輪廻する因果応報
確かに相手は、
「お得意様」
ということであるが、
「いくらえらいのか何なのか知らないが、なんでこんなに偉そうにされなければいけないんだ?」
とどうしても考えてしあうだろう。
「俺は、このままプロパーをずっとやっていけるだろうか?」
と、それまでは、仕事についていけるかどうかということであったが、今度は、
「人間としての我慢ができるかどうか」
というところにかかってくるのだ。
しかし、これは、他の会社に入った人が先に感じることであろう。
そういう意味で、プロパーという職業は、他の業種と違うところだといっても過言ではないだろう。
プロパーというものを、実際にどこまでできるかということで、最終的に離職率が決まるということになるのだ。
そんなことを考えてみると、
「俺だったら、まず最初の段階でダメだろうな」
と、相沢は、
「勉強の段階で脱落は目に見えている」
と思っているが、それ以上に、
「見習い」
というものになった時点で、完全に脱落するということも分かっているのであった。
そういう意味で、
「ああ、よかった」
と、
「知らぬが仏」
などという言葉があるが、
「知らないことがこれほどきついことなのか?」
と思い知らされた気がする。
そんな
「プロパーにならなかった」
いや、
「なれなかった」
といってもいい相沢は、結局、
「食品の卸売業」
の会社に就職した。
「地元地域としては、結構な大手のようだが、全国展開をしている会社ではない」
というところで、実は、
「財閥系企業の地域ごとに傘下となっている会社」
ということであるのを、入社してから知ったのだった。
会社は、結構、当時としては、
「儲かっている」
というところであったが、それも、これから迎えるべく、
「バブルの、前夜」
ということもあっただろうが、当時としては、
「零細企業」
などの会社を結構うまく買収をしていくことで、どんどん、会社が大きくなっているところであり、
「これは、バブル期に訪れる、破綻の防止のために行われた、大企業による、吸収合併」
というものを、少し違っていたのだ。
あくまでも、
「業務拡大」
を目的にしたもので、
「バブル経済」
を支えていたものなのかも知れない。
だから、すでに、当時はバブルになっていて、崩壊する前の、ちょうどいい時期だったのかも知れないということだが、
「自分が就活をしているこの時代に、ちょっとした不況」
というものが起こっていたが、これは、
「バブル期だったということもあって、思ったよりも大した不況には思えなかった」
ということであるが、
それは、実際に、その時代を社会人として肌で感じているというわけではなかったとおうことであろう。
就職も、うまくいくわけはないだろうと思われたが、
「卒業と同じく、何とかなった」
というのは、バブルの前夜で、その景気に包まれていたことが、大きかったのではないだろうか。
一つ新入社員の時に感じたことであったが、あれは、確か入社式の時であっただろうか、当時の、営業部長が、新入社員への訓示の中で、言った言葉として、
「上司がいかに理不尽なことを言っているとしても、最初の一年は黙って従ってください。二年目以降から、その意味が分かってきます」
ということを言っていた。
もちろん、意味が分かるわけではないが、その言葉が頭にこびりついて離れなかった。
「会社の上司が、理不尽な命令であっても従え」
といっているわけである。
そもそも、
「そんな理不尽な上司がいるということを、会社は許しているのか?」
ということを感じさせる。
仕事というものが、どういうものなのかということを、
「入社式でいうなんて」
と考えたが、
「心に残る言葉を」
ということを考えたのだとすれば、
「一目置く」
という上司だということで、
「この会社に就職できてよかった」
と感じるべきだろうが、さすがにそこまでは分からなかった。
それは、
「自分が、ちゃんと理解できるだけの頭が整理できているか?」
ということが問題だった。
就職が、うまくいったかどうか、すぐに分かるものではない。
しかも、その入社式の時、同じ上司だったと思うが、また少し意味深なことを言っていた。
というのは、
「三日もてば、一か月持つ。そして、一か月持ったのだから、一年はもつ。そうなると、定年まで働けるというものだ」
ということを言っていた。
つまりは、先の目標を立てて、それに向かっていれば、
「気が付けば、月日は過ぎている」
ということであり、
その月日の流れ方も、
「唯意義なものになるに違いない」
ということであった。
確かに、その上司のいう通りであった。
人間関係や、上の人との関係などは、この言葉を肝に銘じていれば、意外とスムーズに達成できるということになるであろう。
そんなことを考えていると、
「今の会社に就職できてよかったな」
と感じたのは、就職できて、四年目くらいだっただろうか。
「かかりすぎでは?」
と言われたが、実は、入社してから、一年目から二年目にかけて、いろいろな問題が発生したことによるものだが、あとから思えば、
「よくあの時、会社を辞めなかったな」
と考えるのであった。
それだけのことがあったのだが、時間がすぎてしまうと、
「過去のこと」
として、時代自体が古い時代で、時系列がハッキリとしない状況になっていたのであった。
一番好きだった人
理沙が派遣社員で入ってきた時、最初は、理沙も相沢に気づかなかったようだ、
相沢も、履歴書を見るだけでは、正直よくわかっていなかった。
というのも、
「履歴書の写真というと、なかなか影の問題などもあって、見えている顔が正直、自分の想像と違っていることがある」
ということである。
だから、履歴書の写真だけで、それが、理沙だということはすぐには分からなかった。もちろん、理沙も分かっていないようだった。
ただ、本来であれば、履歴書を見た時、名前でピンと来なければいけないはずなのに、相沢という男は、
「人の顔を覚えるのと、名前を覚えるのが苦手」
というのが、大きな理由であった。
特に相沢という男は、基本的に、営業の仕事をしたことがない。それは、自分で、
「人の顔を覚えるのが苦手だ」
と思っていたからであった。
だから、理沙の顔も正直忘れていた。
しかも、あれから、20年以上も経っているのである。覚えていないというのも当然で、だからこそ、履歴書だけで分かるはずのことはなかったのだ。
それでも、実際に対面すると、特徴が残っているせいか、すぐに分かった。
その日は、派遣会社の営業が、彼女を連れてきて、会社のロビーで対面したのだが、顔を覚えられないはずの相沢だったが、彼女の顔を見た瞬間に、ドキッとするほどに覚えていたのだった。
「相沢さん、彼女が藤本さんです」
といって、営業がいうと、理沙が、頭を深々と下げて、
「藤本と申します。よろしくお願いいたします」
と、低い声でそう言った。