輪廻する因果応報
だが、実際には、そんなにうまくいくわけもなく、四年生になると、今度は、就職活動というものも出てくるわけだ。
自分が、就職活動をした時というのは、ちょうど、
「バブル崩壊」
と言われた、ひどい、
「就職氷河期」
まではいかないが、その一回前にあった、就職難の時代だった、
というのも、前年から、極端に、求職が減ってきたということで、
「大企業が、軒並み新卒採用を見送った」
という年だったのだ。
大学の、就職相談窓口に行っても、
「今年は、少し去年までとは事情が違う」
といっていたものだ。
当時は、それほど、就職について、結構甘く考えていた、
というのも、
「ただ、興味がある」
というだけのことで、
「製薬会社のプロパー」
というものを片っ端から、目指したものだった。
「資料請求から、面接まで、なかなか面接に行っても、一次面接で落とされる」
ということはざらであった。
製薬会社への面接などは、大体、街の中の一角に、ほとんどの会社は集中しているので、一日のうちに、
「数件の、面接」
ということも可能だった。
しかし、さすがに3つまでが限界だった。
面接というものも、結構労力を使う。その会社ごとに、いろいろと面接で聞かれるであろう質問を想定し、
「模範解答」
というものを考えておく必要があったのだ。
実際に、それらの質問の回答を考えてはいたが、
「回答が甘い」
ということなのか、それとも、
「会社にそぐわない」
と思われるような回答をしてしまったのか、自分でも分からないままに、面接では落ちまくり、
「いたずらに時間の浪費」
というものを繰り返しているという思いで仕方がなかった。
「本来なら、無駄に使っているはずのない時間なのに、どんどん、
「無駄なことをしているのではないか?」
と考えるようになり、追い詰める必要のない自分を、追い詰める結果になってしまっていたのだ。
今から思えば、もう少し、
「何とかなる」
という思いを持っていれば、あそこまで苦しむこともなければ、
「いたずらな時間」
というものを費やすこともなかったのかも知れない。
それを思うと、
「俺は、何をしていたんだ」
と思わないわけもなかった。
実際に、まわりが皆就職が決まっていく中、まだ就職が決まっていないとなると、相当に焦るはずなのに、本人は意外とそうでもなかった。
就活を始めた時ほどの、精神的なきつさは、そこまではなかったのだ。
ひょっとすると、
「何とかなる」
という気持ちと、
「どこか、他人事」
という気持ちが重なるような形で、まわりの人を気にすることはなくなっていたのかも知れない。
「大学の卒業」
という方も、問題だった。
こちらの方は、就活で講義を受けれないこともあって、結構頭の中ではシビアだった。
何といっても、
「就職が決まっても、大学を卒業できなければ、すべてが、パーになってしまう」
ということであった。
だから、卒業ができるかできないかということが、最終的に引っかかってくるということであった。
だが、何とか就職も決まり、大学も単位を取得することができ、無事に就職ができた。
大学の卒業に関しては、卒業までの残りの必要取得単位の倍以上を、結局取得できたのだった、
要するに、
「かなりの単位を残していたので、とにかく、四年生になった時に、取れるだけの授業を取る」
ということを目指したのだ。
実際に、
「危ない」
と思っていたのにも関わらず、授業にもちゃんと出席できて、就活を行いながらも、何とか卒業ができたということは、自信にもつながった。
それまで、一度、
「どうすることもできない」
と思うくらいに落ち込んだのだが、今から考えても、
「よく乗り越えられることができたな」
と思うほどであった、
そのおかげで、就職は、
「望み通りの業種」
というわけにもいかなかったが、ある意味、
「違う業界でよかった」
と思ったのだ。
「製薬会社のプロパー」
というのは、
「成績のいい連中の、人気業種」
ということであった。
何といっても、
「給料がいい」
ということが魅力であり、そこだけに目を向けていると、大変なことになるところだといえるだろう。
何といっても、募集人数は結構なもので、入社に対しての、門は結構広いといわれていたようだ。
しかし、それは入社してからの状況を知るに至ると、
「かなりヤバい」
といってもよかったのだ。
「就職の際に、よりたくさんの人数を募集する」
ということは、どういうことなのかというと、
「それだけ、辞める人が多いから、募集が多い」
というだけのことであった。
「入社して数か月で、半分くらいが辞め、さらに、一年が経つと、ほとんどの新入社員が辞めていく」
ということが現実であった。
つまりは、
「辞めていく人間を見越して、たくさん入社させる」
ということであった。
要するに、
「離職率がハンパではない」
ということになるのだ。
それだけ、
「プロパー」
という仕事が大変だということになるのだろう。
何といっても、勉強しないといけないことがハンパではない。
理学部出身の、薬品に詳しい人であれば、だいぶ、馴染みは違うであろうが、
「薬品に関しては、ずぶの素人」
である自分たちが、今度は、薬品や医学のプロである、
「医者や、薬剤師に対して、営業をかけるのである」
ということだ。
だから、研修期間に、かなりのことを詰め込まれるということになるのだろう。
医学や薬学部の人たちが、4年かかって勉強することを、一部とはいえ、数か月で取得しなければいけないというのは、実に大変なことである。
「脱落者」
というものが出てきても、それは無理もないということになるだろう。
しかも、そんな研修期間を経て、いよいよプロパーというものへの挑戦ということになるのだが、まずは、
「見習い」
ということで、先輩プロパーと同行し、
「プロパーというのがどういうものなのかということを学ぶことになる」
ということであった。
実際に、医者のところに赴いて、営業内容を見ると、愕然とするのではないだろうか。
もちろん、この業界に入ってきた時、ある程度の話などは、聞いてきているだろうから、
「プロパーというものが、他の営業とは、一線を画したかのようになっていて、どれほど大変なものかということが、
「本当に分かっているのだろうか?」
と感じたのは、
「見習い」
の時だったのだ。
「話には聞いていたが、これは……」
と感じさせる。
というのは、
「これほど、医者というものに、ペコペコしなければいけないのか?」
ということであり、下手をすれば、
「プライベイトもないくらいではないか」
ということであった。
特に、
「医者という人種は、わがままだ」
ということなのらしい。
下手をすれば、変な医者に着いたりなどすれば、
朝だろうが、寝ている時間だろうが、電話でたたき起こされて、いきなり、
「ゴルフ行くぞ」
といって呼び出され、せっかくの休日が休日でないという状況に追い込まれるのだ。