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間違いだらけの犯罪

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 というのが、大げさではないほどに、楽しんで仕事をしていた。
 青山が、今までに生きてきた中で、
「いつも何かがあっても、最後には、自分が一生懸命になれるような何かが見つかったことで、それまでの苦労も吹っ飛ぶ」
 といえるくらいのこともあったりしたものだった。
 中学時代であれば、部活でやっていたバスケットで、キャプテンを務めるくらいであったが、高校生になると、ケガをしてしまって、
「選手としては、なかなか難しい」
 ということを言われたので、その後は引退して、最初は、
「マネージャーとしてでも、バスケットに携わっていこうか?」
 とも思ったが、
「好きなものができなくなった時点で、しがみついていても、自分が成長できない」
 とも感じ、それ以上に、
「自分のストレスの発散ができないのではないか?」
 と感じたこともあり、バスケットをスパッと引退した。
 だから、それ以降は、好きではあるが、あまりその話題を出しているところに近づく気もしないし、どうかすれば、
「バスケットは嫌いだ」
 という風に言ってきた。
 だから、それ以降、つまり高校時代以降で、他にもいろいろなことを好きになった。
 そして、その時々で、自分なりに楽しんだり、活躍したりしてきたつもりだったが、バスケットの時と同じように、続けられなくなるという時が訪れるのだった。
 それを、
「これって、私の運命なのかしら?」
 と思うようになっていたが、ただ、これも、
「物は考えよう」
 ということで、
「好きになったものが、いつも数年で挫折を迎える」
 というのは、自分にとっては、
「悪いこと」
 であり、逆に、
「挫折をしても、すぐに新しいものが目の前に現れるのは、自分の人徳なのかも知れないな」
 と感じるが、そうではなく、
「自分の前向きな性格が、目の前にあるものに気づかせるのではないか?」
 と考えた。
 どちらも、似たようなものだと思うかも知れないが、冷静に考えると、まったく違っている。
「意識をしていないことを、他力本願のように引き寄せる」
 ということと、
「前向きにいるということを意識しているから、引き寄せられるものがあるということで、あくまでも、自分の性格によって引き寄せる」
 ということとでは、
「意識の持ちよう」
 ということであったり、
「性格的なもの」
 なのか、
「本能に近いものなのか」
 ということになるのだろう。
 いつものようにバスを降りて、家に向かう途中には、田舎道であることもあって、恐怖を感じさせるところがいくつかあったのだが、何が怖いといって、その途中に、小規模であるが、墓地があったのだ。
「逆に小規模だからこそ、恐怖を感じさせるのかも知れない」
 青山は、いつも、そう思って歩いていくのであった。
 家に向かうまでに、その墓地があることから、今でこそ、慣れてはきたが、中学生、高校生の頃は、懐中電灯を照らしていたものだった。
 途中に街灯がないわけではない。だが、
「墓地がある」
 と思うだけで、街灯がある方が却って怖い気がするのは、気のせいであろうか?
 この帰り道を歩いていると、どうしても、思い浮かぶ光景がいくつかあるのだが、その光景は、子供の頃に読んだ本であったり、マンガだったりするものだった。
 一番最初に、恐怖を感じたのは、なぜか、
「ドラキュラの話」
 であった、
 あれは、外国の話であるし、墓場があるといっても外人墓地なので、横浜か、神戸にでも行けば、日常的に見れるのだろうが、田舎町などには、皆無であっただろう。
 ただ、もし想像の中で、一緒の発想が許されるのだとすれば、それは、
「月明かり」
 ではないだろうか?
 月明かりからの申し訳程度の明かりのはずなのに、その光の強さは、その光をどれだけ強く感じさせるかということが、まるでテーマであるかのごとく、想像を掻き立てられるのであった。
 墓地の近くに来ると、なぜか、墓地を意識する時というのは、月が目の前に見えている時で、決して、背後から照らされるという、そんな感じではなかったのだ。
 それを想像すると、
「月明かりというのは、その向こうに見える光景から、影を意識するわけではなく、シルエットに見えることで、幻想的な感じを受けさせるのだろう」
 逆に、背後からの月光であれば、今度は、墓石から伸びる影に意識が言ってしまい、その本体というよりも、影の長さに気を取られることで、今度は、
「どっちが明るいんだろう?」
 と、月が目の前にある時か、背後からの時とで、意識が変わってくる。
 しかも、それがいつも満月だとは限らないことが多く。背後からの意識とすれば、却って、三日月のような時の方が、強く感じられるのであった。
「ひょっとすると、満月は、前からしか見えないのではないか?」
 と思ったが、ただ、考えてみると、満月を意識した時、
「いつも同じ方向だ」
 とは思えなかった。
 それは、見える高さにしてもそうだった。
「地平線に近い時」
 というのもあるし、逆に、
「空の真上にあって、首が、後ろにつくくらいに見上げなければいけない」
 と思うくらいのことだってあっただろう。
 それを考えると、
「俺は、満月と三日月のどっちが好きなんだろう?」
 と思えてきた。
 正直にいえば、三日月の方が好きである。
 最初に、感じたのは、子供の頃にやったゲームで、三日月のようなブーメランのような武器を使っての、ファイトがあったのを見た時だった。
 まるで、三日月のように光り輝いて、黄色く飛ぶその武器に、感動したのだった。
 その次は、これもゲームであるが、
「戦国シミュレーション」
 のようなもので、東北の雄である、
「伊達政宗の兜の前立て」
 というものが、
「独眼竜」
 と言われる眼帯とセットで、
「格好いい」
 と感じたからだった。
「ほぼ、一か月に一度の周期が、月の周期で、それこそ、月齢というものであろう」
 それを、
「太陰暦」
 というようで、それはそれで、生活に密着した暦だったといってもいいだろう、
 何よりも、月の影響は地球の環境であったり、人間の身体に対して、大いに影響のあるものであろう。
「地球の環境」
 つまりは、自然現象として、海における、
「潮の満ち引き」
 というのは、月の引力に関係しているということだ。
 さらに、身体という意味では、女性特有ではあるが、
「月経」
 というものの周期が、女性の身体のメカニズムを形成していて、
「子供を産む」
 ということに大いに関係していることで、
「排卵日」
 などというのも、同じように、関係の深いことなのであろう。
 ただ、どうしても、月というと、普段の生活をしていない時間帯。つまり、夜の世界の主人公である。どうしても、昼の世界の、太陽に敵うわけもなく、太陽というものが、季節に与える影響であったり、一日の人間のリズムに影響することで、
「太陽暦」
 というものが採用されたのも分かるというものである、
 昔から、月というものには、
「神秘的なもの」
 という印象が強く、
「日本最古の物語」
 と言われる、
「竹取物語」
 というのも、設定としては、
「月の使者」
作品名:間違いだらけの犯罪 作家名:森本晃次