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警察に対する挑戦

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「この男よりも、少し大きいというと、普通くらいの大きさになるのか、ただ、警官が、見た時の男に逃げる姿が、どこか猫背っぽく見えたので、それが小さく感じさせるのか、逃げ方に特徴があったので、やはり、あの男は、日本人ではなく、外人だったのかも知れないな」
 と警官は感じた。
 あくまでも、勝手な勘ではあるが、意外と勘というのも、当たったりするものだ。
 まず、観光客であれば、身元を突き止めるのは難しいだろう。
 そう思って捜査はしていたが、案の定、被害者が誰なのか分からない。
 そうこうしているうちに、一向に、被害者の身元が分かる聞き込みも得られないし、出頭してくることもない。
 捜索願が出ているという話も聞こえてこない。そうなると、
「やはり観光客なのだろうか?」
 ということになるのだった。
 ただ、ここで、一人の刑事がm口を開いた。彼は、鋭いところがあるが、たまに抜けたところもある、あまり目立たないくせに、意外といつも、事件の真相を突くような意見を出すこともあるのだった、
 それを見越して、本部長もいつも、この刑事を捜査本部に入れるのだが、彼は、名前を桜井刑事という。
 桜井刑事は、最近では、そんなにいろいろ言わないが、その口調とすれば、ボソッと、鋭いことをいうのだ、
 今回も、
「間違いだったんじゃないかな?」
 と言った。
 さすがにこれには、他の刑事も閉口した。
「間違いでの殺人?」
 と、本部長は、それでも。真面目にその意見を耳にして、思わず、確かめてみた。
「ええ、あの人は確かに背も低いし、どこか中年の女性っぽい感覚があるので、誰か女性と間違えたのではないかと私は思ったんですけどね」
 と、桜井刑事は、自信がなさそうでもなければ、確信があるわけでもない。
 ただ、淡々と話をしただけだ。
 それを聞いて、最初に、
「「間違い」
 という言葉を聞いて、一瞬、噴き出しそうになった他の刑事たちも、
「言われてみれば」
 と感じたようだった。
 皆、それぞれに、こぶしを顎にもっていき、まるで、ロダンの、
「考える人」
 を、それぞれの感覚で見るのであった。
「考える人:
 というには、それぞれにポーズが違っているが、見ていると、皆同じことを考えているということが、一目瞭然といってもいいだろう。
 だが、桜井刑事の、
「間違え殺人説」
 というのも、分からなくもない。ただ、そうなると、もう一つ気になるところがあるということではないか?
 それを、察したのが、本部長、
「さすが、本部長をしているだけのことはある」
 というものである。
「桜井君、君の話でいうところの、間違い殺人だったということになれば、犯人は、その目的を達していないということになるんだろうね?」
 というと、他の刑事はもちろんのこと、桜井刑事もハッとしたようだった。
 桜井刑事の、
「抜けたところがある」
 というのはこういうところである。
 鋭い意見を出すのだが、そこから先が繋がっていないのだ。そういう意味では、一種の、
「言い出しっぺ」
 といってもいいかも知れない。
 しかし、桜井刑事の意見が、一つの仮説を生んだのは確かだった。そうなると、まず考えられることとしては、
「ストーカー殺人」
 ということである。
 犯人も、かなりの覚悟をもって犯行に及んだはずなのだから、それが
「間違いだった」
 というのは、いい加減にしてほしいといってもいいだろう。
 桜井刑事は、自分で言いだしたにも関わらず、そんなことを考えていたのは、ある意味不謹慎ともいえるだろう。
「間違い殺人」
 などという、一見、
「バカバカしい犯罪」
 であるが、ある意味、
「動機のない犯罪」
 という意味では、これほど怖いものはない。
 昭和の時代に映画にもなった、
「衝動殺人」
 であったりが、
「動機のないものの典型例」
 といってもいいだろう。
 だが、動機のない犯罪は、それだけに、捜査も難しい。
 平成の終わりから、令和の時代にかけてくらいのいわゆる最近の犯罪は、
「誰でもいいから、殺して、死刑になりたかった」
 と証言するやつも出てくるというわけだ。
 しかし、それを考えると、
「動機のない殺人」
 というものは、下手をすると、
「犯人には精神疾患がある」
 などということで、
「責任能力を問えない」
 などということで、無罪になる可能性だってあるのだ。
 精神疾患のある人間が、殺人を犯しても、責任能力を問うことはできない。
 それを考えると、
「これほど、煮え切らない、ストレスがたまるという犯罪もない」
 といえるだろう。
 というのも、
「被害者は、もちろん、無罪にされて、この怒りをどこにもっていけばいいのか分からずに、当然のごとく、ストレスがたまりっぱなしで、どこにぶつければいいのか」
 ということになるのだ。
 しかも、犯人側も、
「確かに、無罪ではあるが、放免というわけにはいかない。精神疾患をしっかり治さなければいけないので、今度は、監査人の監視のもとに、病気が治るまでは、
「自由は許されない」
 ただ、病気が治った場合、自分のしたことに対して、相当な後ろめたさが生まれてきたとしても、もうその時には、加害者とは、関係がない状態なのかも知れない、
 ただ、関係が終わるわけではないので、そのあたりの法律的な処遇がどうなるのか分からないが、とにかく、この場合は、
「被害者も、加害者も、結局、誰も救われることはない」
 ということになるのだ。
 そもそも、人を殺した時点で、その後、誰かが救われるということはないのではないだろうか?」
 判決が出て、犯人が極刑に処せられるという判決が出たとしても、殺された被害者が戻ってくるということはないのだ。
 このような、精神疾患による犯罪も、
「精神疾患である」
 と判定され、責任能力を問わずに無罪となってしまっては、この場合の、被害者側とすれば、
「まるで完全犯罪」
 をされた気分なのかも知れない。
 いや、犯人が目の前にいて、何もできないということでは、それ以上のものであり、
「誰も救われない」
 ということが、結果として分かるということになるのであろう。
 それを考えると、これら、
「動機のない犯罪」
 というものほど、理不尽で、許されないものといえるのではないだろうか?
 ただ、精神疾患においても、衝動殺人においても、その責任の一端は、
「社会にもある」
 といえるのではないだろうか?
 社会というのが、どういうものなのかということを考えると、理不尽さの大きさも分かってくるというものだ。
 どんな社会が問題になるのかということであるが、何といっても、精神疾患に陥れるような、例えば、パワハラであったり、会社内における、
「上司から部下への脅迫観念」
 あるいは、
「親や学校の先生における、子供の虐待」
 あるいは、
「逆に、子供が教師に対しての脅迫」
 さらに、昔からあるものとして、
「学校内での子供による、苛め」
 などの問題である。
作品名:警察に対する挑戦 作家名:森本晃次