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間違いだらけの犯罪

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 つまりは、
「簡単に会社を辞めるというのは、我慢が足りない」
 ということが前提で、
「どこも、上司というのは、似たり寄ったりなので、一つで我慢できずに辞めてしまうということになるのであれば、どこに行っても通用しないという言葉で片付けられるというのも当たり前のことであろう」
 そんな時代であれば、実際に社会が見る目は、
「辞めた人は、忍耐力がないから、ダメなのだ」
 ということになる。
 本当にそういうことなのだろうか?
 昔から、
「パワハラ」
 であったり、
「セクハラ」
 などという、
「それらまがい」
 のことはたくさんあっただろう。
 そもそも、
「我慢しなければいけない」
 という発想は、今でいう。
「パワハラ」
 というものが存在するから、それに対して、
「我慢をするか」
 それとも、
「許せないことに対して、反発するか?」
 ということである。
 そのどちらであっても、大きなリスクとなる。
「我慢をする」
 ということは、自分の中に、ストレスをためてしまい、精神的、肉体的に、自分の身体を蝕んでしまい、
「下手をすれば、精神を病んでしまう」
 ということになるだろう。
 実際に、その頃から、精神疾患の患者が増えてきたのか、
「自律神経失調症」
 であったり、
「双極性障害」
 などと言われる、精神疾患が叫ばれるようになってきたではないか。
 我慢をし続けた結果、神経を病んでしまい、ストレスが、身体に影響を与えるようになってくると、神経内科の先生から、
「ドクターストップ」
 を掛けられることになり、働けなくなった分。障害認定をもらって、病院に通院しながらの、
「年金暮らし」
 という人も多いことだろう。
 それこそ、
「社会の理不尽さ」
 というものを物語っているといってもいいだろう。
「上司というのは選べない」
 これは、生まれてくる時から、その人の運命であり、
「生まれてくる時、親を選べない」
 というのと同じであった。
 青山が社会人となった頃は、すでに、時代は変わっていて、昔から会社で言われていたような、
「終身雇用」
 であったり、
「年功序列」
 などという言葉は、すでに、
「昔のこと」
 ということで、却って今との比較対象で言われるようになったのかも知れない。
 青山は、
「時々自分のことが嫌だ」
 と思うことがある。
 それは、結構あるが、その時考えていたこととして、
「俺は、社会人という言葉が嫌いなのに、表現する時、文章に書いたり、会話にて話をする時には、どうしても、社会人といってしまう。他にいいようがないからなのだろうが、そんな自分なので、言わなければいいのに、と思いながらも表現してしまうことからだった」
 なぜ、
「社会人」
 という言葉が嫌いなのかというと、嫌いな上司が部下への説教で、口にするからであった。
 その時に一緒にいう言葉が、
「一般常識」
 などという言葉と一緒に使うからである。
 そもそも、
「一般常識」
 がなんだというのだ?
「一般的な常識って、何なん?」
 ということである。
 それこそ、
「一般的」
 という言葉を使って、人に押し付けているだけではないのだろうか?
 そもそも、その人が言っている一般的な常識を、
「その人自体が分かっている」
 ということなのだろうか?
「一般的」
 ということを口にするのであれば、
「どこからどこまでが、一般的だ」
 ということを、すべて把握できている人間が使うのであれば、まだ許せる。
 しかし、本当に、
「一般的なことと、それ以外との結界を理解して、人に説明できる人などいるのだろうか?」
 分かっていると思っている人は、
「俺が説明してやるから、それが分からないのであれば、一般的ではない」
 というレッテルを相手に勝手に貼っているだけではないだろうか。
 考え方や、モノのとらえ方というのは、人それぞれで、
「人間の数だけ、そのパターンはある」
 ということであり、それを、
「十把一絡げ」
 にしようなどというのが、そもそもの間違いであり、、そんなことを考えるから、
「押し付け」
 と言われるのであり、今では
「パワハラ」
 ということになり、社会問題となるのだ。
 それだったら、まだ、新興宗教で、信者になった人を洗脳している方が、まだマシなのかも知れない。
 騙されているのかも知れないが、本人は、少なくとも、
「それが正しい」
 と思っているのだから、そこから先は問題となるかも知れないが、教祖の話を聞いて、その人が信じている間は、
「パワハラ」
 というものよりも、まだよほどましなのかも知れない。
 上司がいうところの、
「一般常識」
 というのは、何なのだろう?
 普通に考えれば、
「モラルを持った行動」
 ということになるのだろうが、確かに今の若い連中の中には、
「モラルなど、まったく無関係」
 ということで生きている人もたくさんいる。
 しかし、逆に、
「モラルというものを、自分でちゃんと理解して生活をしている人もたくさんいることだろう」
 そんな人たちは、ちゃんとまわりの人に、
「敬意を表して」
 いるのであり、昔の人のように、
「モラルというものが存在するので、それに違反しないようにしないといけない」
 と考えながら生きている人から比べれば、今の人の方がよほどわきまえているといっても過言ではない。
 なぜなら、
「モラルという一定の考え方はあるが、それを曖昧なものと位置づけ、一般常識などという言葉を、死語にするくらい皆、独自のモラルというものを持っているのだろう」
 といえる。
 だからこそ、モラル違反をする人間が目立つのだ。
 昔のように、タバコをどこでも吸えたという時代ではなく、今は、
「自分の家以外では、基本的には吸えない」
 という状態になっていることで、余計に、
「喫煙者のマナーの悪さ」
 というものが、表に出ている。
 といってもいいだろう。
「受動喫煙禁止法」
 によって、禁煙車のほとんどは、
「タバコは、害悪だ」
 と思っていることだろう。
 それは、
「喫煙者が、皆ルールを守れば、悪いという思いはない」
 ということであろう。
 だが、実際に、ほとんどいなくなった喫煙者のマナーの悪さが目立つようになった。
 つまり、
「喫煙者は、マナーを守らない」
 という目で見られるのだ。
 中には、ちゃんとルールを守って吸っている人もたくさんいる。しかし、ほとんどの喫煙者は、
「どうして俺たちがこんな、迫害されないといけないのか?」
 としか思わないだろうから、結果として、開き直ってしまい、
「マナーなど守る必要はない」
 と思うことだろう。
 しかし、そんなやつらが一番誰から疎ましく思われるかというと、
「マナーを守って、違反することもなく吸っている。本当に肩身の狭いと言われる人たちだ」
 ということだ。
 彼らがなぜ肩身が狭いかというと、
「ルールを守らない連中のせいで、俺たちまで、白い目で見られるというのは、それだけで迷惑だ」
 ということになるのだ。
「開き直った連中は、そのことを分かっていないんだ」
作品名:間違いだらけの犯罪 作家名:森本晃次