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永遠の循環

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 が多いことには、困ったものである。
「マスクもせずに交通機関に乗り込むなど、半年前では、
「ありえない」
 ということであった。
 今は懐かしい、
「自粛警察」
 と呼ばれる連中も、当時は、
「行き過ぎ」
 という批判もあったが、今となってみると、今のような時期にこそ、あの時のような、
「自粛警察」
 と呼ばれていた人たちの出現があってもいいのではないだろうか?
 と考えるのであった。
「国家というもの」
 そして、
「政府というもの」
 をそれぞれ、モラルや倫理に照らして、彼らなりの
「正義」
 というものを正しいものとして、
「ブレない行動」
 というものをしていたのだった。
 迫水が住んでいる街では、ここ最近、
「ハッピーフライデー」
 が復活した。
 それmで、まったくどこも気にしていなかったのに、一つの店が、
「金曜日の午後、ご来店の方、生ビール二杯目のみ、半額」
 と書かれていた。
 そして、営業時間も、
「金曜日のみ、開店は、午後2時」
 と紙に書いて、横に貼っていたのだ。
 いきなりであることは、一目瞭然であった。
 そんなビールにつられてか、それとも、
「まだ、ハッピーフライデーということで、午後から、休みという会社が多い」
 ということなのか、それとも、
「昼から飲めるようになるのを、待っていた人が一定数いて、その人たちは、
「昼から年休」
 という形にしたのかも知れない。
 そういえば、
「ハッピーフライデー」
 というものができたその頃ではなかったのか、
 というのが、国が定めた。
「一年間に5日の年休消化を義務付ける」
 というものであった。
 それだけでは、到底毎週の金曜日の午後を休みにするのはやりないが、一月に一度くらいは、それで充てることができるだろう。
 しかし、普通の会社であれば、年間、最大40日の年休が用意されているわけで、それだけあれば、かなりの回数、金曜日の午後を休みにもできるというものだ。
 考えてみれば、
「年間40日の年休」
 といっても、使う人はほとんどいないだろう。
 国が定めた、
「年間5日使うことを義務付け」
 でもしないと、普通は誰も使わないだろう。
 しかも、それに違反した社員がいたり、すれば、会社が国から責任を取らされる。
「国からの義務」
 ということは、そのまま、
「会社からの命令」
 といってもいいだろう。
 それだけ、国家とすれば、国民に、
「休みをやることで、その分、金を使ってもらおう」
 という、
「経済政策」
 というものに対して、政府は限界を感じてきたということであり、考えることとすれば、
「いかに国民に金を使わせて、経済を活性化させるか?」
 ということに、方針をシフトしたということであろう。
 それだけ、国民は、
「政府が休みをくれた」
 ということに、素直に喜んでいるのかも知れないが、別にそれは、政府が、
「国民のため」
 などと思っているわけではなく、むしろ、
「国民を利用して、経済を活性化させる」
 ということでのことであり、
「国民は、騙せばいい」
 ということで、
「ただ騙される、バカな国民」
 というのが、我々だったのだ。
 もちろん、そんなことくらいは、
「百も承知」
 という人も多いだろう。
 しかし、それで、少しでも経済が活性化すればいいと、誰の何も言わないということなのだ。
 パンデミックが終わっても、なかなか昔のように飲みに行くという人は少し減っているようだった。店の方も、少しくらいは覚悟をしていたようで、
「しょうがない:
 といっている人も結構いるが、
「店の方では、想像以上に人が減った」
 といっているが、
「一般の人が、街の賑わいを見ている限り、
「以前よちも、結構な数ではないか?」
 と思っているようだった
 その知友として、これは、実際に数字に基づいてではなく、あくまでも、
「街の賑わい」
 という目視によるというものでのことであるが、店の方では。
「営業できる期間だけを見ているので、緊急事態宣言中の休業期間、マンボー中の時短期間だけを見ていると、それに比べれば、かなり増えたと見えるのは、当たり前のことであった」
 ちなみに、
「マンボー」
 というのは、
「蔓延防止措置法」
 というようなもので、
「緊急事態宣言ほどの強いものではないが、緊急事態宣言は、国全体で統一して、例外なく行うものであった。つまり、国家全体で行わないと、一部だけを止めても、結果、全国に広がるのが、伝染病というものである。つまりは、その中には、他府県への移動を禁止ということも含まれているが、マンボーでは、都道府県という自治体の判断で決めることができて、局地的に絞ることもできる。つまり、汎用性を持たせたもので、蔓延し始めた地域を絞っての、初期処置ということであった」
 だから、営業も、一律で休業ということではなく、
「営業時間を、絞って、酒の販売を行わない」
 という、若干、緩い汎用性のあるものであった。
 ただ、相手は伝染病ということで、
「本当にそんな中途半端なことでいいのだろうか?」
 と思えた。
 本当は、ある程度のピークを越えた今、そのことをすべてが、過去になっているこの時期に、
「つまりは、まだ、パンデミックが残っているうちに、ちゃんと検証し、それを、
「次回のパンデミックの教訓として残しておかなければ、また新しいパンデミックを起こせば、また同じパニックになる」
 というのであれば、それこそ、
「無能な政府が、また露呈されるだけ」
 ということになり、
「なぜ、政府は検証しなかったんだ?」
 といって、攻撃されるだけである。
 ただ、その頃には、
「政府が変わっているはずなので、今の政府には、責任がないとばかりに、全責任を、後任政府に押し付ける形で、検証もしないのであろう」
 つまり、まだ政権を握りたいのであれば、検証はキチンとするはず。ソーリ本人も、
「どうせダメだろう」
 と思っているに違いない、
 それは、前ソーリの、
「国民の反対を無視して、オリンピックを開いた」
 ということと同じであろう。
 最近の政府は、
「一期だけでいいだろうから、その間、思い切りやりたいようにやる」
 という、そんなでたらめなソーリばかりなのではないかと思える。
「やりたいことができないのであれば、ソーリになんかならない」
 ということであろう。
 それに、ここまで国民から攻撃されたり、矢面に立って、いろいろ言われたりするのだから、
「かなりの利権が絡まなければ、やってられない」
 ということになるのだろう。
 この街でも、、
「パンデミック禍」
 の間は、他の街と歩調を合わせる形をとった。
 正直、
「他の街との差別化」
 という方法であっても、街において、いくらでも、いろいろしようと思えばできたのだろうが、下手なことをして、客が増えすぎると、当時の、
「自粛警察」
 なる連中が黙っていないといってもいいかも知れない。
 彼らは、
「政府に雇われているわけでもない」
 というのは、昔、平安末期の、武士が台頭し始めた時、ちょうど平家が権力を握っている時であった。
 ちょうど、平野忠時という男が、
作品名:永遠の循環 作家名:森本晃次