「悪魔の紋章」という都市伝説
「日本では、かつては、歴史上、近親婚と呼ばれるものが実際にあったりしている」
基本的に、近親婚として、
「三親等以下の結婚はできない」
ということで、
「おじさんと娘」
という関係はできないが、
「いとこ同士」
ということであれば、結婚できるのだという。
そもそも、その根拠はどこにあるというのか、医学的見地なのか、法的根拠なのか全くわからない。
しかも、
「近親相姦で生まれた子供に、障害が多い」
ということの根拠が実際にあるのだろうか?
この場合の根拠というのは、どれだけのものをいうのだろうか?
三親等以下ということは、
「いとこ同士くらいの血液の関係であれば、劇的に、障害者が生まれる可能性が低くなる」
ということのなるのだろうか?
つまりは、
「根拠」
というものの証明が、必ず何かとの比較ということであれば、それぞれの根拠を、どのあたりから示すかによって変わってくる。
「今の時代だけで、本当に根拠となるのか、過去からずっとその調査資料が残っていて、それとの照らし合わせであるというのか、もし、そうでないとすれば、根拠だと言い張ることはできないだろう」
そんなことを考えると、
「都市伝説における根拠というものの実証性は、どこからくるものなのか?」
といえるだろう、
それがどこからくるものなのか。その判断は難しいといえるだろう。
身体にあざができる子供が生まれるということで、、
「よく言われていること」
というのか、昔から、各地に伝わる伝説の中に多いという意味で、これも、都市伝説の一つのようにも言われていたのが、
何か、精神的にショックなことや、ショッキングな場面に遭遇すると、生まれてきた子供に、赤痣が残るなどということが言われたりするというのであった。
実際に、そういう話があることで、それだけ、
「妊娠中というのは、精神的にも不安定で、気を付けなければいけない時期だ」
ということになるという。
小説の中でも、
「子供にあざがあるので、表に出すことができず、しかし、ウワサだけが先走りして、蔵の中に、化け物を飼っているというような根も葉もないうわさを立てられ、いまさら、それが自分の子供だと言えずに、ジレンマに陥った母親が、最後には苦しんで、苦しんだ挙句に、気が狂って、子供を殺して、自分も自害する」
というような話が伝わっているところがあるというのを聞いたこともあったが、どこまで本当なのか、分かったものでもなかった。
精神的にショッキングなことが、どのように伝わっているのか、それを考えると、
「案外、元々は違う話であっても、年月が経って、時代が移り変わっていくうちに、次第に似た話になり、最初から同じだったのではないか」
というような話になるかも知れない。
微妙な違いは目を瞑ったとすると、結局、その違いというのは、
「どれだけの伝承を紡いでいるか?」
ということを考えさせるものとなるであろう。
そういう意味で。
「同じだと思われていた話にも、違いがあるように、今のおとぎ話として伝わっていることで、どこか、辻褄が合わないとされるような話の微妙な違いの出所は、そもそもの話が微妙に違ったからだ」
ということで、逆にいえば、
「それぞれで伝わっていた話というのも、実は、一つであり、その一つの話は、辻褄の合わないことなどない、そういう意味で、根拠がしっかりしたものだったのかも知れない」
と考えられる。
ということは、
「根拠の曖昧な都市伝説」
というものも、元は、どこかで一つだったものが、それぞれの地域で違った形で伝えられたものが、またおとぎ話などで再編成されそうになる時、曖昧なまま紡がれたことで、結局は、曖昧になってしまったということで、おとぎ話に収めることができず、口伝されたものが、それぞれの街で、
「都市伝説」
として伝わったのではないか?
というように考えることもできるのではないだろうか?
それが、都市伝説の正体であり、それを教えてくれるのが、
「おとぎ話になれそうで、なれなかった」
という、無数に存在するであろう。それぞれの村や街に残る伝説を総称して、
「都市伝説」
というのであるとするならば、
「都市伝説こそ、根拠というものを複数持っていて、その結論というものを、どこまで、正確に、いや、どこまでたくさんの伝説を持っているかということで決まる」
といってもいいのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「都市伝説と口伝」
というものは、それぞれの村を一つ一つ探してみるのも、民俗学ともいえるのではないか?」
ともいえるだろう。
今の時代にも、
「百物語」
であったり、数多くの知られざる伝説というものが、
「恐怖話」
として語られるのも、それらの伝説が、
「無限に広がっているものとして、それこそ、無限が、都市伝説そのものなのではないか?」
といえるのではないだろうか?
そんな都市伝説の中での近親相姦という話は、先ほどの、痣というものに関係があるという伝説も残っていたりする。
特に近親相姦というと、宗教的な話であったり、医学の話。さらには、倫理にかかわるという、昔からの問題にも、どこかで立ち向かう必要があるものとして考えるべきものではないだろうか?
そんなことを考えていると、前述の、
「都市伝説が伝わることで、最初は同じだったのもが、一度別れる形になって、さらにまた一緒になる」
というような仕組みの間に、その発想が膨らんでくるということにもなると考えると、そこにあるものは、
「また新しい、都市伝説を生む」
ということではないか?
ということは、
「近親相姦」
という一種の都市伝説も、
「何か違うものに変化し、それぞれの場所で、それぞれの進化を遂げることで、最終的に一緒になった時に、何か別の神話を生むことになる」
といえるのではないだろうか?
そうなると、それが、
「身体にできた痣」
といってもいいと考えると、身体にできた痣というものは、
「何かのショックによって生まれるもの」
というのと、
「近親相姦によって生まれる、障害のようなものだ」
と考えることで、この一つの事象に対して、二つの、あるいは、それ以上の発想が生まれるということになるのだとすれば、
「都市伝説というものは、さらに、分裂する機能があり、さらに、それが、似たパターンで形成されている」
と考えると、
「近親相姦と、身体にできた痣」
という発想は、
「別の都市伝説を生んでいるのではないか?」
と考えられる。
そこで、その都市伝説が何かということを考えると、そこで浮かんできたのが、
「悪魔の紋章」
という発想である。
これは、突発的に生まれた発想だと自分では思っているが、その根拠というものが、どこから生まれたのかということが、自分では分かっていないということになるのだった。
だが、
「悪魔の紋章」
という発想が、
「身体にできた痣」
というものを、禁忌なものとして捉えるならば、その発想に、
「近親相姦」
というタブーを思い浮かべるのは、無理もないことであろう。
作品名:「悪魔の紋章」という都市伝説 作家名:森本晃次