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輪廻する因果応報

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「皆同じくらいに入ってきた人がほとんどだとすれば、一人が定年を迎えると、皆定年になってしまうことになるということで、下手をすれば、2,3年で、誰もいなくなる」
 ということになるわけだ。
 そうなってしまうと、会社は終わりである。その会社が、まわりにどれだけの影響を与えていたかは分からないが、そこが潰れると、
「連鎖倒産」
 などという問題が起こらないとも限らない。
 それを考えると、
「社会問題には、いくつかのツボがあるだろうが、そこの根幹には、つながっているものがあるはずだ」
 ということである。
 それが、
「かつての、社会問題なのか?」
 あるいは、
「それに対しての政府の政策が、今になって、問題として表面化してきた」
 ということになるのかも知れない。
 結構政府の政策で、今の時代に大々的な影響をおよぼしていることも少なくない。
 特に経済政策などは、ずっと尾を引くもので、特に、
「民営化」
 などというものであったり、
「社会保障へのテコ入れ」
 などというものの政策が、
「20年近く経った今になって、暗い影を残している」
 といっても仕方がないということになるだろう。
 ただ、一番の問題だったのは、
「バブル崩壊からの、今につながる時代」
 ということであろう。
「失われた30年」
 などと言われていたりもするが、今の時代になると、まだまだ、
「尾を引いている」
 ということが多かったりする。
 それが、10年くらいにあった問題が、その象徴だったかも知れない。
 どういうことかというと、あれは、金融だったか、証券会社だったかが倒産した時、会社が行った政策として、
「派遣キリ」
 というのがあった。
 これは、
「派遣社員というものが、簡単に首切りができる」
 ということで、リストラの対象になったのが、派遣社員ということで、結局、派遣社員を大量に切ったことで、街に失業者があふれ、公園で炊き出しをボランティアの人がするなどする、
「派遣村」
 などというものが、できた次第であった。
 これは、バブル時代から、世間的に変わったこととして、大きなことの中にあったのが、この、
「非正規雇用の採用」
 ということであった。
 今まで正社員がやっていた雑用や単純作業を派遣社員やバイトにやらせることで、経費節減というのが、主な目的だった。
 そして何よりも、
「非正規雇用」
 というものは、
「首を切りやすい」
 ということで、こんな、
「派遣村」
 などと言われる社会問題が起こってきたのであった。
 結局そのことが、
「終身雇用」
「年功序列」
 などというそれまでの常識を壊していったのだった。
 さらに大きなこととして、それまで神話だといわれてきた、
「銀行不敗神話」
 というのがあったが、それを防ぐ、あるいは、救済措置として行われてきた、
「吸収合併」
 ということである。
「銀行は絶対に潰れあい」
 と言われてきたことが、簡単に壊れてしまった。
「バブルの崩壊というのは、そういう時代だったのだ」
 ということである。
 結局、結婚した相手は、途中で、何も言わなくなり、それが最初は、
「それほどのことはない」
 と思ったのが間違いで、それが、実は、女性側からいう、
「SOS」
 だったということに気づいていなかったのだ、
 それを考えると、
「別れも必然だった」
 といってもいいだろう。
 奥さんになった人は徹底的に争うつもりからか、実家に戻った後で、こちらが説得に行っても、会おうとはしない。それが、お互いのストレスになりかかった時、相手から、
「調停」
 というものに持ち込まれ、調停委員から、
「もう奥さんの気持ちは固いので、お互いにこれからの人生を考えたら?」
 と言われた時、
「ああ、これで、もう完全に切れちゃった」
 と、相沢は感じたのだった。
 だから離婚して、実際には、それから少し、
「女性と付き合うのはつらい」
 ということで、1年ほど、一人でいたが、
「やはり寂しいな」
 と思ったことで、他に好きな人を探してみた。
 だが、実際に、そんな人がいるわけもなく、さらに数年は、
「女性の友達がいたが、付き合ったり、ましてや、結婚などという人は現れなかった」
 ということである。
 それでも、少し気になったという人もいた。
 40代中盤くらいから、定年となるこの年までの間、
「これほど、短いと思った時期はなかった」
 特に、40代というと、昔は、
「不惑」
 と言われ、
「惑わない」
 と言われる年齢だったという。
 確かに、惑わないといわれるような年齢ではあるだろう。ただ、それは、今の時代には、言い表せない。
 昔のように、
「40代というと、仕事では、ちょうど係長から課長あたりという、会社的には、会社側の人間という管理職になっていて、家では、子供が、小学生か、中学生くらいで。家庭的には、一番充実している頃だということなのだろう」
 しかし、今は、
「終身雇用でも、年功序列でもないので、同じ会社にいることもないかも知れないし、同じところにいても、実力主義で、若い連中に追い抜かれている可能性だってあるのだ」
 という時代である。
 家庭においても、
「そもそも結婚しないという人が増えていて、今の収入で、子供を作ることなどできるわけはない」
 というそんな状況で、会社など、うまくいくはずがないではないか。
 ということになるのであった。
 そんな年齢で、
「惑わない」
 とはどういうことなのか?
 一つ言えることは、
「今の時代は、孤立の上に成り立っている」
 といってもいいかも知れない。
 特に企業は社員には厳しく、特に、身障者などの、
「弱者には容赦しない」
 といえる。
「精神疾患になった」
 というだけで、会社が平気で首を切る時代だ。
 そもそも、その原因は、
「どこが作ったのか?」
 ということである。
 離婚してからの数年というものは、
「彼女がほしい」
 と思い、今でいう、
「婚活パーティ」
 のようなものに出かけたが、なかなかカップルになれることもなく、
「やはり、主役は若い人たちだよな」
 と思うと、嫌になってきたのだ。
 実際に婚活パーティといっても、
「もし、カップルになっても、同じ人が翌日のパーティに出席しているのを見て、がっかりした」
 ということがあった。
 それは、こっちも同じなので、人のことはいえないが、やはり気まずいものである。
「前もって申し込んでおいたから」
 といってしまえばそれまでで、主催側も、
「一度カップルになった人は、参加できない」
 という規定を作れない。
「カップルになっても、結局気が合わないとかいうことで、別れてしまうということが、普通にあるからである」
 といえるだろう。
 だが、
「意外と第二の人生の方がうまくいくことが多い」
 という話を聞いたので、何度か通いづけたが、結局、カップルになることもほとんどなく、諦めたのだった。
 そのうちに、
「別に結婚などしなくてもいいのではないか?」
 と考えるようになり、結婚をするということが、どういうことなのかということを、頭の中の記憶を紐解くと、
作品名:輪廻する因果応報 作家名:森本晃次