召された記憶
時代が進んで、バブル崩壊の余韻が収まってくると、社会の様子は、かなり変革していた。
特に、雇用体制などが大きく違っていて。そもそもの、人員削減の考え方から、
「非正規雇用」
というものが
「主流を占める時代」
となってきたのだ。
この時代というと、
「今までは、ほとんど、オフィスワークというと、ほとんどが正社員で、昭和の頃のOLというと、お茶くみや、コピー要員と言われ、せっかく一般企業に入ったのに、活躍の場はないということで、問題になっていた時代があった」
しかし、バブル崩壊後というのは、人件費の削減からか、
「パート」
にそのような仕事をさせる。
というところであったり、その頃から出てきた、
「派遣社員」
というものを雇って、仕事をさせることが多くなった。
そんな時代から、さらに、また不況に突入した時は、今度は、その派遣社員を簡単に、会社間で、契約をしないということでの、契約打ち切りということがクローズアップされ、
「派遣切り」
が、行われたことで、ホームレスのような、契約を切られた人たちに対して、炊き出しを行ったりする、
「ボランティア」
の人たちが、
「派遣村」
というものを形成している時代があったのだ。
そして今の時代に至るわけだが、その間に、完全に、
「終身雇用」
「年功序列」
という考えはなくなっている。
といってもいいだろう。
もちろん、年功序列というのは、ずっと働いている人には当てはまることであろうが、逆に今の時代は、
「一つの会社に勤め続ける」
ということも、実際には結構難しいといってもいいだろう。
それを考えると、
「他の会社に移るというのがいいことなのか悪いことなのか?」
確かに、昔のように、
「会社を辞めるということに対しての、屈辱感のようなものはなくなってきただろうが、新しい会社を探すということは、よく言われていたことがあったではないか?」
ということであった。
それは、
「会社を移れば移るほど、条件が悪くなってくる」
ということであった。
「確かに、途中入社というと、前の会社の条件は保障する」
と言われるかも知れないが、その後の昇給率などは、前の会社の方がよかったりすることも多いだろう。
給料面だけではなく、前の会社で培ってきたノウハウが使えないというのは、正直マイナス要因だといってもいいだろう。
そんなことを考えていると、
「会社に入って、今は第一線で活躍できているからいいが、この後、自分が部下への指導役になったり、監視役ということになった場合、今までのように、充実した毎日」
というものを送ることができるだろうか?
ということを考えるのだった。
本当は、そんなに仕事が好きなわけではない。ただ、自分が充実した仕事ができる環境がそこにあったことがありがたかった。
しかし、それがずっと将来において保証されるわけではない。
「このまま第一線で、出世もせずに、働いていたい」
といって、会社が認めてくれるとは思えない。
せっかく、育ててきて、今も会社にいるのだから、
「指導者となって、ゆくゆくは、会社の経営スタッフになってもらいたい」
と思うようになるのも、無理もないことであろう。
それを考えると、
「今の会社にい続けるのが本当にいいのだろうか?」
と考えるのだった。
もっとも、これこそ、
「捕らぬ狸の皮算用」
とでもいうか、一種の、
「考えすぎ」
といってもいいだろう。
その日は、映画を見て、友達と別れての帰り道。楽しかったはずの映画を見ていたはずなのに、なぜか、こんなネガティブな気持ちになってしまったのは、
「何かの虫の知らせだ」
ということであろうか?
「嫌な予感」
というのがあったのも無理もないことで、
「まあ、しょうがない」
と思っていたのだ。
目撃者
映画を観終わって、何か、
「嫌な予感」
というものを感じたことが、今までにも何度かあった。
しかも、その時に、実際に何かがあったというのは、珍しいことでもなく、
「他愛もないことから、顔が真っ青になってしまうようなこともなくはなかった」
といえるだろう、
しかし、そのほとんどが、
「事なきを得た」
ということで、大事には至らなかったということであったが、今から考えれば、
「何かがあった時」
というのも、元々が、
「他愛もないことだった」
という時であり、だから、映画を見に行こうと言われた時、かつてそんなことがあったというのを、ほとんど忘れてしまっていたというのも無理もないことだったのだ。
実際に、その日も、映画に誘われた時、
「ああ、久しぶりだ」
という意識が強く、手放しで喜んだものだ。
しかし、心のどこかで、
「何かムズムズするものがあった」
という意識はあったのだが、それが、どこからくるものなのか、すぐには分からなかった。
実際に、映画を観終わって、帰途に就いた時に気づいたのであって、それも、駅のロータリーからバスに乗り込んだタイミングくらいだったであろうか。
そのバスの中は、普段より目に見えて、客が少なかったことで。そんな風に感じられたからであった。
もっとも、いつもこの時間のバスに乗ることはめったになく。普段であれば、少し残業して、これより1時間くらい後のバスが多かったのだ。
しかし、その日は休日であり、普段、あまり出かけることのない向坂にとっては、いつもよりも早い時間にも関わらず、自分が感じているよりも、さらに2時間も遅いくらいの感覚だった。
「意識としては、相当深夜に近いというものではないだろうか?」
と思えたのだった。
それだけ、休日というと、ほとんど夕方以降は、翌日の勤務に、自分の体制が移行しているといってもいいだろう。
そういえば、日曜日の夕方のアニメで、
「そのアニメを見ると、なんとなく憂鬱な気分になる」
と言われるものがあり、
「症候群」
という言葉がつけられ、一時期、ブームとなったが、今では、それが当用語のように言われるようになり、
「休日が終わる憂鬱な気分」
ということで、ネットの検索サイトにも、普通に乗っている言葉であった。
それが、流行語から、当用語のっように言われるようになったのだから、
「言葉の魔力」
というのはすごいものだ。
とも言われるだろうが、それが、身体にもしみ込んでいて、まるで、
「条件反射」
のようだともいえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、バスはいよいよ、郊外に差し掛かり、ほとんどの客もおりてしまった。
そもそも、住宅街に住んでいる人は、自家用車の人が多いからなのか、
「住民が多いわりには、さほど、客が乗ってこない」
と言われるあたりまでくると、本当に乗客は、数人くらいになってしまったのだった。
バスの中では、10分くらい前であれば、半分以上の座席が埋まっていたのだろうが、それから、あっという間に、バスの中の乗客はまばらとなり、向坂が下りると、バスには、その日、5人しかいないという状態になった。