小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

警察に対する挑戦

INDEX|1ページ/18ページ|

次のページ
 
 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年10月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。

                 田舎の村

 令和5年の10月のことであった。新聞を賑わすほどのおおけさなニュースではないが、ある神社で、人が殺されたということであった。
 その神社というのは、昔から存在している神社というわけではない。比較的最近の神社で、作られたのは、明治時代だということで、そういう意味では珍しかった。
 そもそも、この街は、もう少し広い範囲の中に村ができたので、その村のはずれに、神社が、
「鎮守」
 ということでできていたたのだが、この村が、明治に入り、人口が都会から、結構移り住んできたことで、村が分割されることになった。
 この辺りの村というと、昔から慣習として、
「一つの村に、一つの鎮守」
 ということになったので、
「この村独自の鎮守」
 というものを作らなければいけなくなったのだ。
「どうして、この村に人が流入してきたのか?」
 というと、
 明治初期というと、開国により、外国人が入ってきたことで、都心部に、
「外国人居留区」
 というものができた。
 それにより、外国人が必要とする会社であったり、工場が、特別に作られるようになったのだが、それが、田舎の方に建てられることになった。
 そのせいもあって、都会から、日本人がその工場や、会社で働くことになるので、田舎部にも、人口が増えてきたということであった。
 日本人であれば、村人も、それほど、入植に対しては、抵抗がなかった。
 最初は、
「外国人を受け入れてほしい」
 というような話であったが、
「それは、とんでもない話だ」
 ということになった。
 何しろ、開国から、十数年しか経っていない。ましてや、明治維新から、十数年という時期で、いくら、強行軍の改革が行われているとはいえ、まだまだ外国人に対しての、敷居は高かったのだ。
 それはそうだろう。
 以前は、
「取って食われる」
 とまで言われた時代、
 今の時代であっても、もし、宇宙人と遭遇し、彼らが地球人と交流を求めてきて、地球を代表する、例えば、
「国連」
 のようなところが、
「宇宙間外交」
 というものを、よしとしても、それはあくまでも、政府レベルで行われたことであって、庶民には、よくわからない世界である。
 そんな宇宙に対して、国連が、
「地球への移民を認める」
 といっても、そこに住んでいる地球人が、
「はい、そうですか」
 といって、簡単に受け入れるであろうか?
 何といっても、
「地球と、彼らの住んでいる星とでは、文化も違えば風俗も違う、それは、日本人と外国人の違いよりも、はるかに隔たりのあるものであろうが、明治時代においての、日本人が、外国人を見る目は、もっと厳しいものだったに違いない」
 何しろ、
「鎖国政策」
 というものをしていたのだ。
「地球の中に、日本があり、日本の外には、世界が存在していて、その世界という、地球の何十倍。いや、何百倍という広い土地が存在している」
 ということは知っているとしても、その外には、何かが潜んでいるが、それがどんな連中なのか分かるはずもない。
 同じ人間だという認識があるのか、それとも、
「違う種別の人間だ」
 ということであったとして、
「その違いがどこまでなのか?」
 ということが想像できるわけもない。
 何しろ人間というと、ほとんど、日本人しか見たことがないのだ。
 たぶん。最初にアメリカ人を見た人は、
「目が青いぞ」
 と感じたことだろう。
 その瞬間に、恐ろしくなって、
「絶対に、目を合わせてはいけない」
 という。
 だから、幕府が開国を認めたことで、他の藩であったり、朝廷の人間は、幕府に対して、
「弱腰だ」
 ということになったのだ。
 確かに、
「弱腰だ」
 ということは感じたであろうが、それ以上に、
「あいつらは得たいが知れない」
 ということで、恐ろしさで、どうしていいか分からないと考えるようになり、
「幕府を批判することで、その恐怖を少しでも、和らげよう」
 と考えたのかも知れない。
「武士だって、相手が、日本人で、同じ武士だ」
 ということであれば、覚悟をもって、戦に望むことができるだろうが、得体の知れない存在の生き物であれば、
「いかに戦っていいのか?」
 ということが分からないので、相手がどんなものなのか分かっているから、戦って勝った時の論功行賞に望めるのであって、相手が何物なのか分からないとなると、自分の立ち位置が分からずに、途方に暮れることであろう。
 考えてみれば、鎌倉時代に起こった、
「元寇」
 というものを考えてみれば、分かることもあるというものだ。
 そもそも、当時は、
「封建時代」(江戸時代もそうであるが)
 封建制度というのは、
「ご恩と奉公」
 というものの、バランスで成り立っているというもので、
「幕府が、土地を保証してくれるから、御家人たちは、幕府が戦を行う時、はせ参じることで、命を投げ出して戦う」
 という、一種の、
「契約」
 のようなものであった。
 ただ、それは、あくまでも、相手の土地に乗り込んでいって、相手を占領し、自分の土地にすることで、配下の御家人に、
「土地」
 という報酬を与えられるというものだ。
 しかし、
「元寇」
 の時は、相手の外国勢力が日本に攻めてきて、結果としては、苦戦をしたり、幸運が舞い込んだことで、運よく勝つことができた。
 しかし、相手の土地に乗り込んでいって、土地を奪ったわけではない、日本を守るために、
「軍事費用」
 というものを、借金をしてでも、かき集め、はせ参じてきた連中がいるのだった、
 だが、この時の戦いは、
「攻めてきた相手から、日本という国を守る」
 ということであった。
 褒美となる土地もない、しかも、国防が自分のところの土地であれば、借金をすることのない。わざわざ遠くまで遠征をしてくるから、そうなったのだ。
 関東から、九州まで、国防のため、自国を留守にして、命令とはいえ、はるばるやってきて、着陣したのだ。
 当然、旅費も、滞在費も、自分で持つということになると、その土地にいるだけで、借金ということになる。
 そうなると、
「いくら、外国の脅威を取り除いたとはいえ、結果として、自分たちの借金が増えた」
 というだけのことになり、御家人とすれば、
作品名:警察に対する挑戦 作家名:森本晃次