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永遠の循環

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 ということであり、本気で好きになることはない。
 下手をすると、
「添え前食わぬは男の恥」
 というくらいの軽い気持ちではないだろうか?
 だから、彼女たちの男が、迫水に対して、直接的に文句を言いに来るということはないようだ。
 冷静な男とすれば、
「女の方が悪い」
 ということは分かるだろうから、
「そんな女は、こっちから願い下げだ」
 ということになる。
 ただ、男としては、悔しい思いがあり、その思いを迫水に直接ということはないが、気持ちとして感じることで、恨みのようなものを晴らしているつもりだったに違いない。
 迫水は、
「女が寄ってくるのだから、こっちから歩み寄る必要などない」
 と思っていた。
 確かに、あゆみ寄らなくても、相手から寄ってくるのである。
 だから、
「男冥利に尽きる」
 と思っているのだし、寄ってくる女も、
「元々、今までの相手は、頼りないと思っているところに、迫水のような男が現れれば、それは、女から寄っていくというのも。無理もないことだ」
 といえるだろう。
 だから、女性の中に、
「今までの男を頼りない」
 と思うのは、
「自分には、物足りない相手」
 ということで、それは、性格的にもそうであるし、性癖的にもそうであろう。
 女としては、
「優しい男」
 というのが好きなのは当たり前だ。
 昔のような、
「男尊女卑」
 というような男は今は流行らないといってもいいのだろうが、逆に、
「それが、モテる男の秘訣だ」
 などというのは、大きな間違いである。
「古今東西において、モテる男の定義が、そんなに変わることはない」
 ということであり、
「地域性」
 ということはあるだろうが、同じ地域で、いわゆる民族間で、過去から現在に至るまでに、性格的、性癖的に好みがそこまで大きく変わるということはないだろう。
 容姿という面で行けば、
「顔の作り」
 に関しては、大きく違っていることだろう。
 時代とともに、その顔を見ていると、表情にこそ違いはないのかも知れないが、それぞれのパーツごとに違うのは、昔から残っている。
「肖像画」
 であったり、
「浮世絵」
 などで分かるというものだ。
 ちなみに、日本固有の、
「浮世絵文化」
 というのは、世界の名画と呼ばれるものに、いくつか並べられるくらいに、すごいもののようだ。
 安藤広重や、写楽などは、ゴッホやピカソ、ミレーやダリと比較されるほどのすばらしさだといえるだろう。
 迫水は、どちらかというと、あまり、
「容姿というものを、重要視するわけではない」
 といえるだろう。
 しかも、女性の好みに、それほどのこだわりがないように見えて、皆がいうには、
「ストライクゾーンが広い」
 と言われるが、実際には、
「普通の人が見ても見分けがつかないようなところに、共通点を見出すのか、実はやつが好きだと思う女性には、ある種の共通点がある」
 と言われるのであった。
 そこがどこなのか、
「共通点がある」
 と見抜いた人でも、そこまでは、気づかないのであった。
 それだけに、
「奴の感性は、異常なところにあるといえばいいのか、何か天才的なものを感じさせられるところがある」
 という人もいるのだった。
 一種の、
「天才肌」
 というところであろうか。
 そんな女性のタイプにこだわっていないように見えることも、どこか、女性を安心させるところのようだ。
 女性としては、
「自分とタイプが似ている女性に対しては気になるもので、自分の彼氏が浮気をしないか?」
 ということに神経を研ぎ澄ますようだが、迫水のように、
「タイプが分かりにくい」
 という人に対しては、不安に関させることもなく、
「猜疑心」
 も、
「疑心暗鬼」
 も、浮かんでくることはないという、
 そもそも、自分が浮気や?不倫をしているのだから、相手の男に、貞操を求めるのは、お門違いというものだ。
 だが、それを求めるのが女性。そんな女性の気持ちを迫水は、意識はしていないが、分かっているようだった。
 どこか、
「水の流れ」
 のような、従順なところがあるのが、女性を安心させ。
「自分だけを愛している」
 と錯覚させるのだろう。
 しかし、女性というのは、一度、猜疑心を持ったりすると、そこからなかなか抜けられないという。
 一種の、
「アリジゴク」
 といってもいいだろう。
 それを考えると、もう一つ思い浮かぶのは、
「底なし沼」
 であった。
 そもそも、
「底なし沼というのは、どうなっているんだ?」
 ということであった。
 底がない沼ということなのであろうが、底がないなら、どうやって、水が湧いているというのか?
 そういえば、
「沼と湖と池」
 のこの三つの違いは何か?
 ということがクイズになったことがあるようだが、普通であれば、
「池と湖の違いは、その大きさにあり、沼というと、どろどろした感じがあるものをいうのだ」
 と思っている人が多いらしい。
 しかし、実際には、その3つのれっきとした境目というのはないようで、沼がドロドロとしていなければならないという定義もないという。
「ああ、なるほど」
 と、今度は、底なし沼というものを考えた時、ドロドロしているということをまず考えるので、
「沼」
 と聞いた時、その同意語として思い浮かべた時に、
「沼は、ドロドロしている」
 と思い込んでしまうのだ。
 こんな簡単な、
「三段論法」
 というものがすぐに分からないということは、それだけ、
「沼と底なし沼」
 というものが、本当に同じものだと信じて疑わない感覚があるのではないだろうか?
 迫水に近づく女性も、迫水ときっと、皆同じ目線で見ているのだろうが、迫水自身が、完全に上から見ていて、それを感じさせないという性格をしているのだということになるのだろう。
 迫水は、結構、潔癖症なところもあるのだが、肝心なところでいい加減だったりする。それが、
「結果、いい加減」
 と言われるところで。せっかく几帳面で、いい意味で潔癖症と言われてしまうほどの、性格を、
「もったいない」
 とまわりに感じさせるところがあった。
 その一つには、
「相手の言葉を信じ込んでしまう」
 というところがあったのだ。
 特に、女性とのセックスの時には、最初の頃は、
「ゴム着用」
 というのが当たり前だと思っていたのに、途中から、
「私、ピル飲んでるから、大丈夫よ」
 といって、生でしたことがあり、それが病みつきになってしまったのだ。
 特に、
「生理不順」
 という人は、避妊云々ということではなく、ピルを服用しているというのだ。
 だから、そのことを、迫水は失念してしまい、
「ああ、そうなんだ、ピルさえ飲んでいれば、妊娠を心配しなくていいんだ」
 とばかりに、他の女性にもそういって、本人は、その気はないが、結果として、
「強要している」
 ということになったのだ。
 迫水に惚れていて、半分、言いなりになっているような、依存症的な女性は、迫水のいうことに逆らえない。
「何となく嫌だ」
 とは思っても、捨てられることを考えると、
「ピル服用くらいは何でもない」
 と思うようになっていた。
作品名:永遠の循環 作家名:森本晃次