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「悪魔の紋章」という都市伝説

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 というのは、実に気の毒なことで、もう一人の身体を借りて生きているということは、本当であれば、屈辱的なのに、そんなことを感じることもなく、ただ、黙って従っているだけというのは、本当に死んでしまったということになるからであろう。
 そう思うと、
「もう一人の身体に乗り移ってしまったことで、自分が表に出てくる時は、身体に何かおかしなものが浮かび上がってくるのではないか?」
 と感じると、
 それが、いわゆる、
「悪魔の紋章」
 ではないかと思うのだ。
「悪魔の紋章」
 というのは、この双子という関係性において、相手が人の身体に乗り移ってでも生きていこうという気持ちの表れだとすれば、身体に出てくる、
「悪魔の紋章」
 というものは、
「双子ならでは」
 ということになるのだろうと感じるのだ。
 その作品を盗作するなんて、
「なんて罰当たりなのか?」
 とも考えられるが、
「盗作することによって、もう一人の自分を表そうとする」
 という考え方は、本当は、悪いことどころか、むしろ、
「死んでしまったもう一人の供養という意味で、表に出てくることを、悪くないと思わせるためのことではないか?」
 と感じさせることであった。
 それを思うと、瀬戸口は、
「そういえば、この悪魔の紋章と呼ばれるものがどんなものか分からないが、初めて見るものではないように思えてならない」
 ということであった。

                 釣鐘

 S県には、面白い話が伝わっている。少し恐怖のお話なのだが、その話は、少し怖いので、街の人だけが知っているようなことであったが、どこから知れ渡ったのか、大学の研究チームがその話を聞きつけたようで、近くの民宿に泊まって、数人の大学院生とともに、教授と称する先生もやってきていた。
 時代としては、こちらも、高度成長時期の、世間では、公害問題などが問題になっている。昭和50年代の前半ということであろうか。この大学の研究チームの専攻は、
「民俗学研究」
 ということであった。
 そもそもこの話の最初は、戦時中というから、昭和10年代にさかのぼることになる。
 かつての戦争というのは、日本という国が、最終的に、軍部の指導の下、
「自給自足の資源」
 というものを求めての、東南アジアへの進行が、米英蘭を刺激しての戦争ということになっている。
 相当、端折っていえば、そういうことになるのだが、それまでの歴史をどこから説明しないといけないのかというと、
「たぶん、ペリー来航にての、砲艦外交による開国」
 にまでさかのぼることになるのではないだろうか?
 つまりは、鎖国をしていた日本に対し、戦艦で、東京湾沖から、
「開国しないと、砲撃する」
 と脅かされての、交渉だったのだ。
「幕府が弱腰」
 ということで、各藩や、朝廷は、幕府を非難したが、一歩間違えれば、その時、そのまま砲撃されていて、江戸が占領でもされてしまうと、国家の存亡すら怪しくなってくる。
「アメリカの植民地」
 ということになり、その後の歴史はまったく変わっていたかも知れない。
 ただ、そこで日本は、何とか、
「不平等条約」
 を結ぶことで、植民地化は、開脱がれたが、
「領事裁判権」
「特殊関税」
 などと言った不平等な条件が、条約にある以上、
「名目上は、植民地ではないが、従属されているという意味で、属国に近かった」
 といってもいいだろう。
 最初こそ、
「尊王攘夷」
 ということで、
「天皇を奉り、外国を打ち払う」
 ということが言われていたが、その主たる藩が、外国と起こした問題の報復を受け、まともに、被害に遭ったことで、
「外国を打ち払うというのは、不可能」
 ということで、今度は、
「尊王倒幕」
 が叫ばれるようになり、
「新しい時代は、幕府を排して、天皇中心の、中央集権国家を作る必要がある」
 ということで、まずは、
「徹底的に幕府を潰す」
 という時代を作ったのだ。
 この時代において、幕府はすでに財政面でも、政治力でも、完全に限界に来ていた。そのため、長州と薩摩などの強力な藩が、結集して、朝廷を動かし、幕府を倒すということになったのだ。
 そもそも、長州、薩摩といえば、
「関ヶ原」
 の時からの、
「島津、毛利両氏による、昔年の恨み」
 というものも含まれていたのかも知れない。
 それを思うと、
「明治維新」
 というのは、歴史で習ったほど、正当性のあるものなのかというのを疑問に思っている人は少なくないといえるだろう。
 そして、新政府が目指すものの最終的な目的としては、
「欧米列強に、追い付け追い越せ」
 であったのだろうが、そのためには、それまでに諸外国に結ばされた、
「不平等条約の撤廃」
 というものが、大切になってくるのだった。
 そして、まずは、国内の改革が一番なのだが、相当な混乱があったのは、事実であった。
 何といっても、
「封建制度」
 という、武家中心の時代から、
「天皇中心の中央集権国家」
 を作ろうとするのだから、欧米を研究し、近代化を進めることで、新しい時代を建設するということになるのだろう。
 実際に、議会や憲法を制定し、いよいよ、近代国家として生まれ変わった日本は、克明を、
「大日本帝国」
 とすることで、
「産業を興して、国を富ませ、さらに、兵を強くすることで、国家の安全保障を行う」
 という意味での、
「殖産興業」
 あるいは、
「富国強兵」
 をスローガンに、新たな日本が生まれたのであった。
 その頃日本は、
「ロシアの脅威」
 を感じたことから、日本と同じように、鎖国をしていた、
「朝鮮を開国させる」
 ということを、かつて日本がされたと同じ、
「砲艦外交」
 によって成し遂げた。
 そもそも、朝鮮は、鎖国というものをしながら、清国に従属していた。
 いわゆる、
「冊封」
 と呼ばれるものであったが、そんな朝鮮を開国させたということで、日本は次第に朝鮮の内政などにも、次第に関与し始める。それによって清国を刺激し、朝鮮問題において、日本と清国がバチバチであったのを、まるで、川の両岸から、朝鮮という魚を釣り上げようとする、日本国と清国の様子を、遠くの端の上から眺めている、ロシアという構図を、フランスの風刺画で有名な、ビゴーが描いたことは、実に有名であった。
 まさにその絵のような状況において、結局、二度の韓国内の、
「クーデター」
 を経て、朝鮮に駐留していた日本と清国の間で、戦争が始まってしまったのだ。
 主戦場が、朝鮮半島だったというのも特徴的で、実は、その後に起こった日露戦争でも、奇しくも、同じようなところで戦闘が起こったというのも、面白いところであったのだ。
 結局、日本は、その
「日清、日露」
 と言われる戦争に勝利し、
「明治弱小日本」
 と呼ばれた国が。ロシアに戦争で勝ったということで、日本は、世界の列強に、並び立つことになったのだ。
 もっとも、性格に言えば、
「どちらの戦争も、相手国が弱っていた時期の戦争だった」
 というのも、日本には幸運だったが、
「日清戦争は、大勝だったといえるが、日露戦争は、薄氷を踏む勝利」
 ということになる。