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召された記憶

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 何といっても、昔の映画や、テレビのゴールデンタイムなどといえば、
「勧善懲悪の時代劇」
 と、相場は決まっていた。
「水戸黄門」
 や、
「遠山の金さん」
 さらには、一時期流行した、
「勧善懲悪といえば」
 といっても過言ではない、
「必殺シリーズ」
 というものあったではないか。
「何といっても、色と金で、世間を渡り歩いている、悪代官と、越後屋などの商人という、相場が決まった連中が、ほぼ決まったような内容のあくどいことをやっていて、
「おぬしもワルよのう。越後屋」
 と、悪代官がいうと、
「お代官様ほどではありません」
 といって、料亭の一室のようなところで、越後屋が持ってきた、
「菓子箱に入った、山吹色に光るもの」
 を見ながら、二人して、餡ともこれ以上ないというくらいのえげつないと言われる汚い笑顔を見せているのだった。
 それだけ、
「悪党面」
 というのが似合う俳優が、その技量として、演技を行うのだから、それなりの迫力があるというものだ。
 いくら、その人が、
「一人の俳優だ」
 ということが分かっているとはいえ、
「ここまで、真に迫った迫力を感じさせる」
 ということも、
「映画人気」
 あるいは、
「時代劇ドラマ人気」
 というものに一役買っているといってもいいだろう。
 それを考えると、映画人気があったというのも、納得がいくというもので、
「唯一の娯楽が、映画だった」
 という時代背景とうまくマッチしたのかも知れない。
 時代として、
「映画しかなかった」
 と言えばいいのか、
「映画だけでも、あるだけよかった」
 と言えばいいのか、時代としては、
「それまでの占領時代からの復興の発展途上の時代で、いよいよ高度成長時代に突入し、それを世界に知らしめる」
 という意味での
「東京オリンピック」
 であったり、
「大阪万博」
 であったりという時代が、起こってくるのであった。
 そんな時代が、過去にあったということは、それこそ、この時代をテーマとした映画などを見た時に知ったという人は皮肉なことであっただろう。
 だが、実際には。ほとんどの人は、
「話としてしか知らない」
 ということだろう。
「祖父から、父親を通して、話として教えてもらえる」
 というそんな話だったのだろう。
 その日は、そんな話を知る由もなく、ただ、友達が誘ってくれるからということで出かけていった映画の帰り道に出くわしたことだったのだ。いつも通る道の夜の静寂が下りていた時のことであったのだ。

                 映画鑑賞

 向坂浩二が、その道を通り勝ったのが、9月18日だった。
 この日は、ちょうど友達と見に行った映画にちなんだ日だったので、映画を見に行ったその日を、
「友達も自分も忘れることはないだろう」
 と思っていた。
 その日というのは、
「満州事変が勃発した」
 と言われる、
「柳条湖事件の日」
 であった。
 その映画は、
「満州事変」
 というもの、いや、実際には、事件というものがきっかけとなった
「大東亜戦争」
 というものを、そのきっかけとして考えるという意味で、製作されたのが、この映画だったということである。
 そもそも、かの
「大東亜戦争」
 というものの、始まりというのには、いくつかの説がある。
 一つは、一般的に言われているもので。
「1941年12月8日」
 ということである。
 この日には、陸軍による、
「マレー上陸作戦」
 海軍による。
「真珠湾攻撃」
 の日である。
 実際に、米英蘭に、宣戦布告を行った日であり、いわゆる、
「アメリカに戦争に引っ張り込まれた」
 という日であった。
 そして、もう一つが、今度は、日本政府の認識として、
「1937年7月7日」
 である。
 この日は、中国との全面戦争に突入したきっかけとなった。
「盧溝橋事件」
 というのが、勃発した日であった。
 欧米列強に宣戦布告してから、閣議で、
「今回の戦争は、シナとの全面戦争が始まった時にさかのぼり、戦争名称を、大東亜戦争ということにする」
 と決まったからだ。
 その理由としては、
「戦争遂行のスローガンとして掲げている。大東亜共栄圏というものの確立が始まった日だ」
 ということで、
「シナ事変の始まり」
 とされる、
「この日を、今回の戦争の勃発日ということにする」
 ということであった。
 そもそも、
「大東亜共栄圏というのが何か」
 ということであるが、
 この大東亜共栄圏というのは、
「当時の東アジアの情勢というのは、東アジアに限らず、ほとんどの国が、欧米列強の植民地ということになっていて、そのため、搾取されている東アジアから、アングロサクソンを駆逐して、その後に、東アジア特有の新しい、新秩序を組み立て、独自のやり方で、国家運営を行い、共栄していく」
 というスローガンであった。
 だから、
「中国との全面戦争」
 というのもその一環であり、そこから、始まったのが、
「大東亜共栄圏構想だ」
 ということであった。
 そして、学者が考える、もう一つの大東亜戦争の始まりとしては、さらにさかのぼっての、
「1931年9月18日」
 つまり、この、
「満州事変の勃発」
 がその始まりだという考え方である。
 満州事変というのは、国連の送り込んだ、
「リットン調査団」
 による調査で、
「日本の自衛とはいえない」
 と結論付けられ、
「日本は、国際連盟を脱退して、世界的に孤立の道を歩む」
 ということになってしまったが、
「そもそも、満州事変勃発においても、たくさんの理由があった。日本は、それを、満蒙問題ということで、いろいろ解決策を考えていたところでもあった」
 というのであるが、しかし、そもそも、挑発してきたのは向こうであり、侵略行為とみなした中国が、戦わずに、国連に提訴したことは、ある意味、卑怯なのかも知れない。
 まずは、
「日本が、日露戦争で獲得した、南満州鉄道に並走する形で、中国側も鉄道路線を敷いた」それによって、満鉄は赤字に追い込まれたことが一つ、さらには、
「元々、中華民国が、前身である清国が各国と結んだ条約の破棄を言い出したことが発端になるのだが、そもそも、正当な継承国である中華民国が、継承前の国が結んだ諸外国との条約を勝手に無視するなどありえない」
 といえる。
 それは、
「江戸幕府が欧米列強と結んだ不平等条約」
 というものを、
「明治政府は、江戸幕府を継承したわけではない」
 ということで、一方的な破棄を言い出したのと同じことになる。
 日本は甘んじてそれを受け入れ、諸外国に追い付け追い越せという、国家努力において、おこなってきた、
「当たり前のやり方」
 を、無視されたということになるだろう。
 しかも、そんな中国は、
「懲弁国賊条例」
 というものを設立し、
「中国に不利になるような行為をしたものは、死刑に処す」
 というものから、その派生として、
「朝鮮人を含む、日本人に土地を売ったり貸したりすれば、死刑」
 という法律ができたのだ。
 中国側からすれば、国家売奴ということで、国家反逆罪に値する」
 ということになるのだろう。
作品名:召された記憶 作家名:森本晃次