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間違いだらけの犯罪

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 という観点が働いているといってもいいだろう、
 警察官というものは、さらに厳しいものである。
 特に、
「捜査本部」
 というものが開かれたら、そこには、現場の刑事を中心に、管理官であったり、本部長がいたりする、
 そして、捜査が進んでいって、証拠や証言などから、本部長がいろいろ他の幹部に相談しながら、容疑者を絞っていく。その間に、
「捜査方針」
 というものが、大体決定し、その方針に沿って、捜査が行われることになるというものだ。
 いったん、その捜査方針が決まってしまうと、それに逆らうことは、管理官であっても、許されなかったりする、
 もし、捜査方針に管理官が従わなければ、その管理官は、
「捜査本部から排除される」
 ということになるだろう、
 もっとも、
「序列よりも、捜査方針」
 というのは、理屈から言えば、当たり前のことであり、
「それをいえるのは、部下であっても、できることであった」
 それだけ、警察の規律は厳しいものだといえるだろう。
 また、警察というものが、世間と比べて、
「古臭い」
 だとか、
「まるで、チンピラの集団じゃないか」
 と言われているのは、やはり、
「管轄」
 というものがあり、それが、
「縄張り意識」
 ということで、刑事ドラマなどでよく見る。
「管轄違いの警察に、仁義を通す」
 などという人のいるくらいで、
「これが警察なのか?」
 と思わせたりするだろう、
 だから、刑事ドラマで、
「県警や警視庁を、本店と呼び、各所轄を、支店と呼んでいる」
 ということであった、
 それをよくテレビで放映し始めたのは、ちょうど、今から30年くらい前の、
「トレンディドラマ」
 というものが流行っていた時代であり。その時代では、
「コミカルであるが、警察の内情をしっかりと描き、現場の刑事と、キャリアとして、のし上がっていこうとする人の友情があったりした」
 というものだった。
 キャリアとしてのし上がっていこうという人は、
「自分が警察でやりたいことをしたければ、えらくなるしかない」
 と言われたということで、
「自分が指揮をとれるくらいまで上り詰めればいいのだ」
 と信じていたのだ。
 しかし、実際には、
「上にいけばいくほど、その闇は深く、さらに、政治家や財界などと結びつくことで、警察といえども、何もできなくなってしまう」
 ということになり、
「雁字搦め」
 ということになってしまう。
 というのが、警察組織。
「いや、公務員というもの」
「いやいや、社会の大きな構造だ」
 といってもいいのではないだろうか。
 そういうドラマを見て育った人は、正直、警察に協力的ではないだろう。
「こっちが、協力しようとしても、そうせあいつらは、上から目線で、ちょっとでも、怪しいと思えば、高圧的な態度で、恫喝してくる」
 というものであった。
 それは、すでに、
「公然の秘密」
 であって、そのことを、警察の、
「お偉いさん」
 は、まったく悪いという感覚はないのだろう。
 これこそ、
「今の警察幹部の人たちは、何がしたくて、警察に入ったというのだろう?」
 と考えてしまう。
 普通の子供が警察官にあこがれるのは、
「まるで、水戸黄門や、遠山の金さんのような、勧善懲悪の気持ちをもって、自分も悪に立ち向かう」
 という気持ちからではないだろうか?
 だが、実際に、そんな、
「悪に立ち向かう」
 という気持ちがどこでどうなってしまったのか。特に、
「キャリア組」
 と呼ばれる人たちは、警察に入る前に、競争に打ち勝ってきて、
「国家公務員試験」
 に合格して、官僚候補として入ってきたのだ。
 その時に、
「今の立場を最初から分かっていたのか?」
 それとも、
「警察に入ってきてから、警察というのが、どういうところなのかということを、そのいい頭で考えて、どうふるまえばいいのか?」
 ということまで、計算してふるまっているということではないだろうか?
 そこまでくれば、
「勧善懲悪」
 などという言葉は、忘れてしまったといってもいい、
 警察というところは、部下の刑事たち、つまりは、
「ノンキャリアの連中には分からない厳しさがなければいけない」
 ということが、
「警察組織のモットーである」
 ということが考えられるということで、
「上下の温度差の違いというのは、実際の現場での感覚をも凌駕する感覚」
 ということで、
「交わることのない平行線」
 というものを描いているといえるのではないだろうか?
 そんな警察組織は、管轄においても、結構酷かったりする、
「だから、テレビドラマになりやすい」
 ということであろう。
 さらに、政府や、ゼネコンなどどの癒着などというテーマが、昔の、
「社会派ミステリー」
 と呼ばれた時代を彷彿させる。
 当時の、
「高度成長時代」
 というものの、
「裏側をえぐる」
 というものであるが、一番大きな問題として、
「貧富の差」
 というものが、考えられる。
 というのは、当時の時代背景として、ドラマ化されたもので、印象に残っているものとしては、
「小さな町工場での、殺人事件」
 というものであったり、
「ゼネコンを巻き込む形の、ダム建設における、立ち退き問題などにおいて、ダムができた後のダム湖に沈んだ村が影響しての殺人事件」
 などというものが、今の時代では、想像がつかない動機だったり、切羽詰まった感覚であったりするのだろう。
 それを考えれば、
「警察や、公務員、官僚や、ゼネコン」
 などというのが、これがさらに政治家を巻き込んだりすると、世の中の裏の部分が見え隠れして、今の時代の
「刑事ドラマ」
 になってきているのではないだろうか?
 ただ、これは、
「テレビ番組として、盛りすぎている」
 ということは、最初から分かっていることなので、実際に、そこまで考えて、
「今目の前に来ている刑事と対応しよう」
 とまでは思っていない。
 ただ、警察というのを、甘く見るのはまずいということを、肝に銘じるくらいはしておいてもいいだろう。
 というくらいのことは考えていた。
「刑事というものを泣けて掛かってはいけない」
 というだけのことであった。
 ただ、そのために、材料となる部分は、テレビでかなり盛られたということで、その分は、差し引いて考えなければいけないということであろう。
 鑑識が、いろいろと探っているのを、2人のうちに1人の刑事が、あれこれと指示している。
 これも、
「刑事としての職務」
 ということで、ここの、命令系統は、正当なものということであろう。
 別に、
「上下関係によるパワハラ」
 などということはない、
 一見、厳しそうに見えるが、この場を管轄するのは、刑事であり、鑑識は、
「普段自分たちが、マニュアルに沿ってやっている捜査以外で、必要な部分は、
「刑事が指示しなければいけない」
 ということであろう。
 それこそ、鑑識が勝手にやれば、刑事の立場というものはないであろうし、だから、鑑識も、
「刑事の指示を待っている」
 といってもいいだろう。
 勝手にできないというのは、当たり前のことで、せめて、刑事に対して、
「捜査の進言くらい」
作品名:間違いだらけの犯罪 作家名:森本晃次