小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

警察に対する挑戦

INDEX|3ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 という神話がまかり通っていた。
 そういうこともあるので、
「いい会社にさえ入っていれば、安泰だ」
 ということであった。
 日本の企業を支えていたものが、
「終身雇用」
 と、
「年功序列」
 ということであったというのも、当たり前のことであろう。
 その頃は、子供の教育問題は、
「世界に通用するような頭脳集団を揃える」
 ということであっただろう。
 だから、
「いい大学に入る」
 ということを目標にした、
「受験戦争」
 と呼ばれるものが生まれてきたのだ。
 それが、
「中学受験から、大学受験までの間に、存在しているもので、受験戦争というものが、その後におよぼした影響が、どんどん形を変えて、今の教育問題となってきているということは間違いない」
 というのは、受験戦争によって起こったのは、一つは、
「落ちこぼれ問題」
 であった。
 これには二つあり、一つは、
「中学校において、秀才グループを合格させるために、教育のほとんどを、秀才グループに置いて教えると、成績の悪い人はついてこれない」
 ということになり、落ちこぼれが、生まれてくるというものである。
 そして、もう一つは、
「高校受験で、優秀な生徒が、優秀な学校に入った時、それまでの中学時代であれば、クラスでも、トップクラスだったことで、有頂天になるのだろうが、実際に、、進学校と呼ばれるところに入れば、今までと違って、レベルが、どこになるか分からない」
 ということである。
 そもそも、
「入学レベルはギリギリ」
 と言われる学校に、何とか入学できれば、普通なら、
「よくがんばった」
 ということであろうが、
 実際に、入学してみると、まわりは、普通に自分よりもレベルの高い連中ばかりである。
 受験というののが、、模擬試験のようなもので、レベルを図るだけの目的であれば、なおさら目標を高くおいていても問題ないが、それが受験となると、今度は、
「自分よりもレベルが高い」
 と目されている連中の中に放り込まれるのである。
「今までは、中学校では、優等生の秀才と目されていた自分が、高校生になったとたん、下から数えた方がいいくらいになってしまっていて、学校の授業についていけないという、
落ちこぼれ」
 ということになってしまうのだ。
 それを考えると、
「最初から、無理をしなければよかった」
 ということになり、よくよく考えると、
「落ちこぼれという問題は、受験戦争があっても、なくても、存在するのではないだろうか?」
 それは、皆が同じレベルではないわけで、教育者が、その教育方針を、
「優等生に合わせるか?」
 あるいは、
「劣等生に合わせるか」
 という違いなだけである。
「もし、優等生に合わせると、その先生の票かは高いかも知れないが、それはあくまでも、落ちこぼれあっての成果ということになる」
 しかし、
「劣等生に合わせると、落ちこぼれは作らないでもいいかも知れないが、自分の票かは最悪であり、教育者としては、劣等の評価をされるという皮肉なことになるのではないだろうか」
「落ちこぼれ問題」
 や、
「校内暴力」
 などという問題が社会問題になっていた時期に、テレビドラマ化されたものの中に、
「腐ったミカンの法則」
 なる言葉があった。
 それは、
「雄当選の中に、一人での、劣等生がいれば、その劣等生の影響で、優等生が皆劣等生になってしまう」
 というもので、
「腐ったミカンが一つでもあると、他のきれいなミカンもすべて汚染され、すべてがダメになるので、その前にm腐ったミカンを排除する」
 というやり方であった、
 つまりは、
「基本は、優等生に合わせる」
 ということであり、
「劣等生を優等生の中に入れるということは、優秀なミカンの中に、腐ったミカンを入れるのと同じで、してはいけないことだ」
 という教育方針から、結局、
「落ちこぼれは見捨てられる」
 ということになり、
「それが、教育方針ではいけない」
 という警鐘を鳴らす、そんなドラマであった。

                 詐欺商法

 そんな神社が、賑やかになってきたのは、受験戦争という時代から、
「ゆとり教育」
 という言葉が言われ出した頃のことだった。
 受験戦争において、落ちこぼれであったり、校内暴力などの時代があり、さらには、その後、
「いじめ問題」
 などで、
「引きこもり」
 という時代を経て、
「学校においても、週休二日制の導入ということが言われ始めたのだ」
 それが、
「ゆとり教育」
 というものであるが、そんな時代において、受験生の神様ということで、なぜか、この神社が持てややされるようになった。
 理由は、
「やはり、戦争において、戦死をしないで帰ってくる人が多かった」
 ということが、そのゆかりであろう。
 受験戦争というものが、
「過去は昔」
 と言われるような時代になっていた。
 それは、世の中では、
「バブル崩壊」
 というのが多かったであろう。
 昔のように、
「いい会社に入ったら、あとは潰れることはないので大丈夫だ:
 と言われていた、
「神話」
 というものが、
「まったく通用しない」
 というのが、その時代だった。
 潰れないように対策を取るには、
「会社で、人員整理、つまり、リストラというものを行うか?」
 あるいは、
「会社自体が、大きな会社と吸収合併という形での生き残りしかないか?」
 ということであった、
 何しろ、
「銀行は絶対に潰れない」
 と言われていた時代から考えれば、
「それは、ただの迷信にしかなかった」
 ということであった。
 それを考えると、
「学歴ばかりが大切ではない」
 ということで、他の才能を目指すという人尾増えてきた。
 それは、会社で残業がなくなった人が行うサブカルチャーにもつながるところがあり、そんなサブカルチャーの会社が一時期、ブームだったという頃もあった。
 しかし、それも、結局は、一時期のブームにしかすぎず、
「ブームは繰り返す」
 ということを考えても、会社がどれだけ儲かっていたとしても、
「10年後には分からない」
 といってもいいだろう。
 そういう意味でも、
「終身雇用」
 というのは、この時点で、破綻をきたし、
「終身雇用」
 というものが成立しないと、おのずと、
「年功序列」
 というものも、成立しないことになるのである。
 ゆとり教育の時代に、流行ったサブカルチャーでは、いろいろなクリエーターになりたい人が結構いた。
 小説家であったり、漫画家であったり、音楽家を目指すという人もいた。
 これらの趣味は、他の趣味に比べると、
「あまりお金がかからない部類の趣味」
 であった。
 もちろん、それは、
「ただの趣味として楽しむ場合は」
 ということであった。
 だが、それが、時代とともに、少しずつ変わってくる。
 というのも、そんな彼らを、
「食い物にする」
 というような、詐欺まがいのことがあり、社会問題になったことがあった。
 小説家業界では、
「自費出版社系による詐欺」
 というものであった。
 当時は、小説家になろうとすれば、
作品名:警察に対する挑戦 作家名:森本晃次