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永遠の循環

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 だから、この話を聞いた時、皆一瞬戸惑っていたが、それは、考えが一瞬マヒしたからであって、ふと考えると、
「これは、笑い話なんだ」
 ということを考えると、そこから先は、失笑しかないということである。
 一度、出てきたものは、撤回することができない。
 それを考えると、
「笑い話というのは、意外と輪廻するものなのかも知れない」 
 と考えるのだ。
 おかしいというだけではなく、どこかに真面目なところがないと、じわじわとくるものではないだろう。
「俺はいつまで寝ていればいいんだ?」
 ということを考えてしまうのかも知れない。
 その日は、会社が、珍しく残業のない日だった。
 というのも、自分が行っている会社は、他の会社を知るわけではないが、とにかく会議の多いところであった、
 社員が少ない、こじんまりとした事務所なのだが、必ずといってもいいほど毎日、何かしらの会議があっている、
 会議室はいつも満席、会議の議長は、会議室の予約と、メンバーの日程調整だけで、かなりの労力である、しかも、会議が他とバッティングしてもいけないし、さらには、営業の人であれば、営業活動に差しさわりがあってはいけない。
 ましてや、営業社員が、営業先で会議の出席予定があったりすると、自社よりも、相手を優先しなければいけないのは当たり前おことで、そのあたりも調整ができないと、この会社ではやっていけないというくらいであった。
 迫水は、まだ20歳代なので、
「会議の議長」
 ということをしなければならないわけではないが、会議の議長は上司ということもあって、部下である迫水の方が、その調整にあわさなければいけなかった。
 逆に迫水のような、まだ、現場に近い社員は、
「会議のタイミングに自分の仕事を合わせる」
 ということが至上命令となっている。
 それはそれで結構きついことであった。
 特に、相手は、現場であったり、他社との絡みということになるので、それがきちんとできないと、営業先での信用もままならないということになるのだ。
 入りたては、さすがに会議の出席もほとんどなかったが、入社2年目くらいからどんどん会議出席が増えてくる。
 しかし、正直、
「こんな会議に、俺たちが出る必要があるんだろうか?」
 というのも、結構あった。
 正直、企画段階のプロジェクト会議にまで、プロジェクトメンバーは、皆出なければならない。それこそ、
「時間の無駄」
 ではないかと思うのだった。
 企画段階というと、予算の話であったり、要件定義書などの、本当に何も具体的に決まっていない会議である。
 もちろん、
「今後のために、一度くらい出席しておくのは悪いことではない」
 といって、1,2回なら分かるが、プロジェクトによっては、
「毎回全員出席必須」
 というのもあった、
 もっとも、それはm一人の人間の勝手な思い込みであり、
「すべてのプロジェクト」
 というわけではないが、実際に、一度、
「時間の無駄だな」
 と思うと、そう感じてしまって仕方がない。
 会議に出ることがストレスになるということを、思い知る瞬間でもあった。
 ただ、最近は、会社の上の組織が変わった。変わってから、そろそろ半年が経とうとする今の時期には、
「悪しき伝統」
 と言われていたことも、だいぶ改善されてきているようだ、
 少なくとも、
「意味がない」
 と思われる会議への出席は、ほとんどなくなった。
 その上司も、会議の議長の役を下ろされて、降格にはなかったが、本人も相当なストレスがあったのか、降格させられても、それはそれで、
「本人も納得」
 ということであった。
 それだけに、嫌な気分ということではなく、円満に、会議の議長を人に任せるようになっていた。
 迫水は、それでも、会議は、毎日のようにあるのには変わりないが、さすがに、一日中というようなことはなくなった。ほとんどが、午前か午後のどちらかの1時間から2時間程度というところであろう。
 だから、だいぶ自分の仕事にも余裕を感じられるようになったのであった。
 それでも、どうしても、毎日の会議が、その分残業になってしまうということにつながると、最初は、
「仕事だから仕方がない」
 と思っていたが、この話を、大学時代の、別の会社に入社した人に聞いてみた。
「うちの会社、ちょっと会議が多いような気がするんだよな」
 という程度の軽いところから入ったので、聞いてくれた人も、軽い気持ちだったに違いない。
 しかし、迫水の話が佳境に入ってくると、
「おいおい、それはひどいじゃないか」
 と言い出すのだった。
「お前もそう感じてくれるか?」
 と聞くと聞いたが、それはあくまでも、同意をもらえたということで、
「よかった」
 と、安堵に胸をなでおろすという程度のことだと思っていたのだ。
 しかし、友達がいうには、
「そんなに会議ばかりやってたんじゃあ、仕事も進まないだろう」
 というので、
「そうなんだよね」
 と、心の中では、会社に対して、
「いい加減にしてくれ」
 とは思っているが、それを言えないことに、ジレンマを感じているような態度を取った。
 それを見ていた友達は、
「いやいや、他人事じゃないぞ」
 と言い出したのだ。
 迫水としては。そこまでの話の答えを求めているわけではないので、
「どうしたんだい?」
 と聞くと、相手は少し呆れた表情になって、
「どうやら、迫水は、自分の考えていることをしっかりと理解できていないようだな、お前は、自分のことのように考えているようで、実際には他人事なんだよ。本人は、他人事になっちゃいやだから、主観的に考えているつもりのようだけど、それって却って、遊びの部分がないわけなので、考えられる範囲を自分で狭めているということになるんだよな」
 というのだった。
「だから?」
 と少し、こっちも苛立って聞いてみたが、
「いやいや、だから、迫水は、本当は考え方を柔軟に、それこそ、他人事のように考えれば、そこで、余裕が出てくるのさ。それが、まわりを見るということなんじゃないかな?」
 というのだった。
 何となくわかる気がするが、どうにも、先にカチンと来てしまったことが影響してか、すぐには、頭の中を修正せきないでいた。
 そこで、彼が言った一言が、よかったのか、
「なるほど」
 と感じることができたのだが、それが何かというと、
「考えてもみろよ、会議が多いということは、いつまでも、決められないということさ。要するに、小田原評定をしているということになるんだよ」
 と言った。
「小田原評定」
 というのは、織豊時代の豊臣秀吉が、
「小田原征伐」
 をした時、小田原城内で、籠城していた後北条氏の家臣たちが、
「結論の出ない会議を延々と続けていた」
 ということから、そういう会議を、
「小田原評定」
 というのだ。
 要するに話には限界があり、その限界に対して、どういう答えを出していいのか分からない。
 だから、結果として、同じところをぐるぐると、
「堂々巡り」
 を繰り返しているということになるのだろう。
 それを、
「小田原評定」
 というのだ。
作品名:永遠の循環 作家名:森本晃次