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永遠の循環

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年10月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。

                 パンデミック前夜

 最近、迫水は、
「自分が誰かに狙われているのではないか?」
 ということが急に気になるようになってきた。
 実際に、
「誰かにつけられている」
 あるいは、
「電車のホームの後ろに、たまに、突き刺さるような視線を感じる」
 ということがあった。
 これが女性であれば、
「ストーカー?」
 ということで、びくびくしなければいけないのだろうが、迫水は、
「俺のような男性にストーカーなどする人はいない」
 と思っていたので、自分を付け狙う人など、最初から存在などするわけがないだろう。
 これが、
「イケメン」
 と言われる人であれば、女性のストーカーが付け狙うということもあるだろう。
 実際にストーカーが問題となり始めたことは、男性だけではなく、女性のストーカーも結構いたりしたものだ。
 実際に、トレンディドラマと呼ばれるドラマが流行っていた頃、同じくらいの時期に、別ドラマとして、
「男性バージョン」
 と、
「女性バージョン」
 の、ストーカー番組が存在していた。
 そのうちに、
「ストーカーというと、女性の方が圧倒的に多くなり、なくなったわけではないだろうが、ストーカーという言葉の代名詞として、
「男性が女性を追いかけまわす」
 ということが主流になってきたといってもいいだろう。
 そういえば、さらに昔には。何か新しいものが出てくると、それの、
「対抗馬」
 という形で、もう一つ出てきて、結局はどちらかが勝ち残るようになり、負けた方は、
「消え去るのみ」
 という形になってしまうのだった。
 そのいい例として、ビデオが一般家庭に普及しだした頃、時代的には、昭和の末期くらいであろうか。
 その頃には、二つのビデオが存在した。
 一つは、最後まで主流だった(というか、独占であったが)
「VHS」
 というもの、そして、もう一つは、
「ベータマックス」
 というものがあった。
 それぞれに一長一短で、VHSは、
「三倍速」
 というような形での録音形式もあるので、例えば、
「120テープであれば、最高、360時間。つまり、6時間録画が可能だった」
 ということであるが、短所としては、
「大きくて場所を取る」
 というのが、
「VHS」であった、
 逆に、ベータマックスは、まったくその逆で、倍速録画ができないのがネックだったのだ。
 もっといえば、それぞれでデッキも違うので、
「ベータが使い勝手が悪いので、VHSに変えようとした場合には、ビデオデッキからの買いなおし」
 ということになるのであった。
 つまりは、それぞれ、
「一長一短」
 ということであり、
「帯に短し襷に長し」
 ということになるのである。
 ただ、それ以降、いろいろな電気製品が開発されたが、ビデオのように、
「デッキごと買いなおし」
 というのは、まれなパターンだといってもいいであろう。
 だから、当然のごとく、それぞれで、開発が進んでいくということはない。どちらかに偏れば、どちらかがすたれていき、生産もされないようになり、時代が進むと、
「そんなものがあったんだ」
 と、歴史からも消えてしまうということになるのではないだろうか?
 昭和から、平成に入る頃でそうだったのだから、トレンディドラマの時代というと、それこそ、
「ビデオ最盛期」
 といってもいいだろう。
 今だったら、
「CD」
 であったり、
「デッキに直接録画ができるほどの。容量が持てるということ」
 で、今の時代は、ここ30年くらいで、一気に発展しただった。
 誰かに狙われているというのを感じ始めたのは、ここ一か月前からであった。
 その時は、
「ただの気のせいだ」
 とばかりに考えていたが、自分を狙っているという人は、何をもってそう感じるようになったのか、ちょっと分からないところがあった。
 暑さもだいぶマシになってきて、次第に秋めいてきたこの時期であったが、日が沈むのが、少し早くなったことで、仕事が終わって会社を出た時には、西日も沈んでいて、かすかな光であるが、それが足元から伸びる影を形成していて、その影が、会社帰りに立ち寄る公園の、舗装されていない、小石が結構あるところでは、
「歪な形の立体を感じさせることで、目の錯覚を起こさせる」
 歩いている時、ビルの影になると、ひんやりとしていて、風が少し吹いだだけで、顔に冷たい風となるのだが、ひとたび、明るいところに入り込むと、そこには。
「ぽかぽか陽気」
 というものが漂っていて、それが、一気に睡魔を誘ってくるのであった。
 そのくせ、汗が滲んできて、額から流れる汗が、時期的に、ほとんど雨が降らない時期なので、乾燥している空気のはずなのに、自分でも意識できていないほどに、湿気が充満していて、
「眠気がなぜか、頭痛を誘ってくるのであった」
 だから、子供の頃から、
「夕方になると、頭痛がしてくる」
 という状態になったり、
「眠たいのに、眠れない代わりに、頭痛がするのは、汗が噴き出してくるということが自覚できるからだったりするのだ」
 ということであった。
 呼吸困難になってしまうこともあった。
 呼吸困難になるのは、高校時代から以降だったのではないか。中学時代までは、眠気だけだったが、呼吸困難になってくると、その原因が、
「実は、睡魔を我慢しようとしているからではないか?」
 と思うようになったのだ。
「睡魔を我慢すると、頭痛に襲われる」
 というのは、子供の頃からで、
「ほんの少しでも眠ることができると、頭痛はたちまちしなくなる」
 ということであったが、意外と、眠たい時に、
「気が付いたら寝ていた」
 ということもあるのだが、そう感じるのは、本当に眠い時ではないのかも知れない。
 昔、笑い話で、
「気がついたら死んでいた」
 という言葉であったり、
「死ぬまで寝ていた」
 などという
「笑い話にならない、笑い話」
 というものがあったりした。
 これは、どこかのお寺であったが、
「一杯飲めば、1年長生きができ、二杯飲めば、3年長生きができる。そして三杯飲めば、死ぬまで生きられる」
 というのがあった。
 一瞬、当たり前のように受け止めてしまう言葉であるが、よく考えれば、輪廻のような話である、
作品名:永遠の循環 作家名:森本晃次