間違いだらけの犯罪
というやり方で、本当に必要な部分を保存して、必要な人にあげることになるのだろうが、献血には結構な時間が掛かり、前に一度行った時は、
「確か、1時間半くらいかかったのではなかったか?」
ということを思い出した。
なるほど、それくらいの時間をかけて行うのだから、それだけ貴重な血液だ」
ということになるというものである。
その二人が話しているのが聞こえてきた。
「私もね。まさかと思ったのよ」
と言い出したのは、見つけてもらった方の奥さんだった。
どうやら、その奥さんも、
「誰かに話したい」
と思っていたようで、その相手が見つかったことで、
「よかった」
と、ホッと胸をなでおろしたようにも見えたのだった。
それを、探し当てた奥さんに対して、
「ありがとう」
という気持ちと、
「自分の中で、抑えられない」
という気持ちがあったのか、様子を見ている限り、その顔が安心感に満ちているように感じて、面白かったのだった。
その時の奥さんは、
「自分の中でだけ抑えておくことがきつい」
と思ったのか、本気で、
「よかった」
という表情が、ホッとした顔だったのだ。
だから、最初は、まわりを意識しているつもりだったはずなのに、すぐに話始めたところで、すぐに我に返って
「これではまずい」
と感じたのか、今度は、
「ひそひそ話になったのだった」
それは、まわりから見ていると、
「完全に、どこか不自然に感じられた」
だが、この密室である、
「町医者の待合室」
くらいであれば、必要以上に、何も言わないという感じになってしまっているのであった。
それを思うと、二人は、顔を見合わせて、何かを言いたいと思いながらも、
「すぐには、声を発せられない」
という感じになっているのであった。
だが、見合わせた顔を外すと、前述のように、タイミングを合わせて、決して顔が合わないように、まわりをうまく気にしていたのだ。
「この二人は、今までにもこういう場を何度も経験しているんだろうな」
と思った。
会社では、会社のルールのようなものがあり、それは、昔であれば、
「家族になんか、分かるわけはない」
ということで、
「家に帰ってから、会社のことは、特に仕事のことになると、顔に出したりもできないだろう」
と言われていた。
しかし、最近では、奥さんも、表で働いているので、
「社会の常識」
という、モラル的なこと以外にも、例えば
「忖度する」
などということも分かってきているようだ。
だから、その分、人との交流の仕方もうまくなり。昔であれば、
「昼下がりの、井戸端会議」
などと言われるものは、まわりのことを意識することもなく。
「いつもの場所」
ということであれば、
「まったくまわりを気にしない」
ということを、まるで当たり前のことのような態度を取っていたので、
「声の大きさが、完全に、オバタリアン」
などという、死語で表現されたりしていたものだ。
今の時代になれば、そんなこともなくなり、それは、奥さんたちが、
「まわりに気を遣う」
という風になったことで、男女の間での差というのも、実質的になくなっていったといってもいいだろう。
その奥さんは、少し態度が変わったが、
「何かを話したい」
という態度に変わりはなかった。
変わったというのは、
「最初から、話したい」
と思っていたというよりも、どちらかというと、
「とにかく聞いてもらった方がありがたい」
ということであった。
「ありがたい」
というよりも、
「怖いと思っている感情を、分かち合いたい」
ということだったというのが分かったのは、青山が、
「聞き耳を立てていた」
ということもあったのだが、それ以上に、
「相手が聞いてほしい」
というオーラをまき散らしているのを、
「青山が察知した」
と言った方が正解ではないだろうか?
青山は、前から、
「聞き耳を立てる」
ということには長けていたような気がする。
聞き耳を立てるというと、聞き捨てならないという印象が強いが、それよりも、
「人に対して敏感になっている」
と言った方がいいかも知れない。
そして、その内容が漏れ聞こえてきた時、結構早い段階から、その話に引き込まれて、自分が聞かずにおれないということを悟っていたような気がした。
「そこに、墓地があるでしょう?」
というのが、その奥さんの第一声だったのだが、その瞬間から、青山は、その声から耳が離せなくなっていたのだった。
この街において、近くにある墓地というと、ほとんどない。そして、
「この近くにある墓地」
というだけで、すぐにどこか相手に分かるというのは、昨日通りかかった時に、まるで幽霊のようなものを見たと感じた、あの墓地しかないだろう。
他の墓地というのであれば、もっと具体的な場所を言わないと、まず分かるはずがない。例の墓地以外のところで、
「墓地」
というのは、本当に数か所しかなく、それは、
「私有地」
のようなところか、あとは。
「納骨堂」
のようなところしかなく、納骨堂をわざわざ、墓地と表現する人も。なかなかいないに決まっている。
それを考えると、
「この街における墓地」
のことが話題に昇れば、それは、間違いなく。
「昨日のあの墓地だ」
といっても過言ではないだろう。
そして、その奥さんがいうには、
「今朝なんだけどね。あそこで、死体が見つかったんですって」
というではないか。
昨日の墓地というと、この病院とは、自分の家からは反対方向である。
ということは、この病院は、
「いつもの通勤路とは逆の道だ」
ということであり、それだけ、
「この病院からは、少し距離がある」
ということを言っているのと同じことであった。
この二人の主婦が、どこに住んでいるのか分からないが、話題を出した主婦は、少なくともその墓地から近いところに住んでいることは間違いないだろう。ただ、
「なるほど、死体が見つかったということであれば、その話題を一人で抱え込んでおくのはきつい」
といってもいいに違いない。
ということは、
「昨日のあの光景は、幻ではなかった」
ということになるのだ。
ただ、あの光景を思い出してみると、穴を掘っていたように見えたので、
「じゃあ、あれは、一体何をしようとしていたのだろうか?」
ということになるのだ。
穴を掘っていたのだから、どこかから死体をもってきて、埋めようとしたというのであれば、分かるが、それもわざわざ墓場にもってきて、そこで捨てるというのはおかしいではないか?
そもそも、
「死体が見つかった」
ということは、
「犯人が、死体の発見をさせるために、昨日、死体を墓地に置いた」
ということであり、
「隠そうという意志が最初からなかった」
ということになるのだ。
当然、死体が見つかったということは、第一発見者がいて、墓地の管理をしている寺の住職か、坊主のような、
「お寺関係者」
なのか、それとも、
「墓参りに来た人になるのか」
ということであるが、当然、夜が明けてから、それほど時間が経っていない間に発見されたに違いない。