小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

「悪魔の紋章」という都市伝説

INDEX|6ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 しかし、それは、今の平和憲法の下、言い方は悪いが、
「平和ボケ」
 をしている、今の国民には、分かるはずのないことであるに違いない。
 それが、分かっているのか、いないのか。
「大日本帝国は、無謀な戦争に突き進んで、結局は、国民を戦争熱に賛同させておいて、今度は戦時中には、情報統制などをして、国民の戦争への高揚心だけは、絶やさないようにしながら、いかに、戦争を継続していくか?」
 ということが大切だったのだ。
 それがたとえ、
「玉砕」
 ということになっても、それでも、戦争を継続させる。
「最後のゴール」
 というものが、まったく見えなくなっているにも関わらず、最後には、
「日本という国を。どこに導こうというのか?」
 ということが定まっていない状態だから、それは、
「国家の滅亡を招いたのは、日本政府や軍に他ならない」
 といっても過言ではないだろう。
 万が一、何かの間違いで、戦争に勝利でもしていれば、この国は将来においてどうなったか分からない。
 もっといえば、世界は、まったく違った時代を生きることになるに違いなかったといえるだろう。
 そんな時代においての、
「金属類回収令」
 であったが、その時は、国家も、なりふり構わぬ状況で、どんな罰当たりなことでも、関係ないとばかりに、お寺にまで、
「釣鐘の供出」
 を命令するくらいであった。
 それが、何になるかというと、戦闘機になり、弾になりということになるのだろう。実際には、鋳つぶされて、終わりということで、それも、
「愛国心」
 という言葉で、正当化しておいて、逆らえば、
「事案維持法」
 を使って、何をされるか分かったものではない。
「まさか、寺を潰す」
 とまで言わないだろうか?
 昔から戦とかになれば、関係なく、神社であろうが、お寺であろうが、燃やされることは往々にしてあっただろう。
 しかし、さすがに寺に関しては、燃やしてしまって、それが後の遺恨ということになったこともあった。
 しかし、それはあくまでも、その時代に、
「寺社の力が強かった」
 ということであり、
「寺社を先に潰しておかなければ、その勢力に、邪魔されてしまう」
 として、先制攻撃ということはあったというものだ。
 しかし、言い訳はいくらでもできるだろうが、
「寺社を攻撃する」
 ということは、罰当たりなことではないだろうか?
 それを考えると、戦時中の、
「釣鐘の供出」
 というのはやりすぎではないだろうか?
 結構たくさんの人がそう思っていたかも知れないが、それを、
「罰当たり」
 と考えるのは、誰であっても同じこと、
「本当の罰が当たっても知らないぞ」
 と、誰もが感じていることだろう。
 戦争は、当然のごとく、敗戦ということになり、供出した釣鐘も残っていなかった。
 釣鐘としても、本来は、
「平和のため」
 だったはずなのに、それが、形が変わると、戦闘機や鉄砲の弾になるのだ。
 こんな理不尽なことはないに違いない。
 だが、それは、他の金属すべてにも言えるのではないだろうか。
 フライパンにしても、鍋にしても、
「人を殺傷する兵器にされる」
 などということを、夢にも思わなかっただろう。
 人間が生きていくために必要な台所用品の一つとして作られたのだから、
「人間が命を毎日つないでいくために使われる」
 という、
「人間のためのものである」
 ということで、それが、戦争の弾にされてしまうというのは、本当に、どうしようもないということになるのであった。
「国家というものが、人間を縛る」
 というのが、結果として、
「国家の末期だ」
 と考えれば、国家の興亡というのは、ある意味、分かりやすいというものなのかも知れない。
 供出されて、鋳つぶされた釣鐘が、その後、戦闘委や、弾になったのか分からない。
 ただ、軍需工場では、生産できるだけ生産していただろうから、
「鋳つぶされたのであれば、すぐに武器になっている」
 といっても過言ではないだろう。
 伝説というのは、そんな
「罰当たりな所業」
 というものに付きまとうのではないだろうか?
「釣鐘が戻ってこなかった」
 ということは、結構、寺の人たちにとっても、街の人たちにとっても、心の中に、想像以上の遺恨を残したようだった。
 田舎町のことだったので、空襲というものからは逃れられたということもあり、農村部はある程度無事であった。
 そのおかげからか、
「食糧も何とかなっている」
 といえるだろう。
 逆に都会から、食料調達に、
「物々交換」
 で、食料をもらいにきていた。
 世の中は、戦争に負けた時などの
「お定まり」
 ということで、いわゆる、
「ハイパーインフレ」
 となっていた。
 これは、
「物資が究極に不足している」
 ということで、
「いくらお金を持っていても、物資がないので、役に立たない」
 ということで、
「貨幣価値は、地に落ちている」
 というのが、ハイパーインフレであった。
 だから、いくらお金を持っていたとしても、紙くずに近いわけで、食料をお金で調達するなどというのは、不可能だったのだ。
 そのため、時代が進むと、物資の調達は、
「やみ市」
 などというところからの調達でしかなくなってくる。
 戦後も、戦時中よりさらに、物資が不足していて、食料も、配給制ということになり、それも、ほとんど食料にもならないものが、たまに配給されるという程度だった。
 今では聞いたことのないような言葉で、
「栄養失調」
 というもののせいで、毎日のように、
「人がバタバタと死んでいく」
 ということになった。
 途中で、
「闇物資などというものを使わずに、国家の配給だけでやっていく」
 という信念を持った著名人がいたが、結局、その人も、
「栄養失調」
 で死んでいったというような時代である、
 待ったなしで、生きようと思うと、
「何をしてもかまわない」
 というような、無法地帯での生き残りは、サバイバルという様相を呈していたといっても、過言ではないだろう。
 それが、戦後日本という時代だった。それでも、この街は比較的よかったということで、そこまで栄養失調を出すということはなかったのだ。
 時代というものは、皮肉なもので、
「日本を平和国家にする」
 という占領軍の使命で、ますが、
「武装解除から、軍の解体まで」
 ということが行われたら、それから数年で、朝鮮戦争が勃発したことで、日本の基地が前線基地となり、さらには、
「兵器の量産」
 ということで日本は、復興への足がかりであったり、それ以降の、特需に向けてのきっかけになったりしたのだった。
 それが、警察予備隊を作り、やがて自衛隊への流れを作ることで、平和国家の裏に、怪しい影が潜んでいるということになったのだ。
 その頃から、この土地では、都市伝説のようなものが叫ばれ始めた。
「それは、この街で、急に、精神疾患からか、狂ったかのように、発狂寸前になり、暴れるように、死んでいくという病気のようなものが流行った」
 ということであった。
 それは、当時としては、世間では珍しくないもので、