輪廻対称
この時代においては、攻め込まれると、逃げる時に、前日の国の軍と同じように、駐留していた村を焼き払ったりもしたかも知れない。
何しろ、攻め込んだ方は、自分たちの欲を満たすために、そこにあるものを、
「戦利品」
としてせしめるということも、普通にあるのだ。
土地によっては、四方を、有力大名に取り囲まれている小大名もいる。
「力の均衡を保つ」
というこで、攻め込まれるということをまわりの国は躊躇っていたという場合もあっただろう。
というのは、
「そこを攻め滅ぼして、占領し、自国に統合してしまったりすると、国土は確かに広くはなるが、敵対している国と、国境を接する」
ということになる。
だから、今の時代でも、
「核開発を進めていて、核実験やミサイルのテストを繰り返しているその国を、世界の警察を自認する国が、攻め込まないのはそれと同じであった。
その国が亡くなってしまうと、その奥にある、今の、
「敵対する超大国」
と国境を接してしまうということは、どちらの超大国も、好ましくないことであった。
それを思うと、
「今の我が国において、どのように対応すればいいのか、とにかく、泳がしておくしかないのだろうか?」
というのが、
「世界の警察」
というものをかつて自認していた国家の対応であった。
昔から、世界のどこかで戦争をしていて、戦のない時代など存在しなかった。
といってもいいだろう。
日本においても、江戸時代の、
「天下泰平」
の時代においても、
ところどことで、
「島原の乱」
であったり、
「大塩平八郎の乱」
などと、未遂に終わったものもあったが、まったくないというわけではなかった。
そういう意味では。
「赤穂浪士」
の話も、問題と言えば、問題だっただろう。
平和な時代であったが、それだけではなかったのではないだろうか?
「幕藩政治」
ということで、各地を納める藩を、幕府が押さえつけているというのが、幕藩政治である、江戸幕府だったのだ。
江戸時代が、それまでの
「鎖国政策」
というものが、アメリカによる、
「砲艦外交」
というもので、無理矢理開国させられてしまい、それによって、各藩が、幕府の弱腰に愛想をつかしたといってもいいだろう。
それは、
「朝廷が、かなりの攘夷論者であったということも言えるだろう」
つまり、ほとんどの藩が、
「外人が嫌い」
ということであった。
それも仕方のないことで、最初から、
「外国と付き合うな」
と幕府がいっていて、鎖国政策をとったのではないか。
鎖国政策をとった理由としては、大きく二つあるだろう。
一つは、
「キリスト教の弾圧」
ということであった。
歴史を知らないか、あるいは、中途半端にしか知らない人は、
「宗教の自由」
というものを弾圧している」
ということをいうのだろうが、そもそも、
「宗教の自由」
という考え方は、今の民主主義だからいえることで、他の国家体制であれば、そんな自由などないところだってたくさんある。
特に国家が進める宗教画あれば、
「それ以外の宗教活動を禁止する」
という国だって、たくさんあるだろう。
大航海時代と言われる時代に、日本にも、
「キリスト教」
と、
「鉄砲」
というものが、普通に入ってきた。
実際に、それら二つは、それぞれに、日本人に大きな影響を与えた。
特に鉄砲などは、その威力に、当時の戦国武将は、取りつかれるようになったいたのであった。
その頃のアジアの国々がどうなったのか?
ということを考えると、
「キリスト教弾圧」
というのも、決して無理もないことだったのだ。
というのは、その頃が、
「大航海時代」
と言われるのに対して、もう一つ言われていることがある。
というのは、
「植民地時代」
というものであった。
ヨーロッパの国々は、アジアや、アフリカなどの、当時としては、
「未開の地」
というところに侵略行為を繰り返したのだ。
その常套手段として、
「まず、キリスト教の宣教師を送り込んで、そこで、布教活動というものを行うようになる。もちろん、相手国の許可を得てであるが、キリスト教の布教というものが、植民地計画にかかわっているとは、侵略される方の国は、夢にも思わなかったであろう」
ということだ。
「宣教師は、不況を続けながら、一種の、諜報活動も一緒に行っている」
ということで、
「国家が諜報活動によって混乱すると、相手国の軍は、待ってましたとばかりに、宣教師保護を名目に、攻め込んできた、あっという間に占領してしまう」
ということである。
別に、宣教師が諜報活動をすることもなく、占領するなど、簡単なことであっただろう。アジアの旧式な兵器で、ヨーロッパの最新鋭の兵器に敵うわけがない。
しかし、それを露骨にやってしまうと、
「あからさまな侵略」
ということになるのだ。
それはさすがに、許されることではない。
だから、諜報活動によって、国家をカオスにすることで、攻め込んだ国が、治安を維持するということで、侵略してしまうということが、平気で行われたのが、この時代だったのだ。
ちなみに、日本も同じことをして、満州事変を起こしたが、結果、国連に、
「満州国建国」
というものを否定されてしまった。
ひょっとすると、このやり方は、
「満州事変の時代には、すでに、古臭い方法だった」
ということなのかも知れない。
それを思うと、
「時代は、しっかり動いている」
ということと、
「取り残されると、痛い目にあう」
ということでもあるのだ。
鎖国で、2つの理由があったといったが、一つは。そんな侵略をしてくる
「外国の、先遣部隊ともいえる宣教師の侵入を許さない」
ということになるのだろうが、
それはあくまでも結果論といってもいいだろう。
というのも、そもそも、キリスト教というのは、
「人間はみな平等」
などと言い出して、キリスト教の信者は、幕府のやり方に逆らうようになるのだから、幕府とすれば、
「目の上のたんこぶ」
といってもいいだろう。
それを思うと、宣教師が迫害されるのは当たり前のことで、実際に、秀吉の時代も、長崎で、
「二十六聖人事件」
というのが起こり、宣教師が磔にされるという事件だったのだが、そこから、キリスト教の弾圧が始まったといってもいいだろう。
そもそも、当時の権力者が、キリスト教の保護をしたのは、
「鎖国の二番目にあること」
と似たところがある。
それは、
「キリスト教の布教を許せば、宣教師の国と、貿易ができる」
というメリットを考えたからである。
「キリスト教の布教」
というデメリットと、
「貿易による利益」
というメリットを考えた時、
「これら双極性のものが、できればメリットに近くなるか?」
ということが、一番の大きな問題であった。
これこそ、
「メリットとデメリットの間の、メリットが、無限に続くものである」
という考えに立つと、
「限りなくゼロに近い」
ということを考えた、
「合わせ鏡」
であったり、
「マトリョシカ人形」