召された記憶
それを考えると、社会人になってから、仕事が充実している今が、一番いいと考えると、毎日が、あっという間に過ぎるのが分かり、そこからも、
「充実した毎日だ」
ということが分かるというものだ。
それを思うと、
「自分にとって社会人というのは、今はであるが、充実できる毎日だといえるだろう」
ただ、一つ気にならないわけでもない。
というのは、
「今の第一線というものが、楽しいだけで、これが、第一線から遠ざかり、自分が、管理役になった場合、どんな心境になるか?」
ということであった。
向坂は、学生時代から、なんでも自分から行動する方で、まわりがじれったかったりすれば、我慢できずに、
「それは俺がやる」
といって、やってしまう方だったのだ。
ものぐさな連中からみれば、これほどありがたいことはなく、
「適当にやっていれば、向坂さんが何とかしてくれる」
と思っているに違いない。
向坂は、そのことを分かっているのだが、それでも、
「いいよ、俺がやる」
といって、自分から動いた。
お世辞であっても、まわりからは感謝されるし、自分も、イライラしなくて済む。結果としては、一番いいことではないか。
ただ、それは、あくまでも、自分中心に考えた時のことであり、学生時代は、それでよかったかも知れないが、会社の中の、
「組織」
ということになると、
「それではいけない」
ということになるのだった。
というのも、
「部下を育てるのは、上司の役目」
と昔から言われている。
ただ、今の時代は昔とはだいぶ、様子が変わっている。
というのも、
「昔の、いわゆる昭和時代の会社の考え方」
というと、
「就職すれば、定年まで勤めあげる」
と言われる、
「終身雇用」
がまず基本であり、さらには、
「勤続年数によって、出世していく」
という、
「年功序列」
というものである。
この中での、年功序列というのは、そもそも、終身雇用という考えが下になったいるもので、
「終身雇用として、最後まで勤め上げるために、会社の方でもある程度の、青写真を、社員に描いていて、その実績により、出世の道を人事であったり、総務の方で、辞令という形で、出世を示すのであった」
だから、最初の、5年間くらい、第一線で仕事を身体で覚え、それを部下にやらせるという今度は、現場監督のような仕事を、主任という形で行い。
そこから、課をまとめる課長、さらには、部長へと昇進していくことになる。
昭和の頃の、奥さん連中の、いわゆる、
「井戸端会議」
の中では、
「あそこの旦那さん、今度、課長に昇進ですって」
などというウワサが、必ず出ていたものだった。
だから、一度、会社に入社すれば、
「途中退社」
ということになると、
「本人が悪い」
ということが一番最初に言われることであり。
ただ、会社によっては、その仕事の特異性であったり、営業の難しさなどから、
「最初の一年で、新入社員のほとんどが辞めていく」
ということになる業界もあるという。
だから、そんな会社は、
「最初から辞める人がたくさんいる」
ということを見越して、たくさん雇っている場合がある。
だから、
「あの会社は、毎年たくさんの新入社員を募集し、雇っている」
と言われたとしても、実際には、就活者と、雇う方との間で、かなりの温度差があるといってもよかっただろう。
ただ、今の時代は、まったく変わってしまった。
「バブル崩壊」
というのがその拍車をかけた。
バブル時代は、
「とにかく事業を拡大すればするだけ儲かる」
という、実に単純に見える時代だったのだ。
その時代であれば、
「会社中心の社員」
ということでよかった。
人手不足にはなりがちだったが、所属している社員も、やる気にみなぎっていたので、当時は、
「企業戦士」
と言われたりもした。
それもそのはず、
「やればやっただけ、自分の収入になり、そのお金を使う暇がないくらいなのだから、それだけ充実しているというものである」
だが、バブルがはじけてからというのは、まったく世界が代わった。
進めた事業がうまくいかなくなり、やればやるほど赤字を増やすということになる。何といっても、それまで、
「銀行は潰れない」
と言われていた神話が、あっさりと破綻してしまったのだ。
そこで、企業は生き残りをかけての施策としては、
「大きな会社との、合併によって、企業を強くする」
ということしかなくなったりする。
「このままいけば破綻するしかない」
ということであれば、吸収合併されたとしても、まだマシだといえるのではないだろうか?
特に大企業が生き残るには、それしかなかった。
そして、事業をなるべく縮小することになるわけなので、あとは、
「経費節減」
ということしかなくなってしまったのだ。
一番の経費節減というのは、人件費の削減である。いわゆる、
「リストラ」
と言われるものだが、それも、吸収合併されることで、助かる社員もいれば、それでも、削減される人もいる。
「家では、俺は仕事にいっていることになっている」
ということで、仕事がないのだから、
「公園のベンチで昼間をずっと過ごしている」
という悲惨な状態もあったのだ。
だから、当時は、
「いくらバブルがはじけた状態だ」
とはいえ、
「会社を首になるのは恥ずかしいこと」
ということで、それがバレるのが怖くて、いつものように家を出てから、いつものように帰ってくるまで、公園のベンチにいる人が増えたというのが、社会問題となっていた。
しかし、給料日になれば、入るはずのない給料がないのだから、分かりそうなものだ。結局、
「バレるのは、時間の問題だ」
というのだから、どうしようもないだろう。
それでも、結構そういう人が多かったというのは、それだけ、当時は今と違ったということであろう。
さらに、これが再就職ということになると、さらに難しい。
どこの会社も、リストラをしているのだから、職安に行っても、
「今は仕事はないですね」
ということなのか、紹介されていっても、その会社は、いわゆる、今でいうところの、
「ブラック企業」
というところで、社員待遇など、
「あってないようなもの」
というようなところも少なくはなかったであろう。
それを思うと、
「会社を辞めてしまうと、あとは地獄」
ということであった。
当時には、
「早期退職勧告」
なるものがあったという。
というのは、
「こんな時代だから、いつ首を言い渡すことになるか分からない。自主退職ということであれば、今なら退職金に色を付けてやる」
という甘い言葉で、やめていく人もいただろう。
しかし、失業保険というものが、自主退職と、会社都合による退職によって、支給内容に違いがあることで、
「果たして、早期退職が得なのか?」
ということもあるので。それを思うと、
「会社の口車に乗るのがいいことなのか?」
といえるであろう。
とにかく、会社の方も、
「生き残り」
を掛けて、
「どんな手を打ってでも、人員整理をしよう」
と考えるのであろう。