
 と脈を打っているのを感じると、どうしても、血しぶきを見ているようにい思うのは、心臓の鼓動が、
「手術室を思わせる」
 というのが、何かの恐怖を醸し出しているようだった。
 また、
「双極性」
 ということばを聞くと、
「双極性障害」
 ということを思い出す人も少なくないだろう。
 特に最近は、精神疾患を患っている人が多く。その精神疾患の多くが、
「双極性障害」
 というものであることは、否定できない。
 いわゆる、ちょっと前であれば、
「躁鬱症」
 と言われていたものだった。
 それが、どういう理由で、そう呼ばれるようになったのか分からないが、
「双極性障害」
 という病気は、その特性からか、
「うつ状態の時と同じだと思うと大間違いである」
 ということだ。
 双極性障害のうつ状態は、完全な病気であり、絶えず薬を飲んでおかないと、どんどんひどくなっていくというものだ。
 双極性障害には、1型と2型があり、
「躁状態の大きさによって、型が違う」
 というのが、
「双極性障害」
 というものである。
 要するに、
「うつ病」
 と呼ばれるものは、広義の意味ということで、
「病気の場合もあるが、それ以外の場合もある」
 ということで、それは、
「病気以外の何か他の原因があり、その原因は、パワハラであったり、セクハラなどと理由はあまり違わないとしても、その積み重ねが、精神疾患という形で、病気認定される場合もあるが、それ以外に、それらの原因だけで直接うつ状態になったものは、病的症状という言葉で表せるのではないだろうか?」
 それを思うと、
「本当に、病気というものが、原因からだけで、結果に結びつくものではない」
 ということで、中には、うつ状態が原因で精神疾患となる」
 ということになり、精神疾患が、今度は脳に障害を与えるものとなることで、
「脳の病気」
 と言われる、
「双極性障害」
 というものになるのではないだろうか?
 医者ではないので詳しいことは分からないが、少なくとも双極性障害というのは、
「脳の病気」
 ということなので、あくまでも、
「薬を投与していなければ、症状が悪化する」
 と言われている。
 だから、双極性障害というのは、普通の、
「うつ病」
 と違い、最初から、躁状態というのは、付きまとっているもので、いわゆる、
「表裏の関係にある」
 といってもいい。
 うつ状態から抜けると、一定期間の、うつ状態と、躁状態が共存しているといってもいい、
「混合状態」
 と呼ばれる時期があるのだった。
 実は、この頃が、
「一番危ない」
 と言われる時期であった。
 それはどういうことかというと、まずは、まわりから、
「治ったのではないか?」
 と誤認されることであった。
 本人は、分かっているのだろうが、まわりの人は、そうは思わない。何しろ、
「大鬱状態」
 と言われるような、人を近づけないほどの、うつ状態であった人が、少しでも、その状態を脱すれば、相当、明るくなったかのように錯覚するだろう。
 しかも、大鬱状態から、混同状態となり、さらに、躁状態へと変わっていくのだから、
「双極性障害」
 というものを、
「脳の病気だ」
 という認識がない人が、
「もう治ったんじゃないか?」
 とかんがえたりするのだった。
 しかし、実際には、この
「双極性障害」
 というものを、うつの状態の時だけ見て、
「ああ、これはうつ病ですね」
 と医者が簡単に判断を下すという、
「誤診」
 というものが、医者の間でもあっているという、それだけこの
「双極性障害」
 という病気はややこしいものだといえるのではないだろうか。
 実際に双極性障害というものを、
「医者でも誤診するくらい」
 と言われているのに、誰が、素人にそんな大それた判断ができるというものか。
 これらのことは、実に難しい発想ということであり、
「病気を甘く見ると、大変なことになりかねない」
 といえるだろう。
 また、躁状態への入り口で、
「危ない」
 と言われることの一つとして、実はこの時期というのが、
「一番自殺したくなる衝動に駆られる」
 ということであった。
 本人も、まわりに言われてからなのか、独自の判断によるものなのか、躁状態に入ると、自分の中で勝手に、
「治った」
 と思い込む人も多いという。
 いくら医者に、
「自分で判断しないで、薬は飲み続けてください」
 と言われていたとしても、本人は、どうしても、今までの世間の目の冷たさなどを味わってきたので、その理不尽さゆえに、
「治ったのなら、健常者としてふるまってもいいのではないか?」
 ということで、ただでさえ、きつい副作用のある薬を、
「気持ち悪かったり、苦い思いをして飲まなければいけないのか?」
 と考えると、
「治ったのなら、飲みたくない」
 というのは当たり前であり、その薬の中で、精神状態を安定させるものがあったとして、薬をやめることで、いかに、抑えてきたモノを吐き出すことになるかということで、考え方が、どんどん悪い方に向かうということで、
「うつ病が激しくなった」
 という状態から、
「自殺願望」
 というものが、膨れ上がってくるというのも当たり前だといってもいいだろう。
「双極性障害」
 というものだけに限らず、
「精神疾患」
 というものを知らない人は、一番危ないといってもいいだろう。
 確かに、双極性障害というものだけに限らず、世間一般の人は、
「精神疾患にもいろいろある」
 ということを知らずに、
「十把ひとからげ」
 という状態であるかのように、すべてを、
「精神疾患」
 という言葉で片付けようとする。
「その方が楽だ」
 ということからなのかも知れないが。
 考えてみれば、それは、
「精神疾患になったことがない」
 ということから、楽な方がいいと考えるからだろう。
 実際に、精神疾患というものがどれほどの種類があり、それを一つ一つ、精神内科の先生が、
「患者の数だけ病気の種類がある」
 という形で、個別に対応しているのだから、
「それは大変なことだ」
 ということになるだろう。
 しかも、昔、小学校の中に、
「特殊学級」
 と呼ばれるような、
「障害者を集めた人を一つのクラスに入れる」
 ということをしていたのだが、健常者の家族の中には、その特殊学級というクラスを、そう呼ばずに、放送禁止用語としての、
「肉体的特徴」
 をとらえて口にしていたほど、差別的な発言をしていた時代があり、それこそ、
「あからさまな差別問題だった」
 といえるだろう。
 そんな時代において、
「自分の子供にも、精神病が伝染したら困る」
 とでもいいたいのか、
「あんなクラスの近くによったり、あのクラスの人と話をすることも許しません」
 といって、子供を恫喝し、それで自分の子供を守っているつもりでいても、まったくそんなことはなく、ただ、
「障害者というものに、言葉の迫害を浴びせているだけだ」
 ということになるのである。
 実際には。
「精神疾患」
作品名:輪廻対称 作家名:森本晃次