「悪魔の紋章」という都市伝説
「初めて見るはずなのに、かつて、どこかで見たり聞いたりしたことがあるかのように感じる、一種の錯覚のようなものだ」
といってもいいだろう。
「ドッペルゲンガー」
と違い、デジャブに関しては、原因が何なのか、説はあるが、信憑性はないというものであった。
「T町」
にやってきた時、彼女と初めてあったはずなのに、初めてではないと感じたのだったが、それが、自分では、
「デジャブだ」
ということに気づかなかった。
もちろん、
「デジャブ」
という言葉も知っていたし、デジャブというものが、どういうことなのかということを知っていたので、この思いがデジャブに繋がらないはずはないのだが、その時は、
「デジャブだ」
とは思わなかったのだ。
「ああ、あれがデジャブだ」
と感じたのは、
「T町」
を離れてからだった。
「離れた瞬間に、気づいたのだ」
といってもいいかも知れない。
「T町」
というところは、妖怪や伝説のたぐいが昔からたくさん残っているところで、
「怪奇現象」
というものも、感じるという人は少なくなく、一定数いるということであった。
そんな
「T町こそ、その街全体が、都市伝説なのかも知れない」
と思うことで、
「デジャブ」
というものが、街を離れた瞬間に、
「自分に降りてきた」
と感じることができたのであろう。
それを思うと、怪奇現象というものが、いかに、曖昧には思えるが、
「辻褄が合っていることもある」
ということであろう。
「デジャブという現象は、本当は覚えているのだが、完全に覚えているということになあると、自分に何らかの危険性が及ぶ」
ということで、
「わざと曖昧にしている」
と言われるような話を聞いた。
となると、デジャブ単独というよりも、他の心霊現象であったり、不気味なものが絡みあうことで、それが、一つの結論になったかのように思えるのかも知れない。
つまり、
「デジャブというのは、他の何かと一緒になって存在するものなので、そのもう一つの存在を意識しないと、いつまで経っても、理屈が解明されることはない」
という意味で、
「交わることのない平行線」
というものを描くことになるのだろう。
ということであれば、その、
「もう一つ」
というのは何であろうか。この場合に考えられるのは、
「ドッペルゲンガーではないか?」
ということであった、
そこにいる、もう一人の自分が、意識できているかいないのか、
「もう一人の自分は、自分であって、自分ではない」
ということを考えると、やはり、そこには、
「デジャブ」
という現象と、
「抱き合わせの感覚」
があるのかも知れないといえるであろう。
ドッペルゲンガーのような妖怪が、きっと、この
「T町の伝説の中に存在していて、分かっている人も結構いる」
ということであろう。
それが分からない、瀬戸口だから、
「デジャブ現象」
というものに、見舞われるのかも知れない。
そんな現象を感じさせる
「T町」
において、昔から伝わっていた不思議なもののひとつとして、
「悪魔の紋章」
と呼ばれるものがあった。
これも、
「都市伝説のたぐいなのか?」
あるいは、
「七不思議なのか?」
そういわれていたようだった。
この
「悪魔の紋章」
というのは、ある妖怪を模した絵が描かれている中に描かれているというもので、最初は、
「何かのシミのようなものではないか?」
と言われていたようだが、実際には、シミではなく、
「意識して描かれたものだ」
と、民俗学の先生が言い出したことで、有名となったのだ。
そもそもは、この街の伝承を描くことが専門だった、作家の先生がいて、その人が気づいていたようなのだが、先生は、自分でそれを発表しなかった。
それは、
「曖昧過ぎて、発表できない」
ということで、その時は、
「都市伝説」
だったのだが、それを引き継ぐ形で、民俗学の先生あ研究した。
ちなみに、
「この二人に関連性はなく、知り合いでないばかりではなく、面識すらなかったのだ」
しかし、
「先生が引き継いだということは、その悪魔の紋章というものは、分かる人には分かるということなのかも知れない」
といえるだろう。
完全な解明などできるはずはないが、いかにも、この、
「T町の伝承」
と言われるところまでは、落とし込んだようだ、
ひょっとすると、先生にはある程度分かっていたのかも知れないが、
「T町の伝承」
という、
「七不思議」
というものを先生は、発表したことで、見る人が見れば、
「伝承だ」
ということになるのだろう。
「悪魔の紋章」
この言葉は、
「T町においての都市伝説から、七不思議に昇格した」
ということになるのだろう。
「悪魔の紋章」
というのは、全国津々浦々で伝承されるものであろうが、結局は、七不思議として伝わっていることの方が多いのかも知れない。
進むも地獄、戻るも地獄
全国には、
「自殺の名所」
と呼ばれるところが、いくつもある。
「樹海」
と呼ばれるところなどは、
「一度入ったら、必ず迷ってしまう。磁力の関係から、一度入り込んでしまうと、抜け出すことはできない」
ということであった。
こういうところは、全国にいくつもあり、一つは、富士山の麓あたりに集中しているという。
そうやって、他のところを見ると、その共通性というのは、
「火山」
ということであり、
「火山系の石が、磁力を狂わせるのかも知れない」
と言われていた。
これは、
「限りなく信憑性がある」
と言われているが、本当の証明というわけではないようだった。
ただ、一つ言えることは、
「樹海」
と呼ばれるところの下には、
「花崗岩のようなものが、下を這うようにして伸びている」
と言われているのだ。
そんな、
「石のうえに乗っかっているようなところに、森ができるというのも、実際にはおかしなことなのだろうが、どこの密林にも負けないほどの森がそびえているのは、それだけで、不思議なことだ」
といってもいいだろう。
石という言葉を聞いて、思い出すことがあった。
それは、
「石ころ現象」
というのだが、この言葉が、正しいのかどうか分からないが、この意識は、皆ひそかに持っているようなのだが、誰も口にしないという、こちらも不思議なことの一つでもあったようだ。
「石ころ」
というのは、たとえば、
「河原などに落ちている石ころは、そこに石ころがあるという意識は持っていたとしても、その石ころを、意識するということはない」
というものである。
もちろん、この感覚は石ころに限ったものではなく、他のものにも言えることだが、石ころを意識するというのは、
「石ころに、そういう力が備わっているからだ」
といえるからではないだろうか。
それも、
「なぜ石ころなのか?」
というのは、誰もが裏で認めているという、
「暗黙の了解」
なのではないかといえるのであろう。
「もし、自分が石ころになれたとすれば、それは、まるで、透明人間の原理に近づくことができるのかも知れない」
作品名:「悪魔の紋章」という都市伝説 作家名:森本晃次