警察に対する挑戦
ただ、警察というところは、捜索願を出しても、
「犯罪性がない」
と判断すると、捜索をしてくれるわけではない。
それだけに、家族としては、苛立ちを隠せないのだが、警察からすれば、
「そう思うなら、どうしてもっと早く気づかなかったのか?」
ということであるが、
そもそも、その男は、以前にも、行方不明になったという、
「前歴」
があった。
それが、
「自費出版社系」
の会社に勤めていた人で、その時には、著者の担当をしていた。
送ってきた原稿に、批評を書いて、その作品に見積もりをつけて返し、そして、出版をあっせんするという仕事であった。
彼が、
「優秀だったのか、どうか」
ということは分からないが、評判としては、あまりよくなかったようである。
すぐにイライラする方で、自分の担当する作家に、
「キレたりする」
ということも何度かあったようだ、
というのも、
前述のように、担当営業が、作家の人を言葉巧みに出版へと誘うのだが、そのやり方として、
「私が、出版会議に自分の権限で、出すことによって、あなたの作品を、協力出版という形で、推薦することで、このような話をできるのです」
ということであった。
といっても、額が額なので、本を出したいと思う方も、
「まだまだいい作品を作って、企画出版ができるように、原稿を送り続けます」
と言って、
「丁重にお断り」
するのである。
しかし、相手の出版社側に、最初から、
「企画出版などということはない」
という考え方のようだ。
だから、何度か原稿を送っても、結果はすべて最初と同じである。
つまり、
「担当の権限で、出版会議に諮り、最後は、協力出版を勝ち取った」
というシナリオ通りの結果しか出てこないということだ。
だから、次第に相手も、しびれを切らしてくる。
というのは、
「いつまで経っても、出版しようとしない人を相手にするのは、時間の無駄」
ということなのだろう。
だから、男がいうには、
「これが最後」
といって、最後通牒を、
「引導として渡してくる」
ということになるのだ。
作者の方も、最初から、
「一銭も出すつもりはない」
と思っている。
そもそも、売れるかどうか分からない。
いや、本屋に並ぶわけのない本が、売れるわけもないわけで、その理屈を分かっているから、作者の方も、
「これは詐欺だろう」
とウスウス感じているのだ。
だから、作者の方とすれば、
「自分の作品がどれほどのものなのかというのを評価してもらいたい」
ということで、
「この出版社を利用してやろう」
というくらいの気持ちなのだ、
「相手が、詐欺をしようとしているのであれば、こっちは、逆に利用してやれ」
というくらいのものである。
だから、最初から、企画出版しか目指していないわけで、いくら相手が、
「最後通牒」
というものを出してきても、
「それでも、企画出版を目指して送り続けるだけ」
というのだった。
すると、相手はそこでキレるのだ。
「本性を現した」
と言えばいいのだろうが、
「もう、あなたの作品を、これ以上、私の権限で出版会議にあげることはできないので、これを逃すと、出版するチャンスは、二度とありませんよ」
というのだ。
そして、さらに、
「出版をしなければ、何も起こりません、出版することで、人の目にも触れるので、本が売れる可能性もあるわけですよ」
というのだ。
「そのために、数百万も出せませんよ」
というと、
「他の方は、借金をしたり、家族に出してもらったりして、出版してますよ。それくらいのことをしないと」
と言い出したので、作者の方もさすがに苛立ってきて、
「そんなことできるわけはないじゃないですか」
といらだちを募らせる。
いくら、営業とはいえ、こちらの生活にまで立ち入ってこられるのは、失礼だと思ったのだ。
お互いに険悪なムードになると、あとは、
「売り言葉に買い言葉」
というもので、担当の方に、
「それでも、企画出版を目指します」
というと、相手も負けじと、
「そんなことできるはずないじゃないですか、私の推薦がないのに、出版会議に出るわけがない。そもそも、企画出版というのは、ありえないことなんですよ、もし、出版社が企画出版をしようとするなら、その作者が、有名人であることが絶対条件なんですよ。つまりは芸能人であるか、犯罪者であるかということです」
というのだ。
いくら、イライラしているといっても、
「これは、言ってはいけないことだろう」
と、作者の方も感じる。
自分たちで、3つの出版方法を提示しておいて、いかにも、
「企画出版もあり」
と思わせている中での、
「企画出版は、絶対にない」
という言い方は、ないのではないだろうか?
もうこれを聞いた時、
「これは詐欺なんだ」
と確信したということになる。
もっとも、最初から、
「詐欺に違いない」
と思っていたので、別にびっくりするわけではないが、さすがに、
「一縷の望み」
のようなものがあり、
「いずれは、チャンスがあるかも?」
という、本当に、砂漠で砂金を探すようなものではあるが、まったくゼロではないだけに、期待もしてしまう。
それでも、お金がかからないのだから、
「それもありだろうな」
ということであった。
ただ、その頃、似たような、
「自費出版社系」
の会社は、他にもいくつかあった。
前述のように、
「一時のブーム」
ということで、
「このブームにあやかる」
ということで、出版社は、同じようなシステムの会社がいくつかできていたのだ。
要するに、
「原稿を送ってください」
というお題目で、送ってこさせた原稿に批評を書いて、さらに、出版企画書を送り付け、そこで、
「協力出版」
で推薦という、まったく同じ形で、そして、同じように、
「担当者」
というものが就くということであった。
実際にその担当者というのが、前述の会社のような人間かどうかということであるが、さすがにあの営業ほどのことはなかったようだ、
「まぁ、どちらにしても、企画出版以外はありえない」
と思っているので、そこはどっちでもよかった。
要するに、自分の作品を批評だけでもしてくれればそれでいいということだけのことであった。
だから、その時点で、
「出版しよう」
という意識は失せていた。
その人は、そこまで考えてくると、完全に熱は冷めていて、冷静な目で見ると、
「出版し、プロになるとして、新人賞を取ったということを前提に考えた場合、その作品はウケたかも知れないが、次回作が、受賞作よりもいいものでないと、評論家の判断は厳しいものであり、そこで終わってしまう人がほとんどだという」
さらに、その次はというと、もうあとは、自費出版のような会社で、本を出版し、
「あわやくば、誰か、有名出版社の編集長の目に留まるかという程度のものしか、本を出す意味はない」
ということになるのだ。
そのために、罹る費用が、、
「数百万」
である、