間違いだらけの犯罪
「自分で忘れるための結論」
ということであれば、
「強引にでも」
ということであれば、その結果としては、
「埋葬」
ということにしかならないだろう。
そっちの方が後になっても、自分を納得させることができるとすれば、
「埋葬」
ということでしかないと、思ったからであった。
だが、その日、
「そのまま帰ってしまってよかったのか?」
ということが頭をよぎったのは、一瞬のことであった。
しかし、実際にそのことを感じるのは、もっと後になってのことだった。なぜなら、次の日に起こったことを、青山が知るのは、少し経ってからのことだったからである。
死体発見される
次の日、数日前から体調が悪いと思っていたのだが、その日の未明から、案の定といってもいいのか、熱が出てきたのだった。
最初は、それほどの高い熱ではなかったので、そのわりには、頭痛と、気持ちの悪さが襲ってきたことで、
「夏風邪ではないか?」
と思ったのだ。
冬になると、すぐに高熱が出て、翌朝から病院に行くとして、何とか、その晩は、解熱剤などで、熱を下げて、何とか眠りに就こうとするのだった。
熱というのが、
「38度以上に上がれば、飲んでいい」
という病院で処方された薬を、前に高熱が出た時、もらっていたので、それを使うことにしていた。
一応、冷蔵庫に入れていたので、悪くなることはないだろう。
しかも、市販の薬であっても、大体、1,2年はもつものなので、しかも、冷蔵庫に保存しているのであれば、少々の期間はもつというものだ。
「今年になってから、熱が出て、病院に行った時に処方された薬が、まだ冷蔵庫の中にあったはずだ」
ということは分かっていたので、まだ、そこまでの熱があるわけではなかったが、
「あったらあったで安心だ」
と思えたのだ。
そう思っていれば、とりあえずは、市販の風邪薬を飲むことで、朝まではもつことだろう。
「うまくいけば、朝には治っているかも知れない」
そこまで考えることもできたのだが、もう一つの安心は、
「食欲が何とかある」
ということだった。
「食欲がなくなると、これほどきついものはない」
と思っていた。
口の中がカラカラになり、喉の渇きが、息苦しさとさらなる苦痛を身体全体に感じさせる。それが辛かったのだ。
家に帰ってからというのは、いつもは、録画をしおいたテレビ番組を見るか、あるいは、テレビの映像を何も考えずに、ボーっと見ているかのどちらかが多い。
録画しておいたテレビドラマを見るとしても、真剣に見ることはない。帰りにコンビニで買ってきた食材を夕飯にして、調理などするわけでもなく、せめて、
「レンジでチン」
する程度の食材を、テーブルに並べて、それを食べながらの、
「テレビに映像が映っている」
という程度である。
だから、食材の準備をしている時に、すでに、映像は再生されていて、声や音だけが聞こえているだけでも、映像は想像できるので、
「ちゃんと見えている」
と自分では思っているのであった。
だから、部屋に帰ってきてからの手順とすれば、
「まずは、買ってきたもので、冷蔵冷凍、それぞれを、冷蔵庫にしまうことから始まり、テレビをつけて、それから、浴槽にお湯を入れる」
というところまでは、基本的に、ルーティンであった。
それから、食事の準備を進めながら、取り込んだ郵便の確認ということであろうか。
そもそも、最近、郵便というのが来ることも、ほとんどなくなった。
以前も、あったとしても、ダイレクトメールであったり、ポスティングの広告であったりと、
「まったくもって、紙の無駄」
としか思えないものしか、なかったのだった。
食事の準備を進めながら、いつもは、
「ああ、疲れたな」
と、いつも、ほとんど変わらない疲れの度合いを、
「今日も頑張った」
と自分への慰めに変えながら、耳に入ってくるテレビの音声を、まるで、
「その日頑張った自分へのご褒美」
とでも感じているようで、
「だから、耳に入ってくるだけで、内容は見ていなくても、それでいいんだ」
と思うのだった。
最初に、
「なんでも先にしてしまわないと気が済まない」
と感じるのは、家にいる時に限ったことではない。
毎日のように、仕事場においても、会社に着いたら、
「まず、最初に確認できることはすべてしてしまわなければ、気が済まない」
と思っている。
そればなぜかというと、
「最初に確認しておかなければ、忘れてしまう」
と思っていたからである。
青山は、小学生の頃から、とにかく、
「すぐに忘れてしまう」
というくせがあったのだ。
特に小学生高学年の頃は、学校で出された宿題を、よく忘れていき、学校で先生に怒られたものだ。
「なんでお前は、いつも宿題をしてこないんだ?」
と言われるが、なぜか、
「その宿題というものが出ていた」
ということを失念しているのだ。
「出ていたことを分かっていれば、やっていますよ」
と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そんなことをいえば、
「こいつ、おかしいんじゃないか?」
と思われると思ったからだ。
それは、学校というところで、相手が先生だということを思ったからだ。
「宿題が出ていたことを忘れる」
ということを、それほど大きなことではないと思っていた青山は、それを先生にいうことで、大げさにされて、親にまで通告されたりすれば、そんな心配は、こちらにとっては、まったく願い下げだと言いたいことだったのだ。
その日は、テレビを見ていても、最初は、いつものような感覚で、音声が流れてきたのだが、そのうちに、普段は感じない、雑音が混ざっているように思えた。
それでも、本当にテレビをつけて、1分くらいは、その雑音すら気にならなかった。
そして、
「今日は何か雑音が聞こえるな?」
と思った時、
「雑音の音がひどいんだ」
と思っていたのだが、そのうちに、耳鳴りのような、甲高い、
「キーン」
というような音が聞こえてくると、テレビの音量が、急にざがったかのように感じ、
「それで雑音だけが目立ったのかな?」
と感じたが、そのうちに、その雑音も、
「元々音は低かったんだ」
と思うと、今度はその雑音を感じなくなってきた。
いつもの体調が悪い時であれば、
「雑音が、下がって聞こえるようなことはないんだけどな」
と思った。
雑音であっても、普通の音であっても、基本的には、変わりはなく、変わりがあると感じるのは、自分の体調が悪いからだ」
と感じるからに違いなかったのだ。
それを思うと、
「今日は、普段聞こえない音が聞こえてきそうな気がして、おかしいな」
と思った。
すると思い出したのが、先ほどの墓地での光景だった。
あの光景で、覚えているのは、
「ザクッ、ッサクッ:
という穴を掘る時に土を掘り返している音だったのだが、その音も、今思い出せば、
「キーン」
という雑音交じりだったような気がする。
というよりも、
「雑音交じりでないと、思い出せるわけのない音の気がする」
ということであった。