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召された記憶

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 のような、
「聖典」
 と呼ばれるものなのであろう。
 ノアの大洪水は、あまりにも大げさではあるが、
「津波が襲ってきて、一つの大文明が一瞬にして、この世から姿を消した」
 という話もある。
 中には、海の怪物を使って、神が国を滅ぼしたという話が、
「ギリシャ神話」
 にも伝わっているではないか?
 それが、少し離れていて、つながりがないように見えるところで同じような教訓があるというのは、
「バベルの塔」
 の話のように、言葉は通じないが、元は一つの都市にいた人たちが、世界に散らばっていったという発想い裏付けられているのかも知れない。
 時代は、秋に近づいてきて、そんなことを思い出したのは、その日、友達と、映画に行ったからだった、
 その映画というのは、古代の聖書や、神話の時代のような話で、実際には、
「フィクション:
 であったが、そんな時代の映画というのは、最近珍しいもので、外国でも、SF映画の巨匠と呼ばれているい人が監督だったということで、注目を浴びていた作品だったということもあって、それなりの客入りであった。
 ただ、
「世界的なパンデミック」
 というものの影響から、映画館では、いまだに、
「飲食禁止」
 という風潮があるようで、食べていいことになっているようだが、さすがに、
「飲食を控えている人が多い」
 ようだった、
 映画館というと、ビッグサイズのソフトとリンクと、ポップコーンというのが、定番で、ロビーでは、ホッとドックのようなものも売られているようで、以前は、それを楽しみにしている人が多かったというのは、間違いないようであった。
 グッズも結構売られているが、昔のようなパンフレットをあまり見たことがないが、以前は、そういうのを集めている人もいると聞いたが、今ないのだとすれば、寂しいものである。
 もちろん、映画館の不人気は、
「世界的なパンデミック」
 によって、入場制限であったり、それまでまったくの自由だった、飲食に制限が掛かったりすると、なかなか近づこうとはしないだろう。
 だから、以前であれば、レンタルビデオで借りたりしていたのだろうが、今の時代は、
「ネット配信」
 というものがあり、
「ダウンロード」
 というものをしてしまうと、映画を見ることができるというものが主流になっているので、
「映画というと、大型スクリーンで、さらには、サラウンド音声で楽しむものだ」
 という考えの人は、映画館に赴く人も一定数はいるだろう。
 ただ、どうしても、時代の流れに逆らうことはできず、映画人口はどんどん減っている。そこへもってきての、
「世界的なパンデミック」
 というものが、
「とどめを刺した」
 といっても過言ではないだろう、
 それが今の時代というもので、前であれば、
「家で、大型テレビで、家族で見る」
 などという時代もあったが、今は、テレビすらないところが多い。
「だったら、パソコンで見るのか?」
 ということになるが、そのパソコンすら、持っていない人が多いという。
 なぜなら、安価で、スマホというものを持っていれば、そこでなんでもできるわけである。
 配信動画を見たり、ゲームをしたり、SNSなどの、コミュニティを楽しんだり、さらには、ニュースだって、配信で見ることもできる。
 テレビ、ゲーム機、そして、パソコンを一つにしたようなものが、スマホだと思えば、スマホというものを、誰もが、持つようになったというのも、当たり前のことであった。
 ただ、この日の映画は、
「やっぱり、映画は大型スクリーン」
 といって、憚らない友達からの誘いだったので、見たかった映画ということもあり、
「たまにはいいか」
 ということで、付き合うことにした。
「付き合ってくれてありがとう」
 といってもらえれば、それだけでもうれしい気分になれるというものであった。
 映画館というのは、昔であれば、
「まるで、学校でいえば、、全校生徒が入れるくらいの、大型スクリーンで見る、大劇場のようなところ」
 ということだっただろうが、途中から、
「街の大型スーパー」
 のようなところの奥に、ひっそりとたたずんでいるようなところもあれば、さらには、同じショッピングセンターといっても、今のような、
「大型商業施設の中に、上映できる映画館が、数スクリーン存在している」
 というような、郊外型のところが出てきたのだ。
 その途中に変わり種と言ったところで、
「車で入場して、夜の静寂を縫うようにして、駐車場のようなところから、モーターシアターのような映画館」
 というのも、一時期流行ったこともあった。
 そんな不思議ともいえる映画館が今までに、たくさんあったが、やはり、時代の波にはついていけないということもあって、どうしても、一時期ほどのことはないといっていいだろう、
 何といっても、戦後しばらくは、
「娯楽といえば、映画」
 という時代があり、
「紳士、淑女のデート」
 といえば、映画だったのだ。
 お互いに仕事が終わってから、待ち合わせてのデートなど、映画デートが主流だったのだ。
 実際にそんな時代が存在していた頃は、まだまだ白黒映画が主流であり、日本の映画もよかったが、やはり、アメリカ映画などが主流だっただろう。もう、半世紀以上も昔というところであった。
 そんな時代は、自分たちのおじいさん世代といってもいいだろう。そんな頃を知っている人は、すでに、定年退職していて、
「第二の人生を歩んでいる」
 という年齢であろう。
 昔であれば、
「悠々自適な年金生活」
 であるが、今では、
「先に定年を迎えるので、年金がもらえるまでは、残りも働かなければいけない。しかし、給料は、がっつりと減らされ、贅沢しなければ、何とかやっていけるということであればいいのだが、何と、働きながらでも、退職金を食いつぶしても、足りるかどうか?」
 という恐ろしい世の中になった。
 ちゃんと、仕事ができる期間、まったく間を開けずに、働いたとしてものことである。
 そんな恐ろしい待遇が、一部の人間だけでなく、次第に、
「ほとんどの人がそうなる」
 という時代になってくるだろう。
 若い人が、年寄りを支える」
 と言われているが、
「真面目に働いてきて、やっと、第二の人生という状態になっているにも関わらず、、こんな仕打ちを受けるのだ。
 政府は、金を使えとばかりに、
「消費しやすいように、休みを増やしたりしている」
 というが、企業が、内部留保のためとはいえ、
「これまでずっと尽くしてくれた功労者ともいうべき、定年まで勤めあげた社員を、そこまでして、苦しめていいのか?」
 ということになる。
 実際に、多くの人の悲鳴が聞こえてきてはいるが、なかなかそれが声となって世間に公表されることはない。
 マスゴミの、
「報道規制でもあっているのか?」
 それとも、
「政府た企業にとって、いや、あるいは社会全体、さらには、一部の人間にとってのことなのか、何か都合の悪いことでもあるということなのだろうか?」
 それを考えると、
「この世に、勧善懲悪なるものは、本当に存在するのだろうか?」
 と思うのであった。
作品名:召された記憶 作家名:森本晃次