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異次元交換殺人

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 それでも、キチンと対応できる政府であればいいのだが、結局ここに戻ってくるわけで、後手後手にまわるという、
「危機管理能力が最低」
 という政府に何ができるというのか、結局、補助金というものを出したとしても、伝染病を抑えることもできなければ、経済を救うこともできない。
 そもそも、この補助金といっても、これは、国民の税金ではないか。
 考えてみれば、この国は、累積赤字が募っていて、
「返せる見込みがまったくない」
 という借金を背負った国ではないか。
 少々の経済政策で、どうにもなるものでもない。しかも、増税増税を繰り返し、
「増税するなら、社会福祉を充実させなければいけない」
 というはずで、それを公約にして、増税をしてきたくせに、老後の保障などまったくなく。しかも、
「老人は、働かなければ、死んでしまえ」
 とでも、いうような仕打ちに、よく国民は黙っているというものだ。
「若者の負担が増える」
 ということばかり、言われているが、若者は、老人たちを支えるために仕事をしたとして、
「じゃあ、彼らが老人になった時」
 というのは、さらに悲惨で、マジで、仕事をしないと生きていけないという時代が、すぐそこまで来ているのではないかと思えるのだ。
 そうなってしまうと、国民は、どうすることもできず、このまま、
「政府の迷走」
 に付き合わされるということであろう。
 何といっても、補助金などといって、政府が使うお金というのは、そのすべては、
「国民の血税である」
 ということを、忘れてはいけないであろう。
 そういう意味で、
「世界的なパンデミック」
 と言われたこの時代で、国民は、そんなことを忘れてしまうかのごとく、誰もかれもが、何をしていいのか、ずっと迷走していることであろう。
 今回の、
「空き巣問題」
 にしても、雇用側が、人件費の節減をしないと、どうしようもなくなったことで、
「社員の首切り」
 を行ったり、
 そんなことをするまでもなく、あっという間に、会社として成り立たなくなり、社員もろとも、破産ということになってしまったということもあるだろう。
 ただ、前者の方がましである。
 なぜなら、退職金が、まだ、まともにもらえたかも知れないからだ。
 しかし、後者のように、会社が潰れれば、そうもいかないだろう。どちらがいいのか難しいところが、会社によっては、ギリギリまで頑張って、どこかに吸収されるなどして、
「企業としては、生き残れる」
 というケースもあっただろう。
 ただ、それは、奇跡に近い稀なことであり、期待することは、絶対にしてはいけないことであった。
 とにかく、どういう理由であれ、首を切られた社員が、政府がもたもたしている間に膨れ上がってきた。
「明日の生活もままならない人が街にあふれる」
 などということは、最初から分かっていた。そして、それが現実になってくると、彼らは、
「生きていく」
 という目的のために、泥棒にいそしむということも、最初から考えられたことであった。
 同情はあるだろうが、だからといって、
「はい、そうですか」
 と受け入れることもできない。
 街にあふれるような彼らを、警察だけでは、どうすることもできない。
 今、警察もかなりの人員整理が、
「世界的なパンデミック」
 発生前から起こっていた。
 昔であれば、極端にいえば、
「コンビニの数くらいに、交番があった」
 といってもいいくらいに、一つの町内くらいにはあってしかるべきだったにも関わらず、今では、半径数キロ範囲を管轄するというような交番になってしまっていた。
 しかも、常駐しているのは、4、5人というところか? 交替制だと考えると、常時常駐しているのは、2,3人ということであろう。だから、
「街のパトロール」
 に出かけるとすると、交番の中はもぬけの殻になっていて、表の扉の所に、
「警ら中」
 などの札を掛けて、交番を留守にするというのは、日常茶飯事であろう。
 それを考えると、昔のように、
「交番の前に、お巡りさんが立っていて、庶民を見ている」
 というようなことはありえない。
 だから、テレビドラマなどであったような、
「田舎から出てきたおばあさんが、交番の巡査さんに、道を聞く」
 などというーシーンは、
「過去のこと」
 ということにしかならないのだった。
「世界的なパンデミック」
 の時代によく言われた言葉として、
「自粛」
 という言葉がどこからでも聞かれるようになっていた。
 それは、まるで、
「緊急事態宣言」
 というものに対しての、
「枕詞」
 といってもいいだろう。
「要請にこたえて、店を閉める」
 というのも、自粛であり、
「市民が、外出しない」
 というのも、そのことであり、彼らのような、
「自分たちのことは自分たちで守る」
 という
「自粛警備隊」
 というものが、血清されることになるのである。
 ちなみに、
「自粛警察」
 という言葉は、別に存在した。
 これは、実際に、警察に関係のあることでもなんでもなく。
「自粛期間中に、政府の要請に対していうことを聞かずに、営業を行っていたりするところを、きっと、自分たちが我慢しているのに、許せないという気持ちの表れからか、ルール違反の連中を、社会的に糾弾する」
 という連中のことをいうのであった。
 一見、正しいことをしているように見えるが、果たしてそうなのだろうか?
 そもそも、政府のやることなのだから、そこに正義などを求めるのが、おかしいというもので、そういう意味で、
「自粛警察というものには、賛否両論あった」
 といってもいいだろう。
 そんな自粛警備隊が、
「警察ではあてにならない」
 という空き巣問題に、自分たちが、決起して、
「警備隊」
 というものを組織して、結局は、
「自分たちの身は自分たちで守る」
 という体制を取るしかないということであった。
 そこで彼らは、自分たちで、まるで昔の
「隣組」
 というような組織を設け、警備にあたっていた。
「隣組」
 というと、昔の戦前戦中において、
「お互いに助け合う」
 という制度であったのだろうが、実際には、昔の隣組というのは、
「治安維持法」
 に対しての考え方として、
「国家の体制や、戦争継続というものに対して、反対分子がいないかどうか」
 ということを、見張る意味で設けられたということである。
 さすがに、今の時代にはそんなことはなく、しかも、これは、理由が、
「警察があてにならない」
 ということであるが、結果として、
「自分たちで動くしかない」
 ということになるのであり、それが、大切なこととして、どこの地域でも、空き巣に対しての体制として、
「自粛警備隊」
 というものが、独自に組織されていったのであろう。
 それを思うと、いくら自分たちを守るためとはいえ、
「どうして、一銭にもならないことをしなければいけないというのか?」
 という、まるで、
「この世の地獄」
 というものを感じさせるという精神状態ではなかっただろうか?
「皆同じなんだ」
 と思わなければ、どうすることもできない。
 それが、今の世の中ということで、
「今日も皆と一緒に警備隊」
作品名:異次元交換殺人 作家名:森本晃次