永遠の循環
そもそも、根拠を示さないことが怪しいと誰も思わないのか、
あれほど、政府を信じられないといっていた連中が、
「政府がいいと言ったから」
ということで、マスクを外すということは、
「俺たちは死んでも構わない」
といっているように見えて、
「あれのどこに、一貫性があるのか?」
と国民性も疑いたくなるということになるのであった。
確かに国民生活は、ある程度まで、国家がいうように、戻ってきたことであろう。
しかし、経済がまだまだ疲弊しているということと、さらには、昔から懸念されていたことが、この3,4年の間に何もできなかったことが、致命的にならなければいいのだが、
というのも、
「昨今言われていることとして、人材不足という問題が多くなっている」
それは、
「〇〇年問題」
などと言われる、いわゆる、
「物流問題」
あるいは、
「介護などの問題」
などの人材不足である、
特に深刻に言われているのが、
「物流問題」
で、特に、
「宅配関係の会社」
などでは、すでに、深刻になりかかっているというのだ。
宅配というと、一番の問題は、
「留守宅問題」
であり、
配達に行っても、夫婦共稼ぎのところは、夜にならないと住民は帰ってこない。
そうなると、留守宅への配達に来たというはがきを入れておいて、そして、連絡を待って。帰宅後に配達するということでの、
「二度手間、三度手間」
などであった。
せっかく配達したのに、持って帰って再度時間外に配達する。
「再度の配達を時間外に」
ということで、いかに、面倒なことになるのか?
ということであった。
それを思えば、
「三度手間」
というのも、当たり前のことであった。
そんな状態において、いかに国民が、
「サービスはあって当たり前だ」
と思っているかということである。
配達してくれるのが当たり前、
「再配達も当たり前」
ということは、
「パンデミックにおいて、検証をしない」
という政府の、
「平和ボケ」
という考え方に酷似しているといってもいいだろう。
ただ、この人手不足の問題は、これだけでなく、ほとんどの会社が抱えていることであった。
「少子高齢化」
というのは、企業にも影響していて、社員の平均年齢が、
「50歳以上」
というところも多い。
つまり、数年すれば、皆、定年を迎えるということになる、
会社も政府も目先のことしか考えず、
「安い賃金で、外人どもを雇えばいい」
と思ってきたことで、根本的な、
「若手の雇用」
であったり、さらには、
「若手の育成」
ができていないから、人手不足と言われるのだ、
パンデミックで、外人が入ってこなかったということが政府としても、会社としても誤算だったということになるのだろう。
時代が進み、そのパンデミックも収まりかけた頃、完全に、
「ハッピーフライデーは、忘れられた存在となっているようだった、
実際に、時代が進み、国民が、知らされていないとはいえ、ほぼほぼ、パンデミックを忘れてしまっている。
考えてみれば、パンデミックの最初の頃というと、まだ、感染者も少なく。
「実際に、自分の近くに感染者がいない」
ということで、危機意識は皆無だったではないか・
しかし、学校が休校になったりしたのも、確かに、
「ソーリの一存」
で、本来なら、混乱させられた国民は、相当に怒ってもよく、皆がが先導する勢いで、政府を糾弾してもいいくらいなのに、その割に、おとなしかった。
しかも、
「緊急事態宣言を出すべき」
という意見にも、賛成の人が多かった。
それだから、政府も。
「緊急事態宣言」
というものを発令したのだが、前述のように、
「順番が違っていた」
ということである。
「外部からの侵入を防いでおかないと、いくら内部を引き締めても同じこと」
といってもいいだろう。
鎖国だって、
「海外からの人を受け入れないどころか、海外に行っている日本人が帰ってくるTことも許さない」
ということで、どれほど、徳川家光が、
「キリスト教」
というものを恐れていたのか?
ということである。
「これは、都市伝説のようなものだが、恐れていたのは、キリスト教ではなく、ユダヤ人だった」
ということである。
これは、
「歴史的には、ハッキリとはしない」
という前提で、想像が許されるのであれば、
「かつての、それぞれの国も創世時代に、かかわりがあるのではないか?」
ということであるが、あくまでも、都市伝説である、
とにかく、キリスト教を排除することを目的に鎖国をしたのも、結局、西洋を締め出す」
ということであり、オランダ以外の国を排除したということになり、オランダからは、
「害はない」
と考えたのであろう。
そういえば、明治天皇の前の、
「孝明天皇」
というのは、相当な、
「攘夷論者」
だという、
徹底的な
「外人嫌い」
で、幕府を弱腰ということで、
「外国人打ち払い」
の際先鋒だった。
特に欧州に対しては、必要以上の感情があった。
もっとも、当時のアジアは、欧州の国に植民地化されていて、日本も、
「武力による開国」
ということで、いわゆる、
「砲艦外交」
と呼ばれたではないか。
それだけ、当時、
「日本は狙われている」
といってもいいだろう、
なにしろ、日本という国は、それだけ、外国からの勢いに押されて、開国を余儀なくされ、諸外国から、
「狙われていた」
のである。
「狙われる」
ということは、その利用価値というものがあるからであり、特に日本は、アメリカからは、
「アジア侵略のための、前線基地として、どうしても、水や食料、その他の武器弾薬が必要なため、港の開港と、貿易が必要だったのだ」
といえる。
またイギリス、フランスは、それぞれの国の力を日本で確立するために、
「フランスは、幕府方」
そして、
「イギリスは、薩長という新政府側」
それぞれについて、一種の。
「代理戦争」
を戦うことになった。
結局新政府は、幕府を倒し、最初は、
「攘夷によっての、諸外国打ち払い」
ということであったが、
「薩摩は、薩英戦争」
「長州は、四国艦隊砲撃事件」
をきっかけに、
「諸外国を打ち払うのは不可能だ」
と分かり、今度は、
「不平等条約改正」
ということを目的に、
「諸外国においつけ、追い越せ」
ということで、日本国家を、
「「殖産興業」
「富国強兵」
というスローガンを持って、
「日本の近代化」
というものに、舵を切った形の新政府であった。
もちろん、最初は新政府も、それまでの包茎制度を一度ぶち壊して、そこから新しい時代の日本を作らなければいけないのだから、それは大変だ。
「紀尾井坂で暗殺された、大久保利通」
という人物が、
「ぶっ壊すことよりも、そこから新しいものを作り上げる方が、よほど大変だ」
というのを言っていたが、まさにそうであった。
ただ、ぶっ壊している最終でも、かなりの強引なところがあったので、特に、士族となった武士たちが、政府に対して、反乱を起こし、
「萩の乱」
「秋月の乱」
「佐賀の乱」