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輪廻対称

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 と、
「都市伝説」
 というものは似ているといわれるのだろうが、実は、双極的なものだといえるのではないだろうか?
 それは、ゼロから見た時、まったく同じ距離で、
「折りたたんでしまえば、同じ位置になる」
 ということになるのであろう。
 折りたたんだ畳み方による」
 ということであるが、それは、
「絶対に、その箇所が存在する」
 ということの裏返しでもあるのだ。
 つまり、
「曖昧なもの」
 を、そのまま、
「都市伝説だ」
 と考えるのは、本当に浅はかな考えであろうか?
「都市伝説というものを、冒涜しているのではないだろうか?」
 と考えるが、その根拠というべき、
「曖昧さ」
 というものには、失礼はないのである。
 これは、
「曖昧さ」
 というものが、
「人間が何かできるレベルのものではない」
 ということになるのであろう。
 もし、そのレベルであれば、
「都市伝説」
 と、
「曖昧さ」
 というのは、二つに分かれることなどなかったのだ。
 一つのものが、たくさん細胞分裂することで、成長し、次第に大きくなっていくものが、
「菌」
 というものであり。
「単細胞なので、分裂ができないことで、自分が生きていくために、
「変異を繰り返す」
 という、
「ウイルス」
 というものの存在として、
「いわゆる伝染病には種類があるわけで、どっちがどっちということもない」
 伝染病が流行った時に初めて、
「菌というのは、細胞分裂を繰り返すもので、ウイスるは、変異を繰り返すものだ」
 ということを思い知らされるのである。
 特に、数年前から、世界で大流行している、
「世界的なパンデミック」
 というものを引き起こした。あのウイルスである。
 陰謀論が、かなり、プンプンと世間を賑わしているが、それは、
「ワクチン接種」
 の時に、特に言われるようになったのだ。
 とにかく、最初から、
「曰く付き」
 だったワクチンである。
 伝染病が流行ってから、一年で
「某国の製薬会社が作ったワクチン」
 だったのだが、
「本当に大丈夫なのか?」
 ということが、世間で言われるようになった。
 しかも、のワクチン接種を、国は、
「なるべくたくさんの人に打ってもらおう」
 ということで、
「何かあったら、国が保証する」
 といって、打たせたのだ。
 その結果、亡くなった人がいたのだが、遺族が、
「保障を」
 といって、国にいったのだが、国は、
「因果関係が認められない」
 ということで、保障を突っぱねたという。
「お前たち政府が、保障するとかいうから、しょうがないので打ってやったんじゃないか」
 と、言いたいところを、必死にこらえたのだ。
 だが、それを政府は知ってか知らずか。実際に、
「保障する」
 と言った言葉をそっくりひっくり返したのだ。
 そんなものを見せられて。
「これじゃあ、政府のいうことなど誰が聞くか」
 ということになる。
 それはそうだろう。
 遺族だって、
「保障をもらったって、本人、つまり、死んだ人間が帰ってくるわけではないんだ」
 ということである。
 ただ、政府に少しでも誠意があるのであれば、何も文句を言ったりはしない。
 そう、
「できないなら、するなんて言わなければいいんだ」
 ということであり、
「これじゃあ、完全な詐欺ではないか?」
 ということである。
「詐欺というものが、どこまで詐欺といってもいいのかということであろうが、余りあるくらいの詐欺行為に、当事者だけではなく、世間が騒ぎ出すと、実際に何も言われていない、ワクチンの効用まで、騒がれるようになる」
 ということである。
「詐欺というものが、いかにひどいものなのか?」
 ということであるが、実際に見えていること以上に、叫ばれているということになるのではないだろうか?
 それが、
「国家ぐるみ」
 というか、
「国家そのものが行っている」
 ということで、どうしようもないことだということであろう。
 政府の、そんな露骨な態度をみてしまうと、
「パンデミックに対しては、政府は一切機能しないし、さらに、露骨に保身に走る」
 ということが分かった。
 要するに、
「自分の命は自分で守る」
 ということを考えないといけないということであろうか?
 これが戦争などになると、もっとひどいことになる。
 これは、わが国のことではないが、他の国で戦争が起こった時、その国が、さらに第三国から攻め込まれたその時、市民を守るべき軍部が、
「勝ち目がない」
 と思うとさっさと、対岸に逃げ去ってしまい、しかも、まだ、向こうには、逃げ遅れた市民がたくさんいるにも関わらず、平気で橋を落としてしまう軍がいたりした。
 さらには、別の国の場合であるが、
「攻め込まれたら、敗走を繰り返し、どんどん、相手を奥地に誘い込む」
 というような作戦を取っていたのだが、その軍が、駐留していた村では、当然、
「自国の軍」
 ということで、相当なもてなしを行っていたようだが、攻め込まれてしまいそうになると、さっさとその村を見捨てて、奥地に逃げてしまうのだ。
 しかも、それだけなら、まだいいというのか、
「逃げる際に、その村を焼き払う」
 というのだ。
 それは、
「攻めてくる相手軍に、村をそのままにしておけば、結局、攻め込んできた軍のものとなってしまい、相手に、戦利品をただで与えてしまうことになる」
 というわけである。
 確かにそうなので、この作戦が、決して悪いというわけではないのだろうが、やはり、
「自分たちの保身のために、守るべき自国民を苦しめた」
 ということである。
 何といっても、自分たちが、進駐した時は、歓喜で迎えられたはずで、もとなしだって受けたではないか。
 ただ、このもてなしも、村人の打算の中にあったのかも知れない。
 しかし。それも、村人からすれば無理もないこと、
「自分たちを守ってくれるであろう兵隊さんを飢えさせるわけにはいかない」
 というわけであり、
「彼らを助けるのは、俺たちの役目だ」
 といってもいいのではないだろうか?
 そんなことを考えていたのだから、やはり、村を自分たちの手で焼却するのは、それらの事情を含めたところでも、理不尽でしかないだろう。
 ただ、
「これも、戦争だ」
 といってしまうとそれまでであり、特に敗走を続けるようになると、
「なりふり構わない」
 というところがあるのだ。
 これが、逆の立場で、攻め込む方であれば、どうであろう?
 いくら国際法であったり、陸戦協定のようなものが存在しても。結局は、
「有事として、戦場になってしまうと、もうどうすることもできない」
 ということになるのであろう。
 戦争をするのが、
「軍」
 というものであるのだが、そもそもの軍というのは、
「守備軍」
 だったのではないか。
「専制君主国の軍」
 という場合などは、国家元首、例えば国王などが、隣国に戦争に攻め込むような戦闘を起こせば、侵略軍ということになるのだろうが、それも一概にはいえない。
 これは、日本においての、
「群雄割拠の戦国時代」
 というのはまさにそれで、
「侵略と防戦の時代だった」
 といってもいいだろう。
作品名:輪廻対称 作家名:森本晃次