「悪魔の紋章」という都市伝説
「栄養失調になる寸前の状態で、気が狂ったかのようになる状態から、死んでしまう人は、若干数いた」
と言われている。
だからといって、そんなにたくさんの人がいるわけではないのに、おかしいということで、その頃から、まことしやかに言われ出したのが、
「釣鐘に描かれていた絵の中に、悪魔の紋章が描かれていたので、それを鋳つぶすことになった罰当たりな行為に対しての報復だ」
ということであった。
その絵柄がどのようなものだったのかということを知っている人は、少ない。実際に見たことがあるという人も、それを再現して描くというのは、不可能だという。
「かなり複雑で、まるで、家紋のような絵だったから、それを再現するのは難しい」
ということであった。
絵心がある人ならまだしも、この街に、絵心があるというような人がいるはずもなく、もっとも、それが分かったところで、どうなるものでもない。あくまでも、ただの都市伝説でしかない。
ということだったのだ。
だから、人が死んだといっても、そのことを誰が、この、いわゆる、
「「悪魔の紋章のせいだ」
といって、信じてくれるだろうか?
「気が狂って死んでいった」
というのが、栄養失調のせいだというのは、こちらも、迷信のたぐいに違いなかったが、それでも、
「悪魔の紋章」
という説よりも、よほど説得力があったので、怪しいことではあったが、
「栄養失調による死亡」
という方が、まだ、よかったということで、この、
「悪魔の紋章」
という説も、ほぼ、掻き消されたかのようになり、それだけに、迷信のたぐいは、口にするのは、タブーだということになったのであった。
ただ、
「人の口に戸は立てられない」
ということもあり、
「都市伝説」
として、一人歩きをしているのであった。
それも、ある種の
「オカルト研究会」
と言われるところでは、実際にあったことであるかのように、
「まことしやかにささやかれていた」
ということであった。
そんな都市伝説において、S大学の、
「民俗学の研究チーム」
というものが、この話に飛びついたのは、ある意味、
「必然であった」
といっても、過言ではないだろう。
要するに、民俗学というものと、都市伝説とでは、ある意味、相対的なものである。
そもそも、民俗学というのは、
「村々に伝わる、昔からの伝承であったり、言い伝えのようなものを研究するというのが、その筋であるが、都市伝説というのは、同じ伝説でも、現代風の恐ろしい話を、あたかも昔からあったことのように言われるもので、それが、どちらかというと、根も葉もない。つまり、根拠があいまいな上で広がったものだから、余計に、昔からあったかのように言われることで、その根拠を植え付けようと考えているのかも知れない」
ということであった。
だから、民俗学を研究する人間には、都市伝説というものを、無視しては、研究できないといってもいいのではないだろうか。
自分たちが、都市伝説というものを研究することは、その土地の研究には切っても切り離せないことだと思っているからであった。
背中の痣
「悪魔の紋章」
と呼ばれるものの中には、人間の身体に宿るものもある。
よく言われるものとして、
「人面瘡」
などと呼ばれるものがある。
「妖怪・奇病の一種。体の一部などに付いた傷が化膿し、人の顔のようなものができ、話をしたり、物を食べたりするとされる架空の病気」
と言われていたりする。
「悪魔の紋章」
としては、一番まことしやかなものではないだろうか?
確かにオカルト色が豊かで、
「都市伝説」
としての素質は十分であろう。
いかにも、現代の探偵小説や、ホラーなどで使われそうなものであり、その由来や、根拠も曖昧なものである。
だが、それは、逆に言えば、
「あまりにも、奇抜すぎる発想であることから、今度は昔からの伝承の中にも出てこないほどだということで、逆に、都市伝説としてしか、理解されないものだ」
ということになっているといえるのではないだろうか。
この話が伝わるのは、
「釣鐘伝説の村」
から、かなり離れたところであった。
地方としては、同じ部類のところにあるところであったが、県も違えば、距離も結構はなれているので、
「まったく違う伝説」
ということで、ほとんどの人は、
「そのどちらも知らない」
という伝説であろうが、知っている人がいるとしても、
「どっちかは知っていても、どっちかは知らない」
ということで、
「どちらも知っている」
という人は皆無に近いだろう。
どちらも、最近湧いてでたような話だということもあり、奇抜すぎて、
「笑われるのがオチ」
ということで、
「口にすることも憚る」
と言われているのであった。
ただ、前章における、
「釣鐘」
の話にしても、今の時代、戦時中に、供出されたことで話題になったことだというだけで、
「悪魔の紋章」
ということになれば、実際の話は、昔からあったことなので、都市伝説としては、
「その根拠があいまいだ」
ということから、いわれるようになったのだろう。
ただ、この程度の根拠であれば、もっと曖昧なものが、伝承として残っているところも結構あるだろう。
その違いに言及することもなく、そのどちらも、
「いかに考えるか?」
ということに至るわけであり、それが、根拠として、実に都合よく使われかねないというのは、それだけ、都市伝説という言葉自体が、曖昧なものだと言えなくもないだろう。
そんなことを考えていると、
「人面瘡」
の話も、どこまでが伝説で、どこまでが、怪奇現象なのか、その境目が、根拠に結びつくのかどうなのか、それが問題である気がするのであった。
こちらの話には、さすがに大学の研究チームが来るようなことはなかった。それだけ、ある意味、
「どこにでもあるような話だといってもいいのかも知れない。
そnお身体に浮かんだ、
「人面の痣」
であるが、一番言われていることとしては、
「血が濃い」
ということからの、禍だと言われているようだ。
要するに、
「近親相姦」
と呼ばれるもので、昔から、
「よくない風習」
と言われている。
特に、
「近親相姦による妊娠によって、子供に障害が起こる可能性が高い」
ということで、
「近親相姦は、禁忌だ」
と呼ばれることが多い。特に、近親相姦により生まれた子供が、実は、同じ父親の女性をそれとは知らずに愛してしまい、
「自分には、親のけだものの地が流れている」
ということで、その親たちに復讐しよう」
とする探偵小説があったりした。
しかし、本当に、近親相姦というのは、悪いことなのだろうか?
確かに、宗教的にも許されていないことが多かったりする。
ただ、これは、
「血のつながりが濃くなる」
ということに焦点を当てた考え方であり、特に、
「輸血すら許さない」
という宗教からみれば、
「近親相姦などありえない」
といってもいいだろう。
実際に、近親相姦というのは、昔は、「むしろ普通だった」
といってもいい、
作品名:「悪魔の紋章」という都市伝説 作家名:森本晃次