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警察に対する挑戦

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「幕府への不満が、増すばかり」
 ということになり、結果。
「鎌倉幕府の滅亡」
 ということになったのだ。
 そういう意味では、
「鎌倉幕府は、気の毒だった」
 と言えなくもないだろう。
 そういう意味では、江戸幕府も、その滅亡の発端が、
「黒船来航」
 にあるとすれば、どこか、
「鎌倉幕府」
 と同じ運命だと言えなくもないだろう。
 江戸幕府がそうやって滅んだ後、中央集権国家である、
「大日本帝国」
 というものができた。
「世界に追い付く」
 ということで、それまでに無図ばされた不平等条約撤廃のために、明治政府は、議会や憲法を作り、
「国家の体制を整える」
 ということで、
「立憲君主国」
 を作り上げたのであった。
 そんな時代が、明治の中盤から始まるのだが、ここの、
「鎮守」
 というものが作られたのは、さらに少し前のことであった。
 一応、明治新政府という形で、いろいろな改革が行われている中でのことなので、ある意味、
「混乱している国家」
 といってもいいだろう、
 基本的には、
「欧米の文化」
 というのを受け入れる気風であったが、その中でも、
「日本古来の文化を守り続ける」
 という発想も共存していた、
「だから、混乱が起こるのだ」
 ということなのだろうが、その混乱を和らげるという政策も取られていた。
 その一つが、
「海外との軋轢をなくす」
 という意味もあるのか、
「一つの村や街に、一つの鎮守」
 というものを建てる」
 という考え方であった。
 この村においては、そもそも、外国人の居留の問題と、工場という問題が絡んでいたので、彼らの母国から、建設費用の幾分かをもってもらえることになったので、建設に関しての混乱はなかったのだ。
 ただ、だからといって、大きな社を建てるというわけにはいかない。
「村の規模にあった神社」
 ということで、小さな神社に、社務所のこじんまりとしたものができたのだった。
 戦前までは、この小さな神社が、話題を呼ぶということはなかった。
 出征兵士が、
「奉納手形」
 ということで、武運長久を願って、
「手形を奉納する」
 ということが行われたということであるが、似たようなことをしている神社は少なくもなかったので、そのことで話題にんあるということはなかったのだ。
 ただ、この神社で武運長久を願って、戦地に赴いた人の、復員率は、高かったということである。
 この村の出身者が、比較的、激戦区に行かなかった人が多かったのが原因なのか、それとも、他に理由があるのかは分からないが、
「運よく」
 という言葉が適切なのかどうか分からないが、生還率は高かったという。
 しかも、田舎出身者ということで、復員してきてから、都心部のように、
「家をなくした」
 あるいは、
「家族がしんでしまっていた」
 などという悲惨なことはなかった。
 空襲もほとんどなかったし、しかも、農村だったので、
「自給自足」
 ができたということだ、
 もちろん、極貧であったことに変わりないが、都会から、食料を求めてきた相手に、強く出られるくらいになっていたくらいだったのだ。
 そんな時代から、
「もはや戦後ではない」
 と言われる時代になると、今度は、都会が復興を果たしてくると、それまでいた住民がどんどん都会に出ていくようになった。
 都会では、朝鮮戦争の特需などがあり、
「復興を早める好景気に沸いた」
 ということであった。
 当然、工場で働く人は多い方がいい。そういうことになると、どんどん、田舎から出稼ぎということで、都会に人が集まるようになる、
 当然、住宅の建設ラッシュなどがあり、インフラも整備されていくと、人が都会に集まるというのは当たり前のことだった。
「いや、都会に集まるというよりも、元々、都会にいた人たちが、住めるところができたので、戻っていく」
 ということであろう。
 しかし、昔の焼け野原になる前の街並みとはまったく違い。鉄筋コンクリートの家などが、どんどんできたり、
「高速道路」
 や、
「新幹線」
 などというものが開通するまでに、
「終戦から、20年も経っていない」
 ということであった。
 戦争が終わり、焼け野原からの復興で、好景気に沸く日本であったが、田舎の方では、そんな都会とは、
「温度差」
 であったり、
「空気の流れ」
 というのが違うのか、特に都会では、その後の社会問題となる、
「公害問題」
「汚職問題」
 などという、社会問題が湧き上がってきたが、田舎でも、そんな問題がないわけではなかった。
 特に近くに大きな工場を持つところであったり、土地の買収に絡むこととしては、むしろ、都会よりも田舎の方が大きな問題になるのだった。
 そんな田舎の街において、昭和の後半から、平成にかけてというと、
「いいこと」
 や、
「悪いこと」
 というのが、交互にやってきていたようだった。
 特に、平和な時代になってくると、
「ブーム」
 なるものがあり、それが、
「十数年おきくらいにやってくる」
 と言われているので、その、
「いい、悪い」
 のバランスは、その、
「ブーム」
 というものによるものだったのではないだろうか。
 この神社には、十年おきくらいに、
「落ちない神社」
 という都市伝説のようなものがあり、
「ここで祈願をすれば、合格できる」
 というウワサが、どこからともなく生まれてきた。
 というのは、
「戦争中における、生存率が高かったということが、どこかから噂になり。最初のブームの火付け役になった」
 というのは、聞いたことがある、
 その頃になると、まだ、
「受験戦争」
 というところまではなかったが、政府がそろそろ、国民の学力の低さというものを、
「憂慮し始めた時期だった」
 といってもいいだろう。
 受験戦争というものが、どうして起こったのかというと、当時の日本は、まるで、明治時代のように、復興というのが、明治時代にあった、
「不平等条約改正」
 のために行った、
「殖産興業」
 あるいは、
「富国強兵」
 というものに似ているのではないだろうか?
 復興することで、独立国家としての、再出発。それを世界に知らしめる意味での、
「東京オリンピック」
 であったり、
「大阪万博」
 というものではなかったか、
 それを考えると、明治時代であれば、
「富国強兵」
 であったものが、今度は、
「平和国家」
 においての、
「強兵」
 ということで、求められるのが、
「頭脳集団」
 ということであった。
 世界に通用する頭脳が、当時の日本では、まだまだ不足していた。そこで、
「教育の抜本的な見直し」
 というものが考えられるようになったのだ。
 だから、中高一貫教育であったり、大学への入学レベルを上げるということであったり日本において、
「どれだけの頭脳を持った子供を、大人の世界に送り出すか」
 ということが大きな問題だったのだ。
 だから、小学生の頃から勉強をさせ、
「いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に入る」
 というのが、目標になってきたのだ。
 以前の日本は、
「銀行や、金融機関というのは、潰れない」
作品名:警察に対する挑戦 作家名:森本晃次