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永遠の循環

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 と言われるような戦を起こし、結局、
「新政府に鎮圧される」
 ということになった。
 さらに、新政府から下野し、青年士族たちに後押しされることで、反乱を起こした、西郷隆盛の、
「西南戦争」
 は、相当なものであった、
 何しろ、西郷からみれば、政府軍は、
「自分が作り出したもの」
 そして、政府軍からすれば、
「生みの親」
 といってもいいもの同士の戦いなのだから、
「それは心境は複雑なものだった」
 といってもいいだろう、
結局、西郷は自害して果てることになるのだが、その時に、政府側にいたのが、
「大久保利通だった」
 二人は、元々同じ薩摩藩で、親友だった。
 それが、敵味方に分かれて争わなければならなかったのは、実に気の毒であったが、大久保の考えとしても、
「古いものを、ぶっ潰す」
 ということで、その矢面だったのが、西郷だったという皮肉なことであった。
 ということになるのだった。
 大久保利通は、それからすぐに、暗殺者の手によって殺されるのだが、
「大久保にしても、西郷にしてもそれぞれの意志は、その後の、他の明治の元勲によって引き継がれていく」
 のであった。
 それから、百年以上が経って、時代は新しくなり、それまでの成長していた大日本帝国であったが、最後は、結局、
「追いつけ追い越せ」
 ということで目指した。
「欧米列強に、完膚なきまでにやられたのだ」
 この時に組んだ相手というのが、
「ドイツだった」
 というのは、実に皮肉なことであろう。
 日本という国は。結局、平和憲法に守られながら、80年近くも、
「戦争をしない」
 という時代に入り、
「江戸時代」
 の鎖国政策のようになったのであろうか?
 正直、まったくそんなことではなく、今や、
「外人どもを、安い賃金で働かせ、前述のように、若手を育ててこなかったつけが今回ってきて、大きな人手不足というものを生んできたのだった。

                 狙われる

 今の国家としては、そんな人手不足の時代に、ちょうど、
「世界的なパンデミック」
 というものが発生し、市民生活は、急変していた。
 特に、
「緊急事態宣言が発令されていた時期」
 というと、
「街は、完全なゴーストタウン」
 という様相を呈していた。
 何といっても、緊急事態宣言において、
「ほとんどの店がしまっているのだから、それも当然だ」
 といえるだろう。
 普通であれば、
「飲食店などで、食中毒を起こした」
 ということで、数日の営業停止を食らったことで、結局、破綻してしまうというくらいであった。
 もっとも、信用がガタ落ちだったことで、影響はその時だけではなく、それ以降もあっただろう。
 しかし、
「人のうわさも75日」
 というではないか、
 その頃になると、
「人はわすれてくれる」
 ということで、
「どこまで持ちこたえることができるか?」
 ということが問題で、今回の、
「世界的なパンデミック」
 が起こり、
「緊急事態宣言」
 が発令された時、誰もが、
「零細企業など、ひとたまりもない」
 と考えていたことだろう、
 さらには、大企業だって同じことだ、
 零細企業よりも、危機意識というものを、部として研究してるという意味で、零細企業とは別の意味で、危機を感じていたことだろう、
 ただ、冷静企業よりも、内部留保を持っていたりして、
「いざという時の体操はしていたので、ギリギリのところで、持ちこたえているところが多かったことだろう」
 しかし、日本政府としては、
「緊急事態宣言を出さないわけにはいかない」
 ということで出すわけだが、そんな宣言に対して、
「各企業では、完全に、カウントダウンが始まった」
 といっても過言ではないだろう。
 いつ終わるとはいえない、
「緊急事態宣言」
 が出されてしまった以上、政府も、中途半端なところで解除はできない。
 確かに、経済への打撃は、計り知れないものがあるだろうが、そのために、
「国民の生命」
 を犠牲にするわけにはいかない。
 中には、
「伝染病は罹らない可能性があるが、経済不況によって、襲ってくる不安は、絶対のものだ」
 ということで、
「このまま経済を抑えてしまうと、結果、遅かれ早かれ、自殺者が増え、伝染病で死ぬ人の数よりも、会社関係で自殺した人の方が多い」
 という社会問題になりかねない。
 と言われるのではないだろうか。
 それを考えると、
「一体どっちを優先すればいいのか?」
 ということであった、
 ただ、やはり、
「命が大切」
 ということで、伝染病を抑えることが先決だ。
 経済を復旧させて、自殺者を抑えることができたとしても、そのために。患者が爆発的に増えるというのは、本末転倒であった。
「自殺をしないとしても、結果、伝染病に罹って死ぬかもしれない」
 というわけである、
 もっといえば、
「自殺を免れた人が、伝染病に罹らないとは限らない」
 ということで、
「遅かれ早かれ、理由は違っても、死ぬことに変わりはない」
 となれば、本末転倒のいいところである。
 日本のように、狭い国に、
「一億二千万が暮らしている」
 というのだから、それは、
「バタバタと人が死んでいく」
 という意味で、
 それこそ、
「国破れて山河在り」
 ということの二の前になってしまう。
 日本という国は、
「80年前の地獄」
 をまた、繰り返すということになるのだろうか。
 そんな
「世界的なパンデミック」
 は、奇しくも、
「第二次大戦後最悪な事態」
 と言われたほどではなかったか。
 日本だけではなく、世界的にも、同じような発想があったということで、これは、非常に大きな問題だったといえるのではないだろうか?
 ハッピーフライデー」
 というものが、忘れられてしまったようになっているが、実は日本でも、いくつかのところで、まだまだ、そのイベントが行われているところがある、
「そうだよ、そういえば、そんなイベントがあったよな、はるか昔のように思えるけど」
 ということをいう人が多かった。
 それでも、時代に逆行するわけではなく、
「パンデミック」
 に、
「負けない時代をつないでいく」
 ということで、政府が言っている。
「パンデミックに打ち勝った」
 というような、寝ぼけた言い方ではないのだ、
 政府は、
「パンデミックは終わらない」
 ということで、
「共存」
 という言葉を国民には、言いながら、対外的には、
「日本は打ち勝った」
 という虚勢を張っていたいのであろう。
 それは、
「前ソーリ」
 も
「今のソーリ」
 も同じことで、
「それこそ、二人とも、ただのバカではないか?」
 という人もいるが、まさにその通りだろう。
 時代は、政府が思っているよりも、
「国民を強くした」
 というのか、それとも、
「内部留保」
 といういざという時のための蓄えが、日本企業を救ったのか、今のところ、何とかなっているところが多い。
 ただ、戦争から遠ざかっていることでの、
「平和ボケ」
 ということには、いかんともしがたく、
「すでに、パンデミックっは終わった」
 という、
「勘違い野郎」
作品名:永遠の循環 作家名:森本晃次