小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

異次元交換殺人

INDEX|15ページ/19ページ|

次のページ前のページ
 

「いつも、何かを考えているようなところがあって」
 とよく、学校の先生からも言われていて。最初はそんな自覚はなかったのだが、そう思えてくると、
「俺って、ひょっとすると頭がいいのかも知れない」
 と感じるのだった。
 そもそも、小学生の低学年の頃は、
「テストで0点などというのも、結構あった」
 というのは、
「白紙で出す」
 というのだから、
「0点以外の何物でもない」
 といえるだろう。
 とにかく、
「学問のとっかかりのところで、分からないということである」
 というのは、
「1+1=2」
 ということが分からないのだ。
 基本中の基本である公式が分からないというのは、逆に、
「皆分かったふりしてるけど、なんでそうなのかって、誰か分かっているのか?」
 ということである。
 要するに、
「先生がそうだと言ったから」
 という、事なかれ主義というのが、嫌だったのだ。
「じゃあ、皆は、誰か一人が赤信号で渡ったからといって渡るのか?」
 と言われると、
「渡らない」
 という人がいるのだが、たいていの場合。
「渡らない」
 と言ったやつが、他の人が渡れば、自分も渡るのだ、
 そしてその理由を、
「あの人が渡った」
 といって、赤信号で渡った人に、すべての責任を擦り付けるわけだ。
 そういう連中が、許せないというのは、一種の、
「勧善懲悪だ」
 ということであった。
 要するに刑事になるくらいなので、
「勧善懲悪」
 というのも、当たり前だということだ。
 いつもかnがエゴとをしている桜井刑事だったが、
「1+1=2」
 の理屈が分からなかった桜井少年だったのに、高学年になると、なぜか算数が好きになったいた。
 だからといって、
「数式が理解できたわけではない。自分でもよく分からないのだが、この数式を理解できなくても、算数の面白さが分かったというべきか。まるで、違う学問のような感じがしてきた」
 という感覚であった。
「見る角度が違っていると、違う感覚が浮かんでくるというものであり、しかも、次第に面白くなってくるようになると、
「絶えず、算数の理屈ばかりを考えている」
 ということであった。
 そんな中で、今までいろいろと考えてきた中で、今でも、その発想に、
「なかなかよく気が付いたな」
 と思ったことがあった。
 今から思えば、すぐに思いつきそうな気がするのだが、実際には、
「何かのきっかけ」
 というものがなければ、できないことだったに違いない。
 それが何かというと、
「限りなくゼロに近い」
 という発想であった。
 これは、子供の頃には、名前までは知らなかったが、
「自分の前後、あるいは左右に鏡を置いた時、そこに、どんどん自分と、もう一方の鍵に映る自分が見えることで、果てしなく続いていく」
 というものである。
 これが、
「無限に続くものだ」
 という考えであるとすれば、普通に考えていくと、
「どんどん小さくなっているのだから、結局は最後は0になる」
 というのが、発想として当たり前のものではないだろうか?
 しかし、実際に、ゼロになるのか?
 ということである。
 それは、無限に続いていくというものだから、0になってしまうと、そこが限界ということになり、そこで終わることになる。
「じゃあ、0にならない」
 ということは、どんどん小さくなっていくというものは、
「限りなくゼロに近い」
 という極小の数字ということではないだろうか?
 要するに、
「無限か有限か?」
 ということは、最後の果てとして、
「0になるか?」
 あるいは、
「限りなくゼロに近い」
 というものになるのか?
 ということの違いなのであろう。
 それを考えると、桜井少年は、
「1+1=2」
 というものなど、どうでもよくなって、
「それ以上の楽しいおもちゃを見つけた」
 かのごとく、算数というものに、のめりこんでいったといってもいいだろう。
 それで、他の科目も楽しくなり、小学生の低学年は、0点ばかりだった少年が、高学年になると、
「優等生」
 になるのだから、先生たちもさぞやびっくりしたことだろう。
 それが、小学生だったというだけに、先生も、中学受験を勧めたが、学費などの問題で、断念せざるを得なかった。
 そんな子供時代の桜井刑事を前にして、木下は、半分、ビビっているように見えるが、警官から見れば、
「十分に渡り合える相手だ」
 と感じていた。
 警官は、すぐに我に返ると、軽く咳払いをして、言葉を発した。
「ところで、あなたが、死体を見たというその場所はどこだったんですか?」
 と聞かれて、木下は、一瞬、不可思議な顔をしたが、
「どこって、この近くの小学校じゃないですか?」
 というではないか。
 今回の事件は、分からないことが多すぎることから、
「事件があった」
 ということだけを伝えて、細かいことは言わなかった。
 マスゴミに対しては、今の時代は、ある意味都合がよかった。
 というのも、
「警察が与えなくても、伝染病の話で、どうせニュースがいっぱいなんだ」
 ということである。
 実際に、新聞の紙面もほとんどが、
「伝染病の券で、今日何が起こったか?」
 というところから始まって、
「今の政府の対応、それのよる、世論の反応、さらには、政府内閣に対しての支持率などの問題」
 さらには、
「医療現場の問題と、医療崩壊の問題。さらには、ワクチンや特効薬の問題」
 と、山積のニュースで満載だった。
 ちょっとした殺人があったくらいであれば、
「三面記事に、数行」
 という程度で終わりである。
 しかも、このニュースは、
「あまりにも分からないことが多すぎる」
 ということで、ニュースになりそうにもなかった。
 ネットニュースなどもひどいもので、
「政府批判」
 であったり、諸外国との比較。
 ほとんどが、政府の政策への不手際のニュースであるが、
「その方が、目立つ」
 ということなのだろう。
 しかし、マスゴミは、たぶん、
「自分たちが正義で、報道によって、政府を糾弾する」
 などと思っているかも知れないが、その、
「低能ぶり」
 というのは、
「五十歩百歩」
 といってもいいだろう。
 どうせ、今の政府とすれば、何もできない。
 それをマスゴミが詰っているだけで、
「蚊帳の外」
 に追いやられた国民は、ニュースを見て、他人事のように見ているのだろう。
 ただ、実際に、医療崩壊が起こったりしているのは事実なのだろうが、世間で、いや、マスゴミが騒いでいるというのは、ほとんどの人にとっては、
「自分たちに、あまり関係のないことだ」
 と思っているのだ。
 何しろ、
「身内で、パンデミックに罹った人はいない」
 という人が結構多く、さすがに伝染病ということで、
「感染が始まれば、その一帯が皆、罹る」
 ということで、
「一部はひどいが、何もないところには何もない」
 ということなのかも知れない。
 そう思うと、
「どっちを信じればいいのだ?」
 ということを考えてしまうのだった。
「あなたは、被害者か、その加害者について、何かピンとくることはありますか?」
 と言われて、一瞬考えていた木下だったが、
作品名:異次元交換殺人 作家名:森本晃次